第24話 そして告げられた沢山の真実

 わたしが素足であることに、シーグはすぐに気付いた。

 あまりのことにぼんやりとしていたらわたしを抱き上げて、シーグは歩き出す。慣れたように、城の中へ。


「ちゃんと掴まれ。落ちるぞ」


 いつも通りの話し方。

 けれどいつも通りには返せず、それを見てシーグは寂しそうな顔をする。

 申し訳ないと思った。いたたまれない気持ちになる。だけど、どうしたらいいのかわからない。


 ずっと隣国の貴族だと思っていた。

 本当なら気安くふざけあったり出来ないんだとわかっていても、あの魔法の扉のこちらがわでだけは、小さな家の中でだけは対等な、仲間なんだと思っていたのだ。

 いつかは彼も、あの扉を必要としなくなる。そして自分の住むべき世界へ帰ると思ってはいた。

 彼は遠い場所に住んで、そこに人生がある人なのだから。


 わたしに付き合ってくれているのは、彼にとって寄り道みたいなものなのだ。

 扉はわたしが処分し、自分もまた別な人生を送るんだと思っていた。

 だから祖母が亡くなっても、シーグからの援助の申し出は断った。そういう繋がりを持てば、甘えて自分の足で歩けなくなってしまいそうだったから。

 離れた後も、友達として手紙を送り合うことすら後ろめたくなりそうで。


 でもこれでは、どうしたらいいか分からない。

 扉を無くしてしまっても、会おうと思えば会える距離にいるとわかってしまったら。だけどそうするわけには行かない相手だと分かってしまったら。

 気軽になんでも話し合える友達であることを、王宮にいる彼には望めない。今ここで、家にいるときのように振る舞うわけにはいかなかないと感じていた。


 実際、後ろに従っているガイストは戸惑った表情をしている。

 平民で、特に名前も知られていない末端の錬金術師が、なぜ『殿下』と知り合いなのかと不安に思っているのだろう。シーグが自らそうしたので何も言わないだけで、今すぐわたしを引き離したいに違いない。

 実際、ガイストが運ぶと申し出たのだ。

 けれどシーグは譲らなかった。


 一方その様子を気にも留めていないのはヤーデ夫人だ。彼女はシーグがわたしを抱き上げるのを見ても、一つうなずいただけで「先導致します」と先に立って歩き始めてしまった。

 シーグの方も「頼もう」と答えていたので、ヤーデ夫人とシーグが知り合いなのは間違いない。


 考えれば考えるほど、混乱してきた。

 自分は、あの襲撃を受ける前から夢を見ているのではいかという気になってくる。

 エンデに捕まったのも夢。

 王妃に変な要求をされたのも夢。

 ヤーデ夫人に曲芸まがいの方法で脱出させてもらったのも夢。

 シーグが王宮にいることも……。

 しかし、現実が目の前に開ける。


 どこかの部屋に入った。そこは居間だった。が、続き部屋へ連れて行かれたわたしは、無性に泣きたい気分になった。

 見覚えがあった。シーグの部屋だ。

 そして壁に備え付けられた、飴色の扉。蔓花と翼の意匠が絡みつく扉を見せて、シーグは言った。


「夢じゃないんだ、リシェ」


 辛そうな声に、わたしは顔を上げる。

 シーグは目を合わせると、微笑んだ。哀しそうに。


「あなたの、名前はシーグじゃないの?」


 尋ねるとシーグは答えてくれた。


「もう隠す必要はないと思うから言おう。シーグは偽名ではない。正式にはエイセル・シーグ・グレンディルが俺の名前なんだ」

「本当に……王子なの?」


 シーグはうなずき、わたしを扉の近くにある寝台へ降ろした。

 それからふと気付いたように、なぜ錬金術を使えなかったんだと尋ねてくるので、術を封じられていたことを話す。

 するとシーグが、封じの環を外してくれた。

 足首に触れられる間、妙な緊張を感じて、身震いしそうなのを必死でこらえた。たぶん、シーグが自分の知らない顔を持っていることを知って、いつもの彼ではないように感じているせいだと思う。

 それからシーグは隣に座り、話し始める。


「君のお祖母さん――クラーラは、俺のために扉を作ってくれた。俺の母親は王妃ではなくてね。国王が侍女に手を付けて産ませた子供が俺だ」


 本当なら、シーグは庶子として王位継承権を持つことはなかった。

 しかし王族の数が少なく、王妃も第一王子イヴァンを出産後は、全く懐妊する様子はなかった。更にイヴァン王子は体が弱く、成人するかも危ぶまれていたのだ。

 このとき取るべき方法は二つ。

 国王が王妃と離婚して新たな王妃を迎えるか、庶子を緊急措置として嫡子とするか。


 当時王妃の家の権勢は強く、離婚するぐらいならばと、彼らはエイセルは公的には王妃の子供とし、王位継承権を与えることに同意した。王妃の子供という名目なので、王妃の家の人間はエイセルが王になった場合でも、王の親族として権利を持てると考えたのだろう。

 それからエイセルは、城の中で生母によって育てられることになった。

 王妃が新たな母親としてエイセルに接触することを、嫌がったからだ。


 だがしばらくは王妃も、エイセルは自分の子供の代打でしかないからと、余裕があったのだろう。基本的にエイセルは居ない者として扱っていた。

 けれどエイセルが七歳になる頃から、イヴァンの体調は悪化していった。


「初めは子供への不安を俺にぶつけていたんだろう。嫌がらせ程度のことをされていたが、一度イヴァンが危篤状態になった時、俺の母親が殺された」


 エイセルの母の死因は転落死となっている。

 足を滑らせて階段から落ちたのだと。

 けれど王妃の子供という名目である以上、エイセルの周囲も王妃の一族に囲まれ、犯人を特定することもできなかったのだ。


「さすがに父上も焦った。イヴァン兄上に王位を継がせるのは難しいと確信していたが、王妃が地位さえ守れれば刃を納めてくれると思っていたからだ。けれどこのままでは世継ぎが一人もいなくなるからと、急いで周囲の人間を入れ替えた上で、王宮錬金術師だったクラーラに依頼したんだ。万が一の時に、逃げられる道を造るようにと」


 クラーラは自分が責任を持ってシーグを守ると請け負った。

 当初はクラーラも、普通に城の中に隠し通路でも造ろうとしていたらしい。けれどあの別な場所と家を繋ぐ扉ができた。だからあれをシーグの為に使ったのだ。必要な言葉とシーグとクラーラに近しい血を持つ者以外には、開けられないように呪をかけて。

 その扉を、ある日開けてしまったのがわたしだった。


「そんな簡単に誰にでも開けられるはずがないんだよ。けれどクラーラが使った術は、近い血縁者をクラーラと認識してしまったらしくて、開いたんだ。そしてリシェ、君はあの扉の向うにいた俺が誰なのかもわからなかった。だから念のため、俺はあまり知られていない二番目の名前を使った」


 シーグというのは、彼にとっては二つ目の名前だった。

 普通は母方の家名を名乗るものだが、公的には母親は王妃となっている。そのため本当の母親の家名を名乗れない代わりに、母親の願いで一つめは王が付けた名前とし、二つめは母親が付けた名前にしたのだ。

 そしてわたしが扉を開けたことを知ったお祖母ちゃんは、子供だからいつどこで話すかわからないからと「シーグ」の名前を使い続けるように助言し、シーグもそうした。


 けれど四年経ち、わたしは自らの熱意によってお祖母ちゃんの弟子になることが決まった。

 お祖母ちゃんの家に住むことも決まっていたので、少ししたらシーグの事を明かそうと話していたそうだ。いずれ代わりに、扉を管理する必要があるかもしれないから。


「なら、どうして今までずっと黙ってたの?」

「きっと話した方が、君は大人しくしてくれるだろう」


 シーグはわたしから目をそらした。


「リシェの家が放火されたのは、俺と親しくしていたクラーラの身内だったからだ」

「え……」


 わたしは十歳の時の火事を思い出す。

 眠っている間に広がった炎。

 警備隊の人は、その時頻繁に起きていた放火事件の一つだろうと話していた。

 運が悪かった。だけど一人でも助かって良かった。ご両親が火から庇ってくれたおかげだと言われて、泣きながらも納得したのだ。

 なのに、それが放火魔のせいではなくて、狙われたせいだというのか。


「そんな……だって放火魔のせいだって、お祖母ちゃんも」

「クラーラも知っていた。俺に事実を教えたのもクラーラだ。犯人を捕まえるのに、俺の周りの人間を動かす必要があって、知らされた」

「なんで。どうしてお祖母ちゃんは私にだけ何もおしえてくれなかったの?」


 思わず声が大きくなる。

 けれど抑える事はできなかった。自分の両親のことなのだ。自分もまた怪我を負った事件だったのだ。真実を知りたいと願うのは自然なことだろう。だからこそ、声に非難の響きが混ざってしまったかもしれない。

 シーグは痛そうな表情で言った。


「リシェが怪我をして、毎晩のようにうなされていた。それ以上に……俺のせいだ。そう思うと言えなかった」


 わたしは口をつぐんだ。

 シーグは正直に言ってくれたのだと思う。確かに怪我をしたばかりで弱っている人に、俺のせいだなどとは言えないだろう。

 わかる。理解できるけれども、気持ちが納得できない。

 こんなにも長い間隠していなくてもいいのにと。

 シーグや死んだお祖母ちゃんまで詰りたくなる気持ちを抑えるのに精一杯で、口を開いたら酷い言葉が出てきそうだったのだ。

 それなのに、シーグはさらに心を突き刺すようなことを言う。


「そしてクラーラが死んだのも、俺のせいだ」

「なんで」

「リシェ、お前は雷の翼の事を調べていただろう。あの箱については俺もガイストから報告を受けている。けれど、すぐに雷の翼と箱を結びつけて考えたのは、クラーラがそれを探していたことを知っていたからだろう?」


 うなずくこともできないわたしに、シーグは一気に告げた。


「クラーラが俺を守っていることで、俺の敵も錬金術で仕掛けてくることが多くなった。けれどクラーラにはなかなか勝てなかった。けれど雷の翼ほど強力なものなら、クラーラも防げないと思ったんだろう。クラーラは俺を守るために雷の翼を奪い返そうとして、その途上で亡くなった」


 あまりのことに、リシェは息をするのも忘れそうだった。


「クラーラに、何かあればお前を頼むと言われていた。だから今まで一緒にいたが……わかっただろう。俺が側にいれば、お前まで死んでしまう所だった」


 シーグは立ち上がり、わたしに飴色の扉を指さす。


「家族を奪った俺など嫌だろう? そう思うなら、その扉から家へ帰れ。今回事件を起こした王妃は、今度こそこちらで処分する。俺に係わりさえしなければ、もう安全だろう」


 行ってしまえ。

 そう言い捨てて、シーグは部屋から出て行った。

 開いていた扉から覗いていたガイストに何かを命じ、連れて居間からも姿を消す。

 その後ろ姿を、わたしは呆然と見送っていた。

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