第9話 近衛騎士と王子
翌日、主の元に報告に上がったガイストは、珍しい物を見た。
「報告を聞こう」
ガイストの主、エイセル王子はそう言って机の上で肘をつき、両手の指を組み合わせた。
王子の美しい顔にはなんの表情も浮かんでいない。ただ左の人差し指だけが苛つくように動いているのを見つけ、ガイストは首をかしげたい気持ちになった。
なにか苛々するようなことがあったのだろうか、と。
そしてエイセルの目の下にうっすらと隈を見つけた。どちらも、いつも泰然としているガイストの主が決して見せないような物ばかりだ。
一秒考えて、ガイストは「寝不足のせいか?」と結論付けた。
そして報告書を侍従に渡し、口頭で概要を告げる。
「例の錬金術の箱ですが、王都警備隊の第三分隊に任せることとしました。第一分隊は箱を処分した嫌疑がありますし、第二はそれこそ貴族のいる第二区画のみの担当です。信用するのは難しいと判断しました」
「で……箱を解析させる手はずも整えたのか」
「はい、第三分隊に所属する者の知己で、引き受け手がおりました。まだ年若い者でしたが、箱の扱いも堂々たるものでしたし、解析を秘密裏に依頼する意味も十分承知してくれましたので、任せました」
ガイストとしては、いつものような報告の仕方だったと思う。
けれどエイセル王子の反応がいまいち薄い。
聞いているのかいないのか、いまいち不安になるほど、机の上の書類を睨んで微動だにしない。
しかもようやく尋ねてくれたのが、事件と一見関係ない話だった。
「ガイスト、お前が近衛に入ったのは、八ヵ月前か」
「……左様でございますが?」
そしてエイセルはまた沈黙する。
一体何なのか。ガイストは救いを求めてエイセルから少し離れた壁際に横に控えている侍従を見る。すると侍従の青年は、笑いをこらえるような表情をしていた。
いや「ような」ではない。口元が震えている。かけている眼鏡も震えている。長めの首元でくくった灰色の髪も震えているのだ。笑いそうになるのをこらえているに違いない。
「で、その人物に何を話したのか説明せよ」
次の質問は、あってもおかしくない物だったため、ガイストはほっとして答える。
「死亡した貴族の名前と、その死亡状況を少々」
「状況……をどこまで?」
「正直に、黒焦げで身元が確認できたのは顔が半面無事だったことと、落雷のような事象が原因だろうという事を伝えてあります」
すると小さく舌打ちが聞こえた。
ガイストは目を見開いた。
とっさに横を向いたが、吹き出すのをこらえて顔を真っ赤にしている侍従ではないことは明白だ。
――では、この方が!?
ガイストは思わずエイセルの顔を見てしまう。
舌打ちなどという行儀の良くない事など、しそうにない人だ。そんな彼が舌打ちしたということは、やはり寝不足で少し気がゆるんでいるのだろうか。
そうに違いないとガイストは結論付けた。でなければ、ガイストには理解不能な行動だったからだ。
一方のエイセルは、何か感情を押し殺すような声で告げた。
「とりあえず分かった。続けて任務続行するように。ただ協力者には配慮せよ」
ガイストに退出をうながしたエイセルは、息も絶え絶えの侍従を嫌そうに見て、指示を出す。
「アレの周囲を厳重にせよ」
その言葉を聞きながら、ガイストはエイセルの執務室を出た。
「一体なんなんだ?」
廊下に出て、思わずその不可解さに呟いてしまう。不可解というなら、この事件にエイセルが自ら兵を動かしていることもそうだ。
「交流のあった方が関係する事件だからか?」
殺された貴族の子息達は皆、第一王子イヴァンが亡くなったことで、ただ一人の皇子となったエイセルの側近となるべく、その親たちに期待されていた者達だ。
エイセルはその中から、自分が信頼するに値する者を選ぼうとしていた。
誰一人選ばないわけにはいかない。その親、いずれは本人が持つだろう影響力を考えると、無碍にできないのと同時に、エイセルが王として立つ時には有効に扱えなければならないだろう。
しかし本来、こんな警備隊が行う捜索など、王子という身分の者が手を出すような問題ではない。城内警備に関しても近衛騎士隊長が統括して行い、王子には簡単な報告が届けられるのみなのだ。
「なぜ……」
首をかしげるガイストの背後で、執務室の扉が開いた。
そして出てきた侍従の青年が、困惑した表情のガイストに気づき、彼の肩を叩いて言った。
「珍しい物を見たせいで、混乱しているだろうとお察し致しますガイスト殿。けれどあの方にもいろいろ事情がおありなんですよ。許して差し上げてください」
「許してさしあげるなど、私ごときがめっそうもない!」
思わずガイストは叫んでしまう。
すると侍従の青年は微笑み――そこへ近衛騎士が一人走ってきた。
「ガイスト殿、次の犠牲者です!」
ガイストと侍従の青年の顔がとたんに引き締まる。
これで五人目の犠牲者が出てしまったのだ。
ガイストは、早く犯人を捜さなくてはと、改めて思ったのだった。
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