鉈とカミソリ
総務部はなんでも屋とも呼ばれるぐらい多岐の業務があります。会社の方針や時代の変化により、元は総務部の仕事であったのが細分化されて独立することもありますが、うちの会社は、できるだけ細分化しない方針のようです。
この辺は企業規模の問題もありますが、専門性に偏りすぎてタコツボ化するのを防ぎたいのと、部内での人事及び交流を強くしたいからだとも聞いたことがあります。そんなうちの総務部ですが、それでも基本的な担当はあります。
私が現在メインで従事しているのは、他なら経営企画室みたいなところで、様々なデータを収集・解析して経営陣に情報提供するみたいなお仕事です。ここのチーフがコトリ先輩です。コトリ先輩の分析力は鋭くて、
『カミソリ』
こう呼ばれることがあります。私も初めは情報収集からデータ整理あたりまでを担当していましたが、コトリ先輩の切れ味鋭い分析能力に何度も舌を巻かされました。私も仕事に慣れて来たので、分析まで任されるようになってきましたが、この経営分析は私に合ってるところがあるようです。
最初はあまり重要でないものから任されて、今ではかなり重要な問題も任されています。評価の方も悪くなさそうなのですが、付いた呼び名が気に入りません。
『鉈の結崎』
だって可愛くないじゃありませんか。うら若き乙女に選りによって『鉈』なんて信じられません。この呼び名を付けて広めたのはあの鬼瓦部長なのです。それを知ったもので血相変えて文句を言ったら、
「小島君の手法は問題の核心をカミソリで鮮やかに切り出すものだが、結崎君のやり方は問題点を鉈で叩き割って取り出す感じだからだ。貶してるんじゃないよ、褒めてるんだよ」
いくら褒められたって鉈は絶対に気に入りません。私があんまり怒るものですから、最近では総務部の中では殆ど呼ばれることはなくなりました。しかし、しかしなんですが、この呼び名は会社上層部にまで定着しているみたいで、悔しいったら、ありゃしないってところです。だって、だって、情報分析の上からの依頼に、
『この件は鉈の結崎君でよろしく』
なんてコメントが付いてたりするのです。コトリ先輩への指名依頼の時にはカミソリなんて絶対に付かないのに。パワハラだ、セクハラだ、差別だ、訴えてやるって思うぐらいです。鬼瓦部長のバカ野郎、一生恨んでやる、死んでも化けて出てやる。
鉈は気に入りませんが、経営分析となると会社上層部に直接プレゼンする機会もしばしばあります。その時に鬼瓦部長に妙に感心されたのですが、
「落ち着いてるに驚いた。私だって、重役に会うとなれば、今でもかなり緊張するものだが」
そりゃ、潜った修羅場が違います。コトリ先輩の問題でやられた尋問会に較べたらはるかに気が楽です。まあ、尋問会のお蔭で、既に重役たちと顔なじみになっているのもそれほど緊張しない原因かもしれません。社長だって、綾瀬専務だって親しいと言えば、親しいですし、高野常務となると娘みたいに可愛がってもらってます。
コトリ先輩は経営分析のチーフではあるのですが、とにかく何をやらせても出来る人で、他の仕事のヘルプにしばしばというよりしょっちゅう駆り出されます。前に渉外のヘルプに駆り出されたような感じです。
それが出来るのが部門を細分化していないうちの総務部の良いところかもしれませんが、どうしたって本来の本業である経営分析の仕事に手が回りにくくなります。そりゃ、あれだけヘルプに使われたらそうなります。そのため、経営分析の実質的なチーフは私みたいな格好になっています。コトリ先輩が経営分析をやるのは、私と違った見方をしたいときぐらいの感じでしょうか。
こうやって仕事は面白くなっているのですが、コトリ先輩と話をするのがちょっと気まずくなっています。どうしたって山本先生との問題を意識してしまうからです。仕事の時はともかく、プライベートの時は意識して避けています。
さて今夜は歴女の会の飲み会。そこに珍しくコトリ先輩がヒョッコリ顔を出されました。歴研との討論会では凄味のある本格派の議論を展開されましたが、歴女の会ではミーハー系で盛り上がってくれます。一次会が終わった後にコトリ先輩から、
「シノブちゃん、ちょっと付き合ってくれる」
そういわれて、ちょっと強引な感じで連れて行かれたのがシェリーバーです。シェリーは初めて飲んだのですが、甘いのが気にいっちゃいました。
「シノブちゃん、いつもありがとう」
「なにがですか?」
「仕事よ。シノブちゃんがあれだけ出来るようになって、とっても助かってるの。もうコトリの仕事が残ってないぐらいだもの」
「そんなぁ」
まさかこれを言うためだけに連れ出された訳じゃないと思っていたら案の定、
「シノブちゃん、とってもチャーミングになったね」
「そんなことないですよ」
「ちょっと前にね・・・」
とにかくコトリ先輩のヘルプの範囲は広くて、他の部への応援に駆り出されることもしばしばあり、とくに営業部からは先輩ごと欲しいの話が以前からあります。そりゃ営業部にすれば『クレイエールの天使』の威力を良く知っているからです。まあ異動の話は、コトリ先輩の顔を曇らせてしまったので、人事部長どころか当時の営業幹部ごと吹き飛ばされてしまいました。でもって、話は営業部のヘルプに駆り出された時のもののようです。
「・・・その時にね、シノブちゃんのこと聞かれちゃったの」
「私をですか」
「鉈の結崎を見てビックリしたって」
「鉈はやめて下さい」
だから鉈は嫌なんだって。
「どんな鬼のような人かと思っていたら、実際に見たら腰を抜かしたって」
「怖そうとか?」
「あんまり綺麗でチャーミングで惚れちゃったって」
「そんなぁ」
「ホントの話よ。それとね、これ言ったの佐竹君よ」
佐竹さんなら知っています。営業部のホープで将来を期待されている優秀な方です。それだけでなく、イケメンで女子社員のアイドルみたいな存在です。サキちゃんも好きだって言ってたっけ。
「で、どう思う」
「どうって、何をですか?」
「佐竹君よ」
なるほど、そういう話か。コトリ先輩は恋の橋渡しを佐竹さんから頼まれたみたいです。
「佐竹君なら将来有望だし、なかなかイイ男だったよ」
「急に言われても・・・」
「シノブちゃん、彼氏いるの?」
なぜかここで頭に思い浮かんだのはツトムでなく、山本先生です。
「別に彼氏がいたって構わないけど、結婚まで考えるのなら佐竹君はコトリのお勧めよ」
「え、ええ」
「一度デートしてみたら。コトリも、もう少し若かったらアタックしてみたいもん」
「いやぁ、そのぉ・・・」
ここでコトリ先輩はニヤッと笑われて、
「やっぱりね」
「なにが、やっぱりですか」
「そうだと思ってたの」
「なにがですか?」
どうも雲行きが変なことになってきそうです。
「シノブちゃんは凄いと思うわ。コトリやシオリちゃんが、そこまでわかるのに何年かかったことか。まるでユッキーなみね」
「なんの話ですか」
「ユッキーは最初から見えてたし、それ以外を見ようともしなかったの」
「だから、なんの・・・」
コトリ先輩はますますニヤニヤしながら、
「イイよ、好きになっても、だって世界一イイ男なんだから。それにしても、やっぱりそうなるのね。ユッキーの話を聞いた時に、もしかして、そうじゃないかと思ってたんだけど、実際にこれ程のものとは思わなかった」
やっぱりコトリ先輩はカミソリです。私の変化をしっかり見てたのです。
「それにしても、この世にユッキーなみに見える人が、もう一人いるとは思わなかった」
「私なんか・・・」
「ホントはシノブちゃんこそが相応しいのかもしれないわ。カズ君もそれを感じたのかもしれない」
「でも私、怖いんです」
「なにが?」
「好きになってしまうと、二度と他の人を想えなくなりそうで」
「ははは、当たり前じゃない。だから世界一イイ男なんだよ。でも、世界一イイ男に選ばれるのは一人だけ」
「もし選ばれなかったら?」
「二度と恋は出来ないかもしれないわ。他の男じゃ満足できなくなるから。だから大変だし覚悟がいるって前に言ったのよ」
この後はいつものニコニコ顔に戻って、しばらくは静かにシェリーグラスを傾けてられました。なにか物思いにふけってる感じです。
「シノブちゃんには悪いけど、もうすぐ話せる日が来ると思うわ」
「そんなぁ、全然悪くないですよ」
「その時にはね、コトリのこれまでの全人生をぶつけるつもり。どんな悔いも残したくないの」
「頑張ってください、必ず先輩が勝ちます」
「でもね、それでもダメだったら、シノブちゃん、あなたにもチャンスが巡って来るかもしれないよ」
「チャンスだなんて・・・私は、私は、」
「そうやってね、コトリも、シオリちゃんもその日が来るのを、何年も何年も夢見ていたの。ユッキーだってそう」
コトリ先輩は私に何を言いたかったのだろう。宣戦布告とか、ライバル宣言かな。でも、どこか違う気がする。ではアドバイス? そんな単純なものでもない気がする。コトリ先輩も心の整理が出来てなかっただけの気もしないでもありません。
それより、なにより、コトリ先輩の目は完全に燃え上がってました。最初は私への嫉妬とも思いましたが、あれはやはり『話せる日』が近づいている事への想いで良さそうな気がします。
なんとなく加納さんも同じ状態の気がします。コトリ先輩は私にもチャンスが巡ってくると言ってましたが、あの二人のアタックに耐えられる男がいるとは思えません。私に出来るのは二人のアタックの結果と、山本先生の選択を見守るだけしか出来そうにありません。
そうそう、コトリ先輩は最後に、
「ところでシノブちゃん、お願いがあるの」
「なんですか」
「悪いけど、先に『うん』って言ってくれない」
「はぁ、まあいいですけど、じゃあ『うん』」
「佐竹君に一度でイイから会っておいて欲しいの。ゴメンね、ちょっと安請け合いしちゃって。セッティングはやっとくからね」
「ちょっと、コトリ先輩、それは困ります」
「もう『うん』と言っちゃったから、あきらめてね」
そう言って帰られちゃいました。弱ったな。まあ、しょうがないか、食事代が一回浮くぐらいと考えようっと。
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