第25話 確かめたいから走り出す

 どれくらいの間、そうしていただろう。

 我に返ったのは、シーグと一緒に出て行ったガイストさんが戻り、わたしに話しかけたからだった。


「リシェ殿。家に帰るのならば、事が終わるまでヤーデと私で護衛をするよう言いつかった。行きましょう」


 言われると、シーグが近衛騎士であるガイストさんに護衛を命じられる立場なのだと念を押されているような気がした。

 いつの間にか側にヤーデ夫人が立っていた。彼女もまた、命じられれば動くつもりで待っていてくれているのだ。

 これが本当のシーグの住む世界。

 そして出ていけと、こちらに入ってきてはいけないとシーグに拒絶されたのだ。

 気付いたら目の前が霞んで、泣いていた。


「リシェさん……」


 ヤーデ夫人が優しく抱きしめてくれる。


「ヤーデ夫人は、知って、たんですね」


 しゃくりあげながら尋ねると、ヤーデ夫人は「はい」と答えてくれた。


「わたくしは殿下の母君に縁の人間で、ずっと秘密裏にお隣の家で殿下とリシェさんのことを見守らせて頂いておりました。時々庭に出てこられるお二人を、ハラハラしながら見ておりましたよ」


 ヤーデ夫人は、確かわたしがあの家に住むことになってから、引っ越してきた人だった。


「わたくしの受けた命は、殿下とあなたをお守りすることでした。クラーラ様がおそばにいられない時もありますし、彼女が妙に厳重に警戒すれば、逆に勘ぐられてしまいます。そのために、わたくしが護衛として側にいたんです」

「ケーキをくれたのも、様子を見るためだったの?」

「ケーキはわたくしの趣味でございます」


 即答されて、少し嬉しくなった。

 観察のための道具としてではなく、趣味で焼いたケーキであってほしかったのだ。しかもこの速さなら、誤魔化したとは思えない。

 だからわたしはヤーデ夫人に教えた。


「あのケーキ、半分以上はいつもシーグが食べちゃうんです。甘党なんですよ」

「左様でしたか。どうりでお茶の時間に、頻繁にそちらへ現れると思っておりましたら」


 そしてヤーデ夫人も、ほんのりと厳しそうな顔に笑みを浮べて言った。


「いつも王宮で張り詰めた様子の殿下を見ていたので、殿下がリシェさんと一緒にいる時、年相応のお顔で笑う姿を見て、とてもうれしかったのですよ。小さい頃から見ていたからでしょうね。本当に親戚の子のように思う気持ちも、わたくしの中にはございましたの。だからリシェさんがいてくれて、本当に良かったと思っていたんです」

「でも」


 優しさに、思わずわたしは自分の気持ちを口にしていた。


「でもシーグは、俺に関わるなって」


 わたしとはもう会いたくないから、ああ言ったに違いない。

 するとヤーデ夫人がめずらしく笑う。


「では、リシェさんはご両親のことで、エイセル様にわだかまりはないのですか?」


 言われて首を横に振る。


「私は子供だったから知らなくても、両親はさすがにシーグが王子だって知ってたと思うんです。シーグと母は会っていますし。お祖母ちゃんがどういう事情でそれを引き受けて、どういう危険性があるかも、承知していたはずです」


 わたしの母は錬金術を使うことはできなかったけれど、度々手伝ってはいた。

 そんな母のことだ。王宮錬金術師だったお祖母ちゃんがどういう立場で、何をしていたのかもある程度把握していただろう。


「お祖母ちゃんだってそうです。シーグのことを可愛がっていました。だからシーグを守るために行動して亡くなったのなら、しかたないことなんです。悲しいけど。お祖母ちゃんを殺した相手はとても憎いけれど」


 でも、と続ける。


「どうして教えてくれなかったんだろう。シーグが王子様だってことを隠してたから? でも私はもう、十歳の子供じゃなかった。お祖母ちゃんのことぐらいは正直に教えてくれたって……」


 悔しさに歯がみする。

 守ろうとしてくれたのかもしれない。だけどもう子供じゃなかった。何も知らされずに、だけどおかしいと思ってこの一年間、少しずつ手がかりを探していたのだ。

 ヤーデ夫人がわたしの背を、励ますように優しく叩く。


「仕方ないのですわ。あの方も言い出しにくかったのでしょう。もし大好きなあなたに、家族を死なせたのはお前のせいだと言われてしまったら、と」

「そんな事しないのに。少しは信用してくれたって……」


 シーグは自分を何だと思っているのだ。

 十年も傍にいて何を見てきたのかと、文句を言いたくなる。


「恐がりな方なんですよ。ずっと傍にいたあなたが、大切だから」


 そしてヤーデ夫人がため息をつきつつ言った。


「先ほどのも強がりでしょう。本当は会わないでいられないはずですのに、嫌いと言われたくなくて、先に離れようなんてお考えになったのでしょうね。小さな男の子と変わりませんわね」

「そんな……本当にそんな風に思ってるんでしょうか」


 もう会いたくないのだと思った。


「確かめてみてはいかがですか? 一方的にエイセル殿下がそう言っただけで、まだリシェさんは答えを返していないのですし」


 言われてみればその通りだった。「俺が嫌だと思うなら帰れ」と言われただけだ。

 嫌じゃないのなら、帰らなくてもいい。


「シーグはどこに?」


 尋ねたのはガイストにだ。先ほど一緒に出て行ったから、シーグの行き先も知っているだろうと思ってのことだ。


「王妃と話してくると……。先ほど王妃の方から面会希望の打診があったので。でも近衛を何人か連れて行きましたからきっと」


 大丈夫と続けられるはずだったのだろう、ガイストさんの言葉を遮ったのはわたしだ。


「そんな!」


 ならばシーグが危ない。

 王妃は翼を揃えてくると言って、わたしの前から立ち去ったのだ。

 立ち上がり、急いで飴色の扉を開けて家に駆け戻る。


「なっ……これは一体!」


 ガイストさんが扉の向こうに広がる、あきらかに城内ではない家の内装に驚いたようだ。


「リシェさんは錬金術師なのですよ? これぐらいはあって当たり前です」


 ヤーデ夫人が解説しているが、非常におおざっぱな説明だった。こんな扉はあって当たり前なわけではない。


「それにしてもどうして彼女が殿下と……知り合いなのか?」

「後ほど説明いたします」


 そんな二人の会話を遠くに聞きながら、わたしは自分の鞄を取りに戻り、さらに階下の倉庫からありったけの石鍵を持ち出した。

 そしてシーグの部屋へ駆け戻って、ガイストさんに頼んだ。


「シーグが、王子が危ないの。今すぐ王妃と会う場所へ連れて行って!」


 ヤーデ夫人が同意したので、ガイストさんは戸惑いながらも部屋の外へ先導してくれる。


「走って! 急いで!」


 ガイストさんをせき立てて、王宮の中をきちんと靴を履いた足で駆けた。


「本当の天国なんて無いのよ」


 死んだ人は蘇らない。

 わたしはそれを知っている。

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