ルチアの天使
社長への報告も済み、特命課の仕事も終ったようなものです。それでも最終報告書を仕上げるのと、かき集めた資料の整理・返還が必要です。どちらも大変でしたが、一週間ぐらいでなんとか終えました。
「終わったね」
「なんとかね」
午後も遅くになってようやく片づけが終わった特命課で、ミツルと二人でなんとも言えない満足感というか達成感に浸ってました。ちょっとムードが盛り上がって来て、ミツルは私をそっと抱き寄せてくれて、私はミツルの胸に顔を埋めさせてもらっています。
「ずっと二人だったのに、こんな甘いことをするのは初めてじゃない」
「そりゃ、課長が仕事始めたら」
「鬼になる」
そうやって笑ってました。
「それにしても、社長も言うことに事欠いて、私が天使だって言われて焦っちゃった」
「いや、ボクも間違いなくそう思う」
「もう! ミツルまで」
「だって京都の時のことを覚えてる?」
そういえば、由紀子さんを知ってられた方は、誰もが私に天使の雰囲気があると言ってました。
「私、べつに天使じゃなくてもイイの。ミツルにさえ嫌われなければ満足なの」
「それはこっちのセリフだよ。天使のシノブを他の男に盗られないか、毎日ヒヤヒヤしてるよ」
「私なんか、誰も盗みに来ませんよっと」
そうやってふざけあって時間を過ごしました。ところで今夜はミツルと別々。別に喧嘩した訳じゃなくて、とにかく二か月、ほぼベッタリで仕事していたもので、ミツルは久しぶりに営業の連中と飲みたいとのこと。そうだよね、特命課の仕事が終わればミツルは営業に戻るだろうから、その前に挨拶ぐらいしておきたいだろうし。そいでもって、私は歴女の会の飲み会に。
「シノブ課長は総務に戻られるのですか」
「だからサキちゃん、課長と敬語はやめてよ」
ミツルは特命課に来るにあたって、とくに肩書の変更がなかったから、営業に帰れば元の席に戻るだけだろうけど、私はどうなるんだろう。とにもかくにも課長になっちゃったから、素直に元の席に戻るって事にはならないもんね。
そうなのよね、データ分析のチーフはコトリ先輩で肩書は課長だけど、ひょんな事から同格になっちゃったんだ。同じ部署に課長が二人もおかしいから、どっちかがいなくなるかもしれない。でも、そうなったらコトリ先輩と同じ仕事を出来なくなっちゃうやん。それも、寂しいな。
でも、私がデータ分析のチーフになる可能性はあるよね。とにかくコトリ先輩、あちこちのヘルプに忙しすぎて、特命課に行く前だって、実質的に私がチーフみたいな役割だったもの。ヒョットしたら、コトリ先輩、次長にでも出世されるかも。私が課長だから、先輩が次長でない方がおかしいもん。そうなったら、また先輩の下で働けるかも。そんなことをサキちゃんと話しながら考えてたら、ポンポンと肩を叩かれて、
「シノブちゃ~ん、じゃなかった、シノブ課長」
コトリ先輩です。
「今日はシノブちゃんでもいいよね」
「も、もちろんです」
「聞いたわよ、特命課の仕事って、大変だったって」
「そんなでも・・・」
先輩はジョッキでビールをぐいぐい飲みながら、
「ところで先輩。例の秘儀って何年生の時に受けられたのですか」
「二年の時だよ」
「あれっていきなり選ばれるんですか」
「これって、特命課のお仕事の続き?」
「違いますよ。やっぱり聞きたいですもの」
コトリ先輩によると、聖ルチア女学院では毎年のように天使を探していたそうです。
「それがね、変な試験なのよ。今でも残ってるけど、あの聖堂の祭壇の前で順番に祈りを捧げるんだけど、そこから何人か除外されるの」
「祈り方とか、その姿勢とかですか」
「それもあるかもしれないけど、たぶん関係ないわ。だって、その祈りの時にさぁ、なんか裾ひきずるような服着せられるのよ。とにかく歩きにくくて、祭壇の前に行くときに裾踏んづけて、転んじゃったもの」
コトリ先輩ならやらかしそうな。スカートよりパンツが今でも好きだものね。
「次もあるのですか?」
「次はね、これはもうなくなっちゃったけど、池の周りを歩かされるの」
「歩くだけ?」
「そうよ、これも理由はしらないけど、なるべく池の近くを歩けって。とりあえず一周回ってきたら、そこから何人かまた除外されるの」
たしかに変な試験だ。
「それで終わりですか?」
「次もあって、これは日を改めてだったけど・・・」
どうやら何段階もの試験みたいなものがあって、段々絞り込まれていくのだけはわかります。聞いてると、試験はある時期にまとめてやったり、一か月ぐらい開くことがあったりみたいですが、驚いたことに最終的には一年がかりになっています。
「そうなのよ、結構メンドクサイのもあったから、途中で逃げ出そうとしたんだけど、コトリが行かなかったら、その試験ごと延期になってて、ごっつい叱られた」
半年もしないうちに残っているのはコトリ先輩だけになり、試験の準備も大がかりになったようです。
「ルチアの天使って、入学する前は格好良さそうっと思ってたけど。選ばれるまで、あんな大層なものやと、ようわかったわ。それとね、試験は色々あるけど、その課題みたいなものが出来るかどうかが合格基準じゃないのよね。もう鬱陶しいから『やめたれ』思て、わざと失敗しても合格って言われるんだもの」
聞いてると試験官である神父は天使候補者の何かを見出そうとしているのだけはわかります。
「最終試験ってのも、今から考えても変やった。真っ暗な部屋に入れられるの」
「それだけですか」
「訳わかんないけど、そのうち神父さんが涙流しながら入って来て、コトリの前にひざまづくのよね。それから祝福ってやつかな、なにか言うんだけどさぁ、神父さんってイタリア人でさぁ、日本語はカタコトもイイとこだったの。あれイタリア語だったのかなぁ、ラテン語だったのかなぁ。とにかく何言うてるか、サッパリわからんかった」
「コトリ先輩はカソリックですか」
「いいや、家は曹洞宗やけど」
宗派なんて関係なく、やはり何らかの能力を見出そうとしてたのかなぁ。
「それで、ルチアの天使になられて良かった事はありますか」
「う~ん、う~ん、う~ん、別に試験でラクさせてもらったことはなかったし、学費免除になったわけでもないよ。やらされた事っていえば、聖堂での儀式の時には、なんかキラキラの服着せられて、これもなんかゴテゴテした変な椅子に座らされた」
「天使のユニフォーム?」
「かなぁ。でもね、シノブちゃん、離れて見たらキラキラやったかもしれへんけど、実際に着せられるとカビ臭くて往生した。クリーニングとかせえへんみたい」
「他には」
「他? あんなもんメリットやないけど、天使の教会でのミサにも引っ張り出されて、同じような格好してエライところに座らされた。あの学校、とにかくガチのミッション系やったから、その手の儀式や行事が多くて、そのたびに引っ張り出されて参ったよ。ホンマ、エライもんになってもたと思ったもん」
コトリ先輩の話を聞いていると、ルチアの天使に選ばれてもロクなことはなかったみたいですが、聖ルチアの話を漠然と思い出していました。聖人伝によるとルチアは母親の病気を治すために聖アガタの墓に参り、そこで聖アガタから母親の病気が治る事と殉教者になることを告げられます。
シラクサに帰ったルチアは婚約を破棄し、全財産を貧者に施します。これに怒った婚約者はルチアがキリスト教徒であることを密告し、ルチアは拷問を受けたとなっています。しかしルチアはあらゆる拷問に屈することなく殉教者になり、さらにシラクサの保護者になったと言われています。
聖ルチア女学院の神父たちは天使ではなく、聖ルチアの再来を探していたんじゃないかと考えたりしています。変な試験はルチアが受けた数々の拷問を模したものです。またルチアの名前の由来は光を意味するルクスまたはルーシッドからなのですが、ひょっとしたら最終試験の真っ暗な部屋に入れられたのは、これを最終確認するためのものだったとも受け取れるからです。キラキラの服だって天使に因むというより、聖ルチアに因んでいると考えると筋が通ります。
ただルチアの天使が聖ルチアの生まれ変わりであるなら、気になる事があります。ルチアは婚約を破棄し、真の婚約者である主キリストを選んだともなっています。真の婚約者が山本先生であれ問題ないのですが、違っていたら結ばれずに一生独身の可能性があります。
実は初代天使は不確かなところもあるのですが、どうやら未婚で終っている可能性があるのです。三代目については不明ですが、妙な胸騒ぎがします。こんなことを考えても仕方がないのですが、
「どうしたんシノブちゃん」
「うん、ちょっと」
「実はね、来週カズ君に会うんだけど、なにかいつもと違うことが起こる気がしてならないの」
「それは、ひょっとして」
「わかんないけど、あの日かも」
「先輩が必ず勝ちます。勝った先輩の笑顔を楽しみにしています」
「うん、頑張るわ」
ついに来週か。どうなっちゃうんだろう。
「ところでシノブちゃん、イイ笑顔になったねぇ」
「そうですか?」
「傍で微笑んでもらうだけでファイトが湧いてくる気がする」
そう言ってコトリ先輩は帰っていかれました。
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