第23話 意外な助けの手
思わず呆けてしまいそうだったが、ヤーデ夫人に腕をつかまれ「お早く」と促されて窓枠に足をかけた。
どこにそんな力があるのだろうと思うほど、ヤーデ夫人はしっかりとリシェを抱え、屋根の上に引き上げてくれる。そして自分もするりとロープを伝って屋根へ逃れた。
「あ、あのヤーデ夫人?」
「左様でございますよ」
尋ねればあっさりとうなずかれる。
「えええと、ここは王宮で、なんで居るの?」
隣の家のやせ気味の奥方のはずの彼女が、なぜここにいるのか。しかも黒服だわ、窮地に現れてくれるわ、驚かされるばかりだ。
「もちろんリシェさんを助けに参った次第です。中に人間がいると考えて、眠りをもたらす煙を用いました。きっとリシェさんなら窓から脱出しようとすると思いまして、このように窓側で待機しておりましたの」
「た、助けに来てくれたんですか?」
「職務でお迎えに参りましたのよ、リシェさん」
職務とは何なのかわからなかったが、とりあえずヤーデ夫人があの不審な煙を発生させ、助けてくれたことはわかった。
でも何故お隣さんの彼女がそこまでしてくれるのか、疑問を口にする前に、開いた窓から「逃げたぞ!」という声が聞こえた。
「さ、お早くこちらへ」
促され、ヤーデ夫人と共に、近くの煙突に結びつけられていたロープを握る。
腰をがっちりヤーデ夫人に掴まれてから、このロープはどこに繋がっているのかと見上げ、わたしは息を飲んだ。
今いる屋根よりも高い、城の尖塔。底に結びつけられている。
「ちょっ、まさかこれ、振り子の原理っ」
「左様でございますわ」
ヤーデはそう告げて、屋根を蹴る。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」
柱時計の振り子のごとく、わたしとヤーデ夫人の体が、宙を勢いよく滑空していく。
そのまま素晴らしい速さで中庭の上を通過した。
そして行く手に迫るのは、城の内壁だ。
「ぶ、ぶつかる!」
「落ち着いて下さいませ」
ヤーデ夫人は脇を通過しつつあった別な尖塔の壁に手を掛け、一度速度を落とす。それから少しゆっくりと内壁へ向かってリシェ達は移動した。
「な、なんでこんな芸当できるの?」
壁に激突死の危険性が薄れたので、尋ねる余裕が出てきた。
「職務でございますので」
「職務って何? それに、ず、随分身軽な方だったんですね」
「これも職務でございますので」
やがてヤーデ夫人の足が、ロープを上部につないでいる尖塔に触れる。高い場所から着地する要領で足を曲げて衝撃を抑えると、ようやく死の振り子運動は止まった。
今度は普通にロープを伝って降り始める。
しかし遠くからその姿が発見されていたのだろう。風を唸らせる音がしたと思ったら、捕まっていたロープが切れた。
「ひぃぃぃっ!」
「リシェさん!」
わたしは落ちるという事だけで怯えてしまったが、上手くすぐ下に回廊の屋根があった。そこに着地した彼女は、二階から飛び降りるぐらいの高さだったので、足が痛むだけで済んだ。
ほっと息をついたものの、そこに掛けられた声に目を円くする。
「な! リシェ殿か!?」
「ガイストさん?」
いつもと違い、濃緑の上着に黒いマントを身につけてはいるが、その少し恐い顔は間違いなくガイストだ。
なんでここにと言いかけ、ガイストが近衛騎士だということを思い出す。王宮にいてもおかしくはない。
「あの、助けて下さい!」
なんとか回廊の屋根から降りようとするも、そんなわたしの手元に再び矢が突き刺さり、怯えた拍子に屋根から滑り落ちた。
が、ガイストに受け止められて、地面と激突はせずに済んだ。
「リシェ殿、一体……」
尋ねようとしたガイストの言葉は、更に飛んできた二本の矢にとぎれる。
寸前で矢を弾いたのは、駆けつけたヤーデ夫人の持つ短剣だった。
「とにかくここを離れて下さい!」
「え、あなたは……ヤーデ夫人!?」
驚くガイストの言葉で、どうやら彼ら二人は知り合いだとわかる。ヤーデ夫人という名前も偽名ではなかったようだ。
「ご下命です、リシェさんをお守りしてください!」
ヤーデ夫人の勢いに飲まれるようにうなずいたガイストは、わたしを降ろして手を引いた。
「まずはあちらの棟に逃げ込む!」
走り出した方向には小さな中庭と噴水。そして扉が開け放たれた城内への入り口が見える。
素足の裏に触れる石が痛くてたまらなかったが、我慢して走った。
その後ろにヤーデ夫人が付き従っていた。
が、敵も矢では無理だと思ったのか、剣を持った兵士が二人、追いかけてくる。ヤーデ夫人は鮮やかな動きで、背後から来た二人を倒した。
しかしガイストが向かおうとした城内への入り口から二人、さらに敵が出てきた。
ガイストが剣を抜いた。
しかしわたしは制止した。
「ガイストさん逃げて!」
わたしは彼の腕を掴み、足を踏ん張ってガイストの動きを止める。そのガイストの目の前を、炎の帯が駆け抜けて行った。
「なっ!」
「一人は錬金術師です!」
わたしの声に、ヤーデ夫人がすぐさま兵士の姿をした錬金術師へ向かって走った。それを今一人が阻止しようと立ちふさがる。
その間に錬金術師は別な術具を取り出した。
わたしは歯噛みする。術が使えたら、対抗する手段も何かあるだろうに。
そんなわたしを、ガイストが守るように抱え込む。
錬金術師が放った石鍵が裂け、円を作る。
恐怖にわたしは目をそらすこともできなかったが、
『環よ閉じよ!』
聞き覚えのある声と共に、赤い炎がちらつく円に、石鍵が突き刺さる。そして硝子のようにひび割れて異界の扉が砕け散った。
驚く錬金術師を背後から斬り倒したその人の姿に、わたしは目を見開いた。
「……シーグ?」
夜の中でも煌めく金の髪。彼はヤーデ夫人がもう一人を倒したのを目で確認すると、すぐさまわたしの元に駆け寄ってきた。
泣き出しそうな表情で、ガイストから奪うようにしてわたしを抱きしめる。
「リシェ、良かった……」
切ない声で安堵の言葉を口にするシーグ。
「どうして、シーグが?」
まさかあの扉を使ってこちらの国へ来て、なんとかして王宮内へ入れてもらったのだろうか。でもわたしが攫われたとしても、王宮にいるとはわからないはずだ。
訳が分からないわたしに、答えを与えてくれたのは、呆然とするようなガイストの呟きだった。
「殿下、なぜこちらに」
まさか、と思う。
この王国で殿下と呼ばれる男子は、現在ただ一人のはずだ。
そしてシーグは否定しなかった。
「彼女を安全な場所へ移す。供をせよガイスト、ヤーデ」
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