ハワイへ

 翌朝は出勤前に綾瀬専務から電話があり、会社に行く前に是非会いたいと言われました。かなり切迫した様子が電話越しでもわかりましから、急いで指定された喫茶店に向かいました。そこにはミツルも先に到着していました。


「結崎君。急で悪いが、今から佐竹君と二人でハワイに行って欲しい。パスポートは持っているよね」


 去年、サキちゃんと香港に行った時に作りましたからあります。


「飛行機のチケットはこれだ。それとハワイではコンドミニアムを手配してある。向うでの滞在費用はここに用意した。期間はとりあえず二週間。場合によってはもう少し伸びるかもしれん」

「ハワイでの業務は?」

「何もない。というか、有給休暇で行ってもらうから、仕事ではない。そうだな、婚前旅行ぐらいと思ってもらえれば良いかもしれん。ただし、これからハワイに行くことは誰にも言ってはならない。連絡法は佐竹君に伝えた。必要があればそこからする」


 婚前旅行って聞いただけで顔が真っ赤になりましたが、専務の様子にはタダならぬ緊張感が漂っています。


「話がわかりにくいのですが」

「時間もないから手短にだけ話しておく」


 要は次期社長というか、社長の座を巡る権力闘争なのですが、次期社長の有力候補に専務がなっているのは私でさえ知っている社内の常識です。そうなると浮いてしまうのが副社長なのですが、この方も社長の椅子に執念を燃やしているぐらいです。


 副社長が社長の椅子に執念を燃やすと自然に副社長派が形成されるのですが、とにかく評価がイマイチですから、専務派に較べると劣勢で、このままでは社長の椅子は回りそうにないと判断したみたいです。


 そこである種のクーデター計画が進められているみたいです。社長の不祥事というかスキャンダルをネタに主導権を握り、社長と専務を叩き落として一気に社長の座を奪うぐらいでしょうか。そのスキャンダル・ネタがなんと、なんと特命課になってるそうなんです。


「そんなぁ、私たちは命じられた業務を忠実に行っただけです」

「そんなことは、社長も私もよく知っている。だがな・・・」


 特命課の設置経緯も目的も不透明な部分があるのは確かですし、私が五階級特進になった理由だって社内に公表できるようなものではありません。さらに、特命課が調べ上げた天使伝説も、その内容から社内秘どころか、社長と、このプロジェクトに関わった五人だけの秘密になっています。つまり見方を変えれば成果は無しです。そこで副社長派は私を社長の愛人に仕立てる作戦のようです。


「さらにだ、結崎君の潔白を証明するには天使伝説を公表せざるを得なくなる。これだけでも避けなければならないのだが、天使伝説も見ようによっては根も葉もないオカルトみたいな話だから、そんな酔狂な調査にムダ金を注ぎ込んだ責任問題として食いつかれかねない」

「そんなぁ」

「とにもかくにも、結崎君も、佐竹君も会社にいるだけで拙いのだよ」

「どうなるのですか」

「これから副社長派を粛清する。それが落ち着くまでハワイでバカンスだ」

「勝てるのですか」

「はははは、社長は怖い人間だよ。やる時には徹底的にやる」


 ふと、社長が苛烈な権力闘争を勝ち抜いて今の地位に就いたことを思い出しました。就任後の粛清人事も徹底していて、そのために天使の調査が難儀したこともです。私が特命課の仕事で顔を合わせる分には、人の良さそうな優しいオジサンですが、よく考えれば実力者の専務も、高野常務も社長に心服しているのはわかります。


 とにかく急いで旅行支度を整えてミツルと空港に向かいハワイに飛びます。妙に張りつめた感覚がずっと続いて、私もミツルも飛行機が飛び立つまでほとんど無言状態でした。飛行機が水平飛行に入った頃にようやく緊張が少しゆるんで来て、


「ミツル、私たちどうなっちゃうんだろう」


 ミツルは綾瀬常務からもう少し話を聞いていたみたいで、副社長派のクーデター計画は中立派の取り込み工作も進められていたようです。最終的には取締役会議での多数派形成が必要だからです。


 ここも私にはわかりにくい点が多いのですが、スキャンダルで社長を追い詰める時に、中立派と見なされている人物の付和雷同があれば、一気に中立派が靡くだけでなく、社長派も動揺して副社長支持に回るぐらいでしょうか。社長派にクーデター計画が漏れたのは、中立派からの通報か、これも工作に動いていたと考えられる有力株主からの線もあるのではないかとミツルは推測していました。


「社長は勝てるかな」


 とりあえず、もし負けると特命課の二人は良くて左遷、懲戒解雇も十分ありえるとミツルは言います。特命課は社長の肝煎りで出来てますし、実質的な監督者は綾瀬専務ですから、ガチガチの社長派に見られているはずです。なにより私は社長の愛人疑惑の当事者にされているのです。


「でもシノブ、天使に逆らっている副社長が勝てるとは思えないよ」

「えっ、コトリ先輩もからんでるの」

「違うよ、シノブのことだよ」

「またぁ、私が天使のはずないやん」


 とにかく私は不安で、心配で、あれこれミツルに聞いてしまうのですが、ミツルだってそんな上層部の動向に詳しい訳でもありません。そりゃ、ここ二ヵ月ばかり特命課に隔離されてたようなものだからです。


「そうそう、昨日、営業の連中と飲んだ時だけど、シノブの評判が凄まじかった」

「なんて言われてるの」

「輝く天使と二人っきりで仕事しているなんて、羨ましすぎるって」

「そんなぁ、私が輝く天使ってなによ」

「どれだけ責められたことか。もし、ボクがシノブを奪ったら殺してやるって、そりゃ怖いぐらいの勢いだった」

「私は、もうミツルだけのものよ。他にはなんにも見えなくなってるんだから」


 ミツルは二人でやきもきしたって、どうしようもないから、この際、楽しもうって言ってくれました。『それでも、それでも』って私は食い下がっていましたが、時間が経つにつれて、そうしようって気分になってきました。

 そんな気分になった途端に、急に顔が真っ赤になっていくのがわかります。二人っきりでハワイのコンドミニアムで過ごすわけですから、当然そうなります。というか、そうならない方が不自然です。もう何も二人がそうなるのを遮るものはないのです。


「どうしたんだ、シノブ、熱でもあるのか」

「ううん、熱なんてないよ。これからミツルと二人っきりで過ごすと思うと」

「そっか、そういうことか。でも、まだ小島課長の決着はついてないよ」

「ミツルは嫌なの」


 そこまで話した時にミツルの顔も赤くなっていくのがわかります。


「誰が嫌なもんか、シノブに夢中にならない男なんていないよ」

「またぁ、ミツルはもてるから心配なの」

「ボクだってシノブがもてるから心配なんだ。それと何度でも胸を張って言えるよ。シノブを一目見た時から、シノブ以外は何も見えなくなってる。シノブは間違いなくボクの天使だから」

「ミツルだけの天使なら許す」


 そこから話題はいつしか天使伝説に流れて行きました。


「ところでさぁ、大聖歓喜天院家の能力って血縁者の女性に受け継がれるんだよね」

「そうなってる。それも一代につき一人ってなってる」

「あれって、どうして血縁者だけなんだろ」

「ボクもなんとなく血縁者でなくても良い気はしてるんだ」

「ミツルもやっぱりそう思う。たぶんさ、昔は一族の財産とか、宝みたいな扱いで、外に流出しないようにしていたと思うのよ。だから、あんな変わった風習持ってたと思ってるの」

「実はね・・・」


 これはミツルが叔母さんから『絶対に内緒だよ』って言われて教えてもらった話だそうですが、教祖は本当に観音様みたいに慈悲深い人だったそうです。現世利益も惜しみなく振りまいていたともなっています。だから熱狂的な信仰を受けたぐらいでしょうか。


 ただ教団となると、教祖の現世利益をカネに換えようとする幹部がドンドン増えて勢力を増やしたそうです。教団運営にもカネは必要ですが、これが目に余る状態になっていたのを教祖は苦々しく感じていたとされています。


 教祖も晩年になると長女に利権派幹部がベッタリとくっ付いていたそうです。教祖は現世利益を利権に換える行為を苦々しく思っていたので、利権派幹部はより自由に幅広く利権行為を行うために二代目教主候補の長女を取り込んでいたぐらいです。


「でもさぁ、長女が能力者になるかどうかわからないじゃない」

「そうなんだけど、大聖歓喜天院家では必ずしもでもないけど、やはり長女に能力が受け継がれる事が多かったみたいなんだ」


 長女は利権派幹部に取り込まれた状態になり、やがて母である教祖との関係も険悪になったそうです。教祖と長女の対立が出て来た時点で、利権派幹部は保険を掛ける意味で次女の取り込みも図っていたとされています。


「三女はどうだったの」

「三女は教祖の考えに賛同していたから利権派幹部と対立関係にあったんだ」

「ちょっと待って、ちょっと待って、それって教祖は能力を伝える相手も時期も自分で選んでるって事なの」

「そうとしか解釈できないんだよ。だから血縁者以外にも伝えられるんじゃないかと思うんだ」


 ミツルは付け加えて、叔母さんも能力継承が具体的にどうなっているかは教団の秘密を越えて、大聖歓喜天院家の秘密になっていて具体的には良くわからないとしています。


「もう一つ、良くわからないのは、なぜ一代に一人だったかなの」

「そりゃ、複数いたら家督相続争いになるからじゃないかなぁ」

「それもあるかもしれないけど、もしかしたら一人にしか伝えられなかった可能性はどう?」


 ここまで話が進んだ時に、私の脳裡に浮かんだものがあります。ユッキーさんの夢の中の言葉です。


『私とカズ坊からのプレゼントは変わらないから安心して。シノブさんのこれからの人生で役に立ってくれると嬉しいわ』


 まさか、まさか、ユッキーさんからのプレゼントって、大聖歓喜天院家の天使になり、誰かに天使の能力を伝える力だとか。もしそうだったら、これからは大聖歓喜天院家に能力者は出現しなくなります。


「ミツル、天使になるって幸せなことなのかな」

「それはボクもこの調査でずっと考えてた。わかってる範囲で幸せになってない天使が多い気がするんだ。由紀子さんもそうだし、由紀恵さんだってそうだよ。もっといえば、由紀子さんの叔母さまも、そうの気がする」

「コトリ先輩だって、あれだけ素敵で綺麗で、あれだけ出来る人が、未だに独身のままなんだよ。それに今度の恋だって、選りによってのライバルがいるもんね。天使だったら、もっと思うがままに、自分の選んだ人と結ばれて、そのまま幸せに暮らしていけそうなものなのに」


 ミツルもなにか思いついたようでした。


「天使っていうから誤解しやすくなるけど、能力の本質は周囲への影響力の気がする」

「それはわかる。コトリ先輩もそうだし、ユッキーさんもそうで、良い事ばかりが影響する訳じゃないものね」

「でもね、善悪両方の面はあるけど、なるべく善の方にしたい設定があると思うんだ」

「どういうこと」

「善の影響力を周囲に及ぼすためには、本人が幸せであることが必要だろ。女性が幸せになるために綺麗になる、魅力的になる能力はあるんだよ。単純化すれば、女性は綺麗な方が幸せになりやすい」

「とは限らないでしょ」

「限らないけど、綺麗であって不利なことは少ない。わかりにくいかなぁ、女性として幸せになれる条件は、ちょっと過剰なぐらい与えられるけど、それを使って幸せになれるかどうは本人次第で、能力とは無関係ってところかな」


 ミツルの言葉から由紀子さんのことを思い出していました。由紀子さんの選んだ男は、結果的に由紀子さん、さらには由紀恵さんに大きな不幸をもたらしています。後からみれば、天使なのに何故に回避できなかったかの疑問がありましたが、天使だってそこまではわからないのです。


 それをいえばコトリ先輩もそうで、ある意味、危険な山本先生への恋に走ってしまっています。山本先生がイイ男なのは認めますが、べつに山本先生じゃなくたって、コトリ先輩なら幸せ一杯の結婚が出来るはずです。


「じゃあミツル、仮にだよ、あくまでも仮にだけど、私が天使ならどうなるの」


 ミツルは少しだけ考えた後に、


「ボクがシノブを幸せにしたら、シノブの笑顔は輝き、ボクだけじゃなくて、周囲も巻き込んでみんなが幸せになれる。逆にボクがどうしようもないハズレだったら、シノブの笑顔は消え、周囲は確実に不幸に見舞われる」

「なら安心した」

「なにを?」

「だってミツルは天使が選んでくれた相手だよ。保証付で私を幸せにしてくれるもの」


 そのあたりで朝から緊張しまくっていた反動か眠たくなってしまいました。ミツルもそうだったみたいで二人ともぐっすりオネンネ。目覚めたのはホノルル空港に到着する頃でした。空港からまず専務が手配してくれていたコンドミニアムに。


「ホントにここなの」

「間違いないよ」


 ちょっと圧倒されそうな建物でした。チェックインを済ませ、部屋に案内されると、


「うわぁ、広い、それになんて豪華な・・・」

「シノブ、ワイキキ・ビーチが一望できるよ」

「きれい・・・」


 しばらくは部屋の中ではしゃいでいました。とにかく急な出発だったもので、長期滞在するには服とか日用品とかをもう少し買いたいと言ったら、近所の様子の探索も兼ねてお散歩。もう完全に婚前旅行ムードです。水着もバッチリ買いこみました。ディナーをホテルのメイン・ダイニングで取り、部屋に戻ったところで、


「やっとだね」

「だけど、ずっとだよ。お願い、約束して」


 そしたらミツルはいきなり私の前にひざまづき、


「シノブさん、こんなボクで良かったら結婚してください」


 もうビックリしましたが、


「喜んで」


 私はミツルの胸の中でひたすら泣きじゃくりました。こんな幸せな夜はありませんでした。そこからは、もう誰にも遠慮することなくミツルと甘い甘い日々を過ごしました。会社のことは気にはなりましたが、ひたすら楽しんだって感じです。もし社長が負けたら、会社からオサラバしたら良いだけと開き直っちゃったんです。副社長派が勝ったって、別に殺される訳じゃないんだしって。

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