理由
授業中に窓を見る。今日は曇り。なんだか空気がどんよりしている。私の心もどんよりしている。
雲がはっきりと見えるくらい、窓は綺麗だった。大学の教室は綺麗だ。今までの学校の中で一番。それは、生徒が掃除していないからだろうか。生徒が掃除しなければ綺麗になる。それは悲しく、遠回しに掃除するべきではないと言われている気がする。子供にはできないことがあると言われている気がする。あなたはこのことについてどう思う?きっと、掃除をすることに意味があるのだと、結果よりも大切なことがあると、そう言ってくれるよね。
今日も腕時計はしていない。
今日、私が返すね。心の中でそう言った。
先週、腕時計を拾ったあの日から、私は学校に行っていない。あの男の子にひどいこと言われちゃったから、という理由もあるし、自転車の鍵がまだ見つかっていない。いや違う、探していないんだよね。学校に行くのが億劫になっちゃって。
木曜日はほとんど1日中寝込んじゃった。水曜日に眠れなかったから。昼夜逆転は本当に辛かった。直すのにとても時間かかるし、昼間眠いのが本当に辛い。そして金曜日にはお父さんから電話がかかってきて、私はさらに落ち込んじゃった。でも、決めたの。腕時計返すって。だから、今日は頑張って学校に来たの。あなたとの接点は、英語しかないから。
もし、この腕時計を拾っていなかったら、もっと学校に行っていなかったかもしれない。そうしたら留年しちゃうし、お父さんにも怒られる。でも学校って辛いこと、たくさんあるんだよ?教室を見渡しても、私以外、みんなおしゃれなアクセサリーしていたり髪の毛を染めてたりする。私がやらないのは、勇気が出ないのもそうなんだけど、ダメって言われてるの。
私は聞いていなかった先生の話を補うために、ホワイトボードを見る。何個かの単語が書かれていて、それが重要な単語だと想定する。とりあえず、ノートにメモする。
突然、前の人が指名された。そして文を訳せと言われる。
彼の声はいつにもなく明るかった。自身満々に答えてたのに間違ってて笑っちゃった。
次に私が指名される。簡単な文だったから何も直されなくて良かった。
答えた途端、安心しちゃって私は就業のチャイムと同時に起きた。周りを見て、状況を把握する。もうどんどん人が帰っていってて私は、先生と二人きりになるのが嫌だから、急いで出る。少し息切れして、ドアの前に滞在する。
あ!
腕時計返すんだった。
私は授業が始まるぎりぎりに来たから、渡す暇がなくて、終わったら渡そうと思ってたのにそれも寝てたからできなかった。どうしよう。とりあえず、大学を出てみるか。
大学を出ると、右手に図書館、左に食堂がある。食堂を見て思い出す。先週、彼は学食を食べていた。もしかしたら今日も行っているかもしれない。
食堂に向かって歩き出す。お願い、どうか彼がいますように。
私はドキドキしていた。その理由はいなかったらどうしようという不安が半分。もう半分は、彼と話せることのわくわくと緊張。彼とは話して見たかった。でも、変な人だなーとかブサイクだなって思われたらどうしよう。
入り口で立ち止まる。深呼吸深呼吸。
入ると、広い部屋に複数の座席がある。たくさんの机と椅子。この時間はそんなに混んでない。でも、多分、お昼の時間は全ての机と椅子が大学生に使われる。
かなり奥の端の方に彼がいた。良かった。心からそう思う。
彼は一人で食べていた。それも幸運だった。
少し離れたところに人が何人かいて、その人達に見られていないかしどろもどろに近づく。
知らない人に話しかけるなんて何年ぶりかな。
私は勇気を出す。このために学校に来たんだ。
「あ、あの、」
彼は振り返らない。聞こえなかったかな?
もっと前進して彼の横に立つ。
「あの…」
「ん?あ、はい。」
彼は、何の用ですか?という顔をする。でも、その表情に悪気はなく、次の言葉を待っている。
「腕時計、なくしませんでした?」
先に自己紹介したほうが良かったかな。
「あ、なくしました。」
彼の目は、ひどく悲しくなり、私の目とは違う方向を見た。その悲しみについて話を聞きたいような触れたくないような…。とりあえず、返そう。
「もしかしたらこれ…」
私はリュックの肩ひもに付けていた腕時計を見せる。いや、どこにもない。
え?
キョトンとした顔で、彼は私を見ている。やばい、見つけないと。もしかしたら、中に入れたのかな?うん、きっとそうだよね、大丈夫。
リュックの大きな口を開け、中を探す。今日は荷物が少ない日だから、底がしっかり見える。それでも、見つからない。
「もしかして、あなたもなくしました?」
彼は口角を上げながらそう言った。本当に情けないし本当に恥ずかしい。せっかく、ここまで頑張ったのに。何でなくしちゃうんだよー。
「ご、ごめんなさい。」
涙目だった。だって、こんなの、あんまりだよ。
後ろから人が通ろうとして私を避ける。その人に頭を下げている私をじろじろ見た。
「あ、ああ、全然大丈夫ですよ。とりあえず、座ったら?」
彼は私を見ていた人を見ながらそう言った。はい、と細い声を出しながら隣に座る。彼は途中だった食事を止めて、話してくれていたみたいだ。
「あ、英語同じだよね!」
いきなり笑顔でそう言った。私は、
「うん!」
と言った。なんだか、顔を覚えていてくれたことが嬉しくて。私も笑顔になる。涙はもう、枯れたみたい。
「え、えっと…どこで拾ったの?」
私は先週の出来事を思い出す。ゼミの後、男の子が私のことを話しているのを聞いて、走って大学を出た。広場のベンチの下に腕時計はあった。
「広場のベンチの下に落ちてたよ。」
彼は考え込んでいる。目を泳がせながら。
「広場のベンチなんて、行ったことがない。なんでそんなところにあるんだろ。」
落としたんじゃないの?
「その広場には他に何かあった?」
私は寄りかかっていたものを思い出す。
「ごみ箱くらいしかなかったよ。」
「ごみ箱か、何かを捨てに行ったときに落としたのかな。」
なくした原因は分からなかった。せめて返すことさえできれば良かったなのに。
「あ、ごめんごめん、どこでなくしたのか思い出せなくて。」
彼は謝った。謝るのはこちらの方だ。
「私こそ、なくしちゃってごめんね。」
恐らく、この謝罪のキャッチボールは、彼が止めなければ終わらなかったと思う。
「あれ、もらったものだったんだよね。」
そうなんだ。
「その人と、会わなくなったんだけど、その途端、なくなって。」
彼は私と話しているというより、世界にはなしているようだった。自分の中に隠していたものを公表するように。
「うん。」
「だから、なくなった理由が気になってね。」
私は気になった。その相手が誰であるか。友達だったら、友達だって言うから、恐らく恋人さんだよね。
「ごめん、関係ない話を。」
彼はとてもとても辛そうだった。私はもっと話を聞いてあげたいと思った。
「大丈夫だよ。」
それでも、彼は遠慮した。
「じゃ、俺は帰るかな。」
立ち上がる。でも、私は考えた。もしかして家にあるかもしれない。
「あ、あの…。もし見つかったらどうすればいいかな?」
もちろん、すぐ返すべきだが、接点は英語しかないから、次に渡せるのは来週になってしまう。
「じゃあ、連絡して。」
と言って、彼はQRコードが移った画面を私の目の前に出した。本当に突然のことで狼狽した。
でも、断る理由はないよね。
「分かった。」
私は彼を登録した。その登録の時、名前が分からなくてまた狼狽した。
「あ、なんて名前で登録しよう。」
と言ったのは彼だった。
「私はちなつでいいよ。」
フルネームを言おうか迷ったけど、恥ずかしくてやめた。
「おっけー。俺はあきらで。」
じゃ、またね。と言って行ってしまった。またね、か。私は、ついに彼と連絡先を交換し、名前も聞いちゃった。
私は彼のいない机でにやけた。彼が座っていた椅子を見て、微笑んだ。
また、一緒に食べられるかな。
私は嬉しかった。
帰ったら、腕時計探そうっと。そしたら、また会える。
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