第22話 誰か助けて下さい

 その言葉にぞっとする。

 なぜ王妃はカーリンを監視役に選んだのだろう。彼女がいるということは、ファンヌを通して借りているに違いない。

 監視されるにしても、別な人にしてほしかった。この妙につっかかってくる、変にプライドの高いカーリンなら、絶対に嫌がらせをするに決まってるのだ。


「んふふふ。いい気味だわ。露店で箱を売らなくちゃいけないような有様なのに、いつも強気でほんとむかつくのよね、あなた」


 リシェはまた始まった、とため息をつきたくなる。


「なんであなたって、いちいち絡んで来るの? 別に同じ師についてるわけじゃないし。同じ年頃だからおしゃべりしたいって理由なら、ちゃんと言えばいいのに」

「いつあんたとおしゃべりしたいなんて言ったのよ!」

「じゃあわたしにかまわないで」


 やってられないとばかりに、素足なので寝台に戻ろうとした。座って落ち着いた状態で、カーリンを出し抜く方法を考えたかった。

 が、カーリンが足払いを掛けたせいで、その場に転ぶ。


「痛った! ちょっと何する……」

『回れ地の円環、第三の扉を開き、緑の鎖となれ』


 カーリンが薄緑の石鍵を放った。

 翼が作る円から、緑の蔓が吹き出すように出てくる。そして蔓が腕や足に絡みつき、わたしは倒れた状態のまま起き上がれなくなる。

 わたしは反射的に呪文を唱えた。

 いつもなら、簡単に解けるはずの術だ。カーリンの開いた扉を、閉じさせればいい。もしくは術を乗っ取るのでもいい。

 でも、そのどちらも出来ないことに気づいて、ぞっとした。

 常に身近だったものが使えない。それは予想以上に不安な状態だった。


「いい気味だわ。いつも自分の方が上だ、みたいに思ってる顔してたから、いつか踏みつけにしてやりたかったのよ」

「そんなをした覚えなんてないよ……」


 カーリンはむすっとしながら、わたしの手足を締上げる。


「ち、血が止まる!」


 十秒ほどそうしてから、カーリンは蔓の締め付けをゆるめた。


「どいつもこいつも、あたしに能力がないって言って見下して。ちゃんと扉だって開けて力を呼び出せるのに、毎日毎日石鍵を作る手伝いばかり」


 カーリンの愚痴に、自分もそんなことをしていたような気がする、と思い出す。そして疑問を覚えた。


「ちょっとカーリン。あなた入門して何年?」

「……二年。でもあんただってそんなもんじゃない!」


 ため息をつきそうになった。

 思えばカーリンがわたしに絡みはじめたのは、お祖母ちゃんが亡くなってからだ。

 ある日オルヴァの店へ素材を買いに行って、カーリンとぶつかった。それがケチのつきはじめだ。


「言っておくけど。私もう六年も勉強してるのよ」


 十歳になってからお祖母ちゃんが入門を許してくれたので、もうすぐ丸六年になる。


「二年なら、まだ手伝いしかさせてもらえなくて当然だわ。素材図鑑の箱もらったでしょう? 買い物や師の術を手伝いながら、あの箱に入っている素材を全てを覚えたら、石鍵だって自分で作らせてくれるわ」


 話しながら「なんだ」と肩の力が抜ける思いだった。

 カーリンは入門して間もない自分と、同じぐらいの年数しか勉強をしていないと勘違いしていたのだ。そしてわたしが自由に錬金術を使っていると思い、羨ましかったのだ。だから八つ当たりしてきた。

 勘違いだと分かったのだから、もうこれで絡んでこなくなるだろう。

 そう思ったのだが、足を蹴られた。


「うるさい」


 見上げれば、カーリンがひどく暗い表情でわたしを見下ろしていた。

 わたしは自分が勘違いをしたことを悟る。だめだ。逆にカーリンの劣等感を刺激してしまった。

 しかも足を蹴ったことで、人に暴力を振るう禁忌の気持ちが薄れたのだろう。今度は脇腹を蹴られる。


「いっ……」


 革靴の先がめり込み、痛みに涙がにじんだ。

 だけど抵抗しようがない。しかも今、カーリンと二人きりなのだ。このまま暴力をふるわれ続けて、痛い思いをしても誰も助けてくれない。

 そう思うと急に恐くなった。


「そ、そんな暴力を振るったら、私なおさら王妃に協力しないわよ? それでいいわけ?」


 王妃はわたしに協力させたいはずだ。なのにカーリンの暴力で、痛みに呻いている状態になっては、すぐには使い物にならないだろう。王妃はそれをいやがるはずだ。


「知らないわよ? それに説得してくれると嬉しいって言われてるし」


 カーリンはわたしの背中に片足を乗せて笑った。


「さぁこれ以上痛い思いをしたくないなら、協力するって言いなさいよ。そうしたら止めてやってもいいわ」


 わたしは唇を噛みしめた。

 こんな拷問まがいのことをされたことがない。だから心底カーリンが恐ろしい。けれど王妃の計画に協力するのはもっと恐ろしい。

 あれは聖者が得た青い翼ではない。

 天翼の扉は開かない。

 開くとしたら、六つある異界のどこかの扉か……材料に使われた死者達の魂が、異界の力と共に呼び戻される。結果大惨事になる可能性だってあるのだ。


 カーリンに言って理解してくれるだろうか。けれど気にくわないからと、もっと酷い事をされたら嫌だ。

 悩んでいたが、不意に陶器が割れる音が響いて辺りを見回す。

 カーリンも同じようにしていたので、彼女が苛立ちのあまり物をこわしたわけではない。

 すると暖炉の中から煙がひろがった。


「ちょっ、何!?」


 驚きのあまり集中力が切れたのだろう。

 手足を戒める蔦が消え失せたので、わたしは起き上がる。そしてカーリンを煙に向かって突き飛ばした。

 暖炉に頭を向けて転んだカーリンは、煙の中に頭を突っ込むかたちになり、激しくむせる。しかし数秒で眠ったように大人しくなった。

 焦ったのはわたしだ。


「ちょっ、ただの煙じゃないの!?」


 奇しくもカーリンで人体実験することになってしまったので、効果がわかってしまった。いそいで部屋から逃げることにして、窓を開けた。

 下を見下ろすと背筋が震えた。高所恐怖症ではなくとも、教会の鐘楼並みに高い場所から地上を見れば、誰でも恐いと思うだろう。

 これでは窓から逃げるのは無理だ。

 が、その目の前にひらりとロープが垂れ下がる。

 目を瞬いた。


「これは、何?」

「脱出用のロープでございますよ、リシェさん」


 声が聞こえたので上を見上げる。そして度肝を抜かれた。

 黒っぽい乗馬服に身を包んでいるが、針金みたいに痩せた体は隠しようもなく、月明かりに眼差しを厳しく見せる眼鏡のレンズが煌めいた。


「や、ヤーデ夫人っ?」


 間違いなくいつもケーキをお裾分けしてくれる隣人だった。

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