勝負

 今日は内容てんこ盛りの1日だ。


 しおりは案の定、返信が早かった。


 先に公園に着く。ここは大学から1番近い公園で、ベンチが多くて有名な公園だ。ベンチが多い理由は分からないが、大学生が深夜、よく目撃されているらしい。たまに一斉送信のメールが来る。「大学生が夜分、騒いでいてうるさいという苦情を受けました。公園の利用には十分注意してください。」ってね。


 しかし、苦情なんて誰が出したのだろうか。近くに家は見当たらない。


まあ、いいや。と考えるのを放棄して、公園の闇に身を投じる。まだ19時半だってのに暗い。冬はもう顔を出している。汗をかいた服でこの寒さの中、長居したら風邪を引きそうだ。しおりから、ごめん、まだ時間が掛かるとLINEがあった。いきなり呼び出してごめんな、と送っておく。


 大学に1番近いベンチで待ち合わせした。中央の遊具の数々を横切り、そこへ向かう。闇の中の遊具は不気味だった。多少の錆が闇と同化して、所々遊具がちぎれているように見える。それが、なせか影のように見えた。もしかして、幽霊が遊んでいたりして…。


 俺は、お化け屋敷の話題になると、


「余裕余裕。」


と言う。それは女の子に頼もしいと思われたいからだ。あわよくば、女の子と入ってみたい。吊り橋効果って本当にあるのか確かめたいし。


 ただ、一人でこんな暗い所にいるとさすがに怖いな。はやく、来てくれ。


 待ち合わせのベンチに座る。何かを尻でつぶしている。


 立ち上がって見てみると、茶色いベンチの中に黒い影があった。なんであるかはよく見えない。手で持ってみると腕時計であることがわかった。ちょうど最近腕時計が壊れたから、ラッキー。ただ、デザインには俺、うるさいぞ。


 スマホのライトをつけ、腕時計を見る、黒がベースに白で時計が描かれている。シンプルで良いデザインだ。気に入った。


 よく眺めていると、側面に傷があった。少し落胆したけど、いざ腕に付けてみると傷は見えなくなった。なら、全然オーケー。


「なにしてるの?」


突然、後ろから女の子が話しかけてきた。声の主がしおりであることに安堵した。


「あ、いや、暗いなーって。」


腕時計を拾ったことは一応言わないでおくことにした。


「なにそれっ。」


しおりがケラケラ笑う。相変わらずツボが浅い。


「今日寒くね?」


「寒い、最近、ほんとに寒い。」


会話を始めるときは、共感を得るか、共感することが望ましい。これは、高校の担任の先生が教えてくれたテクニックだ。


 俺は高校の頃、いわゆるコミュ障だった。自分から話しかけるなどもってのほか、話しかけられても上手く話せない人間だった。


 俺は変わったな。


「ごめんね、寒いのに。」


「大丈夫。ところで相談って?」


しおりが隣に座りながら言う。顔を傾げているのが分かった。


「今日、あきとご飯行ったんだけどさ、」


彼女の体は白い。この暗さでも体の輪郭がだいたい見える。


「おー!やるじゃん!楽しかった?」


彼女の手は案外近い所に置いてあった。


「まあまあかなー。」


手を触れたらどんな反応するだろか。


「あき、不愛想だからさ。ちょっと反応薄そう。」


俺も体の横に手を置く。


「そうそう。反応薄かった。」


指先の力だけで、少しづつ動かす。


「ってか、あきが誘いに乗ることなんてあるんだねー!そこに驚き。」


さらに驚かせたい。


「うん、ダメもとで誘ったんだけどね。」


届いた。


「あ、ごめん、暗くて見えなかった。」


表情は見えなかった。


「いーなー、私もデートとかしたいなー。」


手を触れたことについては触れなかった。


このタイミングでそれを言うのか。


 俺は何も言えなかった。目の前は真っ暗だった。


「好きな人とかいないん?」


心にもない繋ぎの言葉を言った。この沈黙は恐怖に感じてきた。手を触れて、彼女は失望している可能性がある。どんな表情をしているのか分からないのは本当に怖い。


「好きって気持ちが、分からないんだよね。」


それは優しい声だった。心が叫んでいるのを押し殺して言っているようにも感じた。


 ベンチの木と木の隙間に指を入れる。指を動かして木を交互に触る。


 もし、好きになったのが、あきじゃなくてしおりだったら…どうなってた?


 彼女の心に愛と言う灯を灯すことができたのだろうか。彼女の手はまだ、同じ位置にある。


「あきのどんなところが好きなの?」


困るセリフを言う。本当に手を握ってやろうか?


「なんだろ、うまく言えないけど、」


深く座りなおす。


「魅力的というか。」


まったく理由になっていなくて、自分でも苦笑い。話題はあきについてだけど。この会話にあきはいない。これは『俺としおりについて』の会話だ。だから、うまく言えない。メールの時はどんどん言えるんだけど、


「ふーん、やっぱりドキドキとかするの?」


ドキドキすることが好きと言う感情に直結することは、誰もが知っていることだ。俺の好きがどこにあるのかはそのドキドキの場所を探せば分かる気がする。だからこの質問には真剣に答えたい。


 今日のあきとの食事を思い出す。


「誘う時とかはすごくしたんだけど、食べてる時は、何話したらいいんだろうとかをめっちゃ考えてた。」


会話って大変だ。


「ゆうやくんはさ、その…」


彼女の声はさらに優しくなった。次に彼女が言うセリフは、きっと、俺にとってポジティブなものだろう。


「ん?」


俺も優しく応答する。出来るだけ言いやすいように。


彼女は顔を動かさず、固まっていた。まるで、あきを誘う前の俺のように。


「ゆうやくんは、いつも、考えてから話すの?」






「あんなやつばかやろーだ。」


小学校から帰ってきた俺は、母さんに言った。


 俺は頬を叩かれた。


「いいかい?馬鹿っていうほうが馬鹿なんだよ。」


料理に戻る。その背中を、涙ににじみ、左の視界が少し狭くなった、あの景色を俺は忘れない。


「なんなんだ、この成績は。」


父さんはパソコンと俺の通信簿を交互に見ながら、そう言った。


「大学には行けって前から言ってるよな?こんなんじゃ、いけないぞ!なあ、分かってるのか。」


父さんは俺を睨んだあと、パソコンに目線を移した。通信簿はもう、後ろに投げられている。。殴られてもいないのに、視界はゆがみつつあった。上を向いて、なんとかごまかす。


 中学生だった俺は、泣きわめくことができなかった。泣きわめく奴はガキだと思っていた。加えて、反抗することもできなかった。殴られると言うのはこの年になっても、怖かった。痛いから怖いのではない。いつも同じご飯を食べ、一緒に寝ている、親に殴られたという事実が怖かった。殴る前とその後の表情が怖かった。まるで俺が悪者のように見られていることが表情から分かった。


 そんな自分が情けなくて、涙が出る。泣いても何も変わらないと言うのに。


「おい、聞いてるのか。」


肩を、押される。それでも、俺は父さんの顔の下を見つめていた。


 俺が、父さんの攻撃が終わるまで我慢できたら勝ち、泣いてしまったら負け。勝負のスタートだ。今までの勝率は9戦全敗。


「返事もできねえのか?」


頭を強く掴まれる。強制的に目と目が合う。俺は、感情のない返事を繰り出す。俺を泣かせることなんてできない。だから、もう止めろというメッセージを込めた。


「なんだその返事は?なめてんのか!」


掴んでいた手は、武器に変わり俺の左こめかみを叩く。全然痛くない、大丈夫だ。


「今日の夕飯は無しか?」


それだけは困った。ここが正念場だ、ゆうや。


「やだ。」


「文句だけは立派だな。」


すぐにカウンターを食らう。俺は利口だった。親以外の食べ物の拠り所を考えていた。思いつくのは、友達の家、親戚の家くらいだった。話せば、何とかなるか。


 しかし、俺は、食べ物が解決すればいいとうわけではなかった。一度、家ですれば、帰ることは難しくなる、それでいいのか。


 いや、いいだろう。こんな苦痛しか与えてこない親の元に居てなんになる。これから先ずっとこのままなんて嫌だ。


 しかし、妹は?妹はどうなる。妹に標的が移るかもしれない。それは避けたい。


 なら、あとで、妹と一緒に逃げよう。嫌だと言ったら…


 俺はそこで涙が出始めてしまった。どうして俺はこんなこと考えなければならない。こんなに苦しまなければならない。他の家族はこんなんじゃない。親同士が仲良くて遊びに行った佐藤くんの家族、従兄弟のまるちゃんの家族、テレビの中の家族…。分かっていた。俺の家族は他と違うんだ。


 奥の棚には家族写真があった。妹が生まれて退院したときの写真だ。寝ている妹以外、全員笑顔だった。妹ができてうれしかった。4歳の俺は、家族4人で仲良く暮らせると思っていた。


 それなのに。今は家から出るとかでないとかそんなことを考えている。あの頃の俺は、どんな家族を想像していたか、今でも覚えている。俺は、全員が笑顔で、喜びも悲しさも分かち合い、どんな時だって味方でいる、そんな家族を望んでいたんだ。もし、タイムマシーンがあるなら、あの頃の俺をここに連れてきて、見せてあげたい。そして、一緒に泣きたい。


 いや、違う。俺は、今日は、泣かない。さらに涙は加速する。それでも、俺は泣いていないと、まだ勝負は終わっていないと思っていた。この日の俺は、人生で一番勇敢で、強かった。


「また泣いてんのか。弱いな!」


父さんはあきれたように手を動かした。俺は泣いてなんかいなかった。弱くなんかなかった。


「大学なんか…行きたくない!」


攻撃は最大の防御だ。


「は?言っていいことと悪いことがあるだろ!」


 そんなことも分からないのか、と父さんは俺を手で掴もうとした。しかし、もう俺は、反撃の狼煙をあげていた。俺は今まで、避けられても避けなかった父さんの攻撃をかわし、部屋を出た。俺が今まで、どんだけお前に尽くしてきたかわからないのか!という声が聞こえたような気がしたけど、家を出た。ただ、走った。泣かないように。泣かないように。


 そして、一番近いおばさんの家までたどり着いた。後で聞いた話だが、その距離は約2.5キロだったらしい。俺は、親が探しに来ないことに心底絶望した。後で聞いた話だが、どうせ戻ってくると言って父さんは母さんが探しに行くのを止めたらしい。止められて止めるのかよ、とも思ったが、そんなことどうでもいい。目的地に着いた俺は、全てを話した。それを聞いたおばさんが俺を抱きしめてくれた時、俺は泣いてしまった。だけど、もう勝負は終わっている。俺は勝ったんだ。父さんにも、自分にも、そして『理不尽』にも。


 人は生まれながらに自由なんだ。


 おじさんはそう言ってくれた。好きに生きていいと言ってくれた。その日は泣いて眠れなかった。妹のこともあったし、仕方ない。もちろん、親からは電話がかかってきたけど、おじさんがしばらく預かると強くいってくれた。中学も許可をもらい、そこから登校した。


 妹はあとから聞いたけど、俺みたいな扱いは受けなかったらしい。まあ、だからといって、許さないけど。


 俺は幸せな家庭を作ると決めた。言葉なんか選ばなくていい、進路なんて自由でいい、そんな家族を、作ると決めた。高校3年になって、俺は大学に入った方が給料がいいことを思い出し、その方が良い人と結婚できると踏み、本格的な受験勉強を始めた。見た目が重要だと知り、受験が終わったあと、髪型、ファッション、アクセサリーなんかをたくさん調べ、計画を立てた。コミュ障を改善しようと努力もした。そして、大学では素晴らしい人に巡り合えると、そう願っていた。


 俺は、親に言われたからじゃない。夢を叶えるために大学に来たんだ。






「いや、嫌われたくないなーとか思うと、考えちゃって。」


ありがとう、しおり。俺は大切なことを思い出したよ。半年たっただけで忘れるなんて、ありえないな。


あきが、俺と結婚して、どうなるかなんてわからない。ただ、俺はあきからは、冷たさに包まれた優しさを感じるんだ。それは、誰よりも強く、誰よりも大きい気がした。感覚的だけど。あきはなんというか、弱い人の気持ちが分かる気がするんだ。だから、様子を見る意味も含めて、これからもあきを誘い続けようと思った。


「まあ、そうだよね。」


「うん。でも次は、考えすぎず頑張ろっかな!」


「なんだそれ。失言しないようにね。」


俺達は笑った。そのあと、感謝を告げて、解散した。


 腕を大きく振って歩いた。俺は自由なんだ。


 なにそれ。


 頭の中のしおりが言う。


腕時計をもう一度見る。え、もう九時半?!


 まあ、いっか。


 しかし、この腕時計かっけー。さらにモテるかもな。前の持ち主は誰だか知らないけど、見つかるまで預かっとくわ。


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