おもい

 俺は課題が嫌いだ。


 俺は未来永劫、他人を変えようとしたくない。なぜなら、他人に変化を求められることは、不快な気分を伴い、怒りや悲しみと言った感情も抱く。教師や親がなぜ、子供に怒るか、といえば、それはその子に変わってほしいからであるだろう。しかし、怒られて良い気分になる人はほとんどいない。それどころか、怒った人に対して嫌悪感を抱くことが多い。それは当然である。自分の生き方を否定され、他人に強制されることは苦痛以外の何物でもない。だから、俺はそう言ったことはしたくない。


人は生まれながらに自由である。


 その自由を侵害されることは、あってはならないと思う。俺がこの考えに至ったのには理由がある。まず、小さな頃から怒られることが嫌いであった。なぜ、自分の行動に文句を言われなければならない。そう考え続けてきた。他にも理由がある。俺は英語が嫌いだった。英語と言う言語が嫌いというわけではない。日本の英語という学問が嫌いである。理由は最近まで分からなかった。あくまで考察だが、英語は課題が多いからではないか、という説を唱える。課題は学習の強制だと俺は思う。課題を与えることによって、強制的に英語を学習させることはできるが、生徒は苦痛を感じ、どんどん英語が嫌いになっていく。そして、俺のような英語が嫌いかつ、できない人間が完成する。


 しかし、向かい風は強い。人間は怒られたり、辛い思いをして人間は成長していくと言う考えの人は多い。厳しい環境に身を置き、自分を鍛えろと言う人もいる。子供のマナーが悪い時、親はきちんと指導しているのか、と疑われる。子供の成績が悪い時、教師や親は勉強させているのか、と問う。今の日本にはそういった風潮がありふれ、強制することは正当化されつつある。そうして、大人の望むようなモデルに、子供は少しずつ少しずつ溶接されていく。それは、生まれ持った個性が削られていっているような気がする。ただ、先に生まれ、力があるからといって、子供の自由を好き勝手に奪って良いことはない。


とにかく、強制することによって、子供をよくしようと考えている人は多くいるし、そうしなければ人は変わらないと考えている人は多いだろう。


 なら、人間は強制されないと変われないのか。もし、人間が誰にも怒られずに育ったら社会不適合者にでもなるというのだろうか。


 そんなことはない。生きていて、こうしたほうがいいのかもしれない、と考えることはある。誰かのようになりたいと思う時もある。失敗から生活を変えることもある。そうやって人は成長していく。環境にも適合していく。人間は周りを見て学ぶことができるのだから。


だから、俺は、してくない。


それに、強制の加速が人を死に追いやったり、精神病を患わせたケースだってあるのだから。


 俺は英語が嫌いだ。


 この考えを持っていると、大学、いや学校というものは、ひどく苦痛を感じる場所である。卒業し、夢を叶えるため、大学に通っているが、正直苦しい。


 今やっているこの英語の課題。この課題が俺に及ぼすことはなんだ?やり終えたとしても大して力はつかない。なぜなら、分からない単語を見つけては辞書で調べ、文を訳していくというこの課題は『作業』であり『学習』ではないのだ。与えられたものを消化しているだけ。学ぼうと言う気持ちがなければ力はつかない。単語の意味など、書いたらそのまま忘れていく。


 それに加え、この課題は俺に大きな精神的苦痛を与える。俺は、ゲームに筋トレに読書がしたい。それなのに、もう2時間、俺の時間を奪っている。ほとんど意味のないこの作業に。


もう少しで終わる。だが、もう飽きた。もう疲れた。俺は疲れている。俺は腹が立っている。こんな課題が毎週あって、それをただクリアする日々。このほかにも課題があって、俺の時間はどんどん奪われ、どんどん苦しくなっていく。


 ダァン!


 机に拳を振り下ろす。だめだ、一回休もう。


 体が自然と外に出る。散歩をしよう。


 前から課題はきらいだったが、こんなにも怒ることはなかった。理由は明確だ。


 あきと別れたからだ。


 あきと一緒にいることは、俺にとって大切であった。俺はあきのためと思えば、課題も頑張れた。


 これは決して、あきに惚れているからとか、こじつけているわけではない。あきの家庭は厳しかった。あきの両親は、早くに亡くなり、祖母のもとで高校まで暮らしていた。大学になってからはバイトを二つ掛け持ちしながら、寮暮らしをしている。


 俺はそんな彼女を支えたかった。大学でも、就職しても。そのためには、嫌な課題だって頑張らなきゃならない。ちゃんと就職して、お金をもらって…。


 情けない。感情的になって別れを切り出した俺、再び連絡を取ることができない俺、謝ることができない俺、課題に対して文句しか言えない俺…。


 外なら、怒りをあらわにし、何かを殴ったりはできない。だから、自然と怒りは消えていく。それに夜の街は綺麗だ。スーツを着た人、制服を着た人が歩いている。きっと彼らも今日と言う課題を終え、家に帰るのだろう。頑張っているのは俺だけじゃない。


 いつもの散歩コースを歩く。一人で外食でもしようかと思い、飲食店が並ぶ通りに道を変える。一人で食べる飯も悪くない。


 この辺りは、大学が近いこともあって、大学生が多い。特に、陽キャが。知り合いに会うと、一人でいることを馬鹿にされそうだから、遭遇したくない。


 と、考えていた矢先、サイゼから見知った顔が出てくる。


 ゆうやくんだ。


 とっさにバックして引き返す。サークルのメンバーだろうか。だとしたらメンツが気になる。


物陰から、顔を出して見ていた。続いて中からでてきた人物を見て、俺はもう、ダメだった。


 は?という言葉を頭の中の自分が発する。体は勝手に走り出していた。一刻も早くここから離れたい。あのおぞましい真実から逃げたい。どこまでもどこまでも。


 しかし、立ち止まる。一気に脳から怒りの感情が全身の血管を駆け巡る。そしてそれが戻るかのように頭に血がのぼる。指先には力がこもり自然と拳を握る。


 ゴンっ


 周りに殴れるものがなかったので自分の太ももの側面を殴った。痛い。だが、痛みなどどうでもよい。


 なんでそうなるんだ…


 俺は通りかかる人間の全てを睨みつけながら家に帰る。机を3発殴る。椅子を蹴り倒す。ベッドを全力で踏みつける。その振動で部屋の者が落ちる。下に落ちたものを全力で反対側の壁へ叩きつける。さらに物を殴る。


 部屋はいつの間にか、足場を無くすほど散らかり、だんだんと体の痛みを感じるようになってきた。手は晴れ上がり、体の数か所にはあざができていた。さらに怒りがこみ上げる。こんな傷も俺が正常な人間なら付かなかったと思うと、この時間もすべて無駄なんだと。もう一度、自分の頬を殴り、廊下に出る。


 これが、極限までストレスが溜まった人間の末路だ。


 こういう人間を作らないためにも、子供達にはストレスを感じてほしくない。怒りのあまり自分を失うような人間になってほしくない。


 だから、俺は教師になる。この気持ちが分かるからこそ、子供達には優しくするのさ。


 ん?違う。俺はあきを見たんだぞ。


 俺はそのことを忘れていた。なぜ怒っているのか、さっきまで分からずに怒っていた。


 あき、お前ふざけんなよ。


 もう一度だけ、机を殴る。その力は弱く、机には水滴が2つ、3つと増えていた。


 俺にはもう、無理だ。


 あきと会えないこの生活はあまりにも厳しくて。厳しくて。こんなことが分かっていたら、あんなこと言わなかったのに。


 過去の自分に会いに行きたい。そして激論を交わした末、頬を殴って、「後悔するぞ。」と言ってやりたい。


 タイムマシーンが欲しい。俺は、心からそう思う。


 俺にはもう一つ理由がある。


 腕時計を、失くした。どこで失くしたのか見に行きたい。


 あれは特別な腕時計だった。俺にプレゼントをするお金などないはずのあきが買ってくれた、特別な、特別な、腕時計。俺の誕生日にサプライズでもらった。もともとプレゼントは要らないと言っていたので、余計に嬉しかった。値段などまったく気にならなかった。あのあきが俺の為にプレゼントを選び、買ってくれたことが最上の喜びで、嬉しくて泣くことなんて初めてだったのさ。


それなのにこの状況は何だ?腕時計もなくし、あきは違う男と飯を食いに行っているだと?


 タイムマシーンはやっぱりあっちゃいけない。もしあったら、過去の自分が今の自分を見た後、ぼこぼこに殴るだろう。


 泣いたらひどく冷静になった。そうだ、まだ英語の課題が残っているんだった。


 俺は決めた、この英語の課題が終わったら、自分の課題もやる。あきに謝罪の連絡を入れる。もちろん、復縁しようだなんてことは考えていない。いや、できるならそうしていがそれは余りにも無責任でおこがましい。そうではなく、自分の非を認め、謝罪の気持ちを示す事の方が大切だ。


 少し怖いのは、ゆうやくんの存在だ。彼は俺を確実に良く思っていない。それはサークルに行っていたころから、思っていた。あきに何か言っていないといいが。そもそも付き合っていたことすら知らないかもしれないが。


 俺は誇らしかった。自分が贖罪の道を選んだことが。


 笑顔で課題へと向かった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る