変調
とにもかくにも大変な事態の真っ只中に私はいます。会社の行方を左右しかねないコトリ先輩の恋がまずあり、これを重視した重役会は、私をその恋の情報収集役に命じています。
私は新しい情報が入るたびに、私の担当となった高野常務に報告に行っているのですが、情報収集の過程で山本先生に三度会っています。ところが今度はその山本先生に魅かれ始めてしまい、恋人のツトムとの仲がギクシャクし始めています。もう私の頭の中は色んな想いで爆発寸前です。
とはいえ、相談するにも相手がいません。サキちゃんには会社の重要事項に関係する事だから話しにくいし、コトリ先輩に山本先生がらみのことを相談するのは無理です。もちろんツトムにもできません。思い余った私は、
「高野常務、ぜひ相談に乗って頂きたいことがあります」
高野常務とはコトリ先輩情報で何度もお会いしています。まさに大人の包容力を持った温厚な人柄で、まるで娘のように可愛がってもらっています。
「なんだね、小島君のことかね」
私の背中に冷汗が流れました。そうなのです、私と高野専務がこうやって話が出来るのはコトリ先輩の情報に限っての場合だけなんです。そうでなければ、まさに雲の上の人で、口を利くことさえできないおエライさんなのです。
「失礼しました。なんでもありません」
「結崎君、どうしたんだ。最近、様子がおかしいぞ。失恋でもしたのかな」
「本当になんでもありませんから、気になさらないで下さい」
「そうはいかん。小島君問題では、君は私の大事な部下だ。部下が悩んでいるなら、それをなんとかするのが、上司の務めだ」
「そんなお気遣いは・・・」
「今晩は空いているかね、飯でも食いながら話を聞かせてくれ。君はホントによくやってくれているから、それぐらいはさせて欲しい」
思わず涙ぐんでしまいました。やはり出世する人は違うんだと感じた次第です。高野常務は私が涙ぐんだのを見て、余程の事と思ったらしく、そこからテキパキと店の手配をされて、
「あははは、ちょっとしたデート気分かな。私だって君のような若い可愛い子と飯を食うとなるとワクワクするんだよ」
なんとか場を和ませてくれようとする心づかいが、ホントに嬉しく感じます。私みたい小娘の相談相手にさせられるのは悪いと思いましたが、今日は甘えることにしました。仕事が終り、タクシーで連れて行ってもらったのはお鮨屋さん。格子戸を開けると、
「いらっしゃいませ」
目の覚めるようにお美しい女将さんが迎えてくれました。
「高野常務、お久しぶりです。今日はこんな可愛いお嬢さんとデートですか」
「そうだよ、羨ましいだろ」
それにしても女将さんの綺麗なこと、素敵なこと。キラキラ輝くようなって、まさにこんな感じかと思いました。それでいてしっとりした魅力もあります。歳の頃なら三十代半ば、いや三十代前半ぐらいでしょうか。なんかこの世の美人に次々と巡り合う周期かと勘繰ったぐらいです。
加納さんも飛び切りの美人と思いましたが、女将さんの若いころはそれ以上だったかもしれません。そうそう、若いころと言っても実年齢は同じぐらいと思うのですが、とにかく加納さんにしろ、コトリ先輩にしろ年齢不詳もイイところなのです。そうですねぇ、女将さんが二十代の頃なら加納さんさえ凌いでいたかもしれないぐらいです。
それと大将も背が高くて、惚れ惚れするほど格好が良いのです。女将と大将はご夫婦だと思うのですが、まさに絵に描いたようなお美しいカップルにしか見えません。もちろん出てくる料理も絶品です。
「大将はね、元プロ野球選手なのだよ」
「そうなんですか。ご活躍されたのですか」
「新人賞、最多勝、最優秀防御率だよ」
「それは凄い」
そう言われて大将を見直すと思い出しました。子どもの頃に見たことがあります。
「ひょっとして、あの水橋投手」
「そうだよ」
「うぁ、サインが欲しくなります」
そこに大将が、
「専務、その話はそれぐらいでお願いします」
「まあ、良いじゃないか、この子に、あの名投手水橋裕司の知り合いだって自慢するぐらいは」
「常務にはかないませんわ」
私も聞いてみたくなりました。ちょうど店は常務と私だけだったので、大将も気さくに答えてくれました。
「大将は甲子園に行かれたのですか」
「県大会の決勝でサヨナラ負けだったから行けなかったよ」
「学校はやっぱり極楽大附属とか、SSU附属みたいなところだったのですか」
「いいや、準決勝がSSU附属で、決勝が極楽大附属だった」
子どもの時の記憶が少し蘇ってきました。そうだ水橋投手は高校野球でも伝説を作られたはずです。
「思い出しました。あの伝説の十連続敬遠の時ですね」
「伝説は大げさだけど、そうだよ。とにかく決勝ではちょっとヘバってしまって大変だったんだ」
「じゃあ、学校の名前は、えっと、えっと」
「明文館っていうけど、知ってるかな」
うん! 明文館って、たしか・・・コトリ先輩も、加納さんも、山本先生も明文館だったはず。歳の頃も近いから・・・
「大将はフォトグラファーの加納志織さんをご存知ですか」
そこに女将さんが口を挟んで、
「女神様ですね」
「御存じだったのですか。もしかして同級生ですか」
「女神様は一つ下ですよ」
「では天使もご存知ですか」
「小島さんもよく存じてますよ」
そうなると、そうなると、コトリ先輩も、加納さんも、山本先生も言っていた、もっとすごい美人が一つ上の学年にいると。信じられない話だったのですが、あの加納さんや、コトリ先輩でさえ、並ぶと引き立て役にしかならかったぐらいの美しさだったとしていました。その人のあだ名は笑ったらいけませんが『天下無敵』、そしてその名は、
「もしかして竜胆薫さんですか」
「あれ、良く知ってるね」
「コトリ先輩から聞いたことがあります」
「あれまぁ、小島さんは今でもコトリって呼ばれているのね」
そうなるとぜひ聞きたいのが、
「山本さんてご存知ですか」
「山本? 男性ですか、女性ですか」
「男性で、コトリ先輩と同学年です」
「山本、山本・・・ああ、思い出したユッキー・カズ坊のカズ坊だわ」
「どんな人でしたか」
そこからは女将さんも、大将も詳しいことは知らないとの事でした。知っていたのは、
『ユッキーと呼べるのはカズ坊だけ、カズ坊と呼べるのはこのユッキー様だけよ』
これはなんだと聞いたら、ユッキーさんと山本先生がやった漫才らしいのです。
「小島さんや、加納さんに聞いたらもっと知ってると思うけど、私は一つ上だったからあまり知らなくてゴメンナサイ」
「でもそんな呼び方をするぐらいですから、ユッキーさんとカズ坊さんは付き合っておられたのですか」
「たぶん付き合ってなかったと思うわ。とにかく氷姫だったし」
そこに大将も、
「色恋に無縁の笑わん姫君、真冬の月、学校で一番怖い人って意味だよ。オレでも怖かったぐらいやった。平気やったんは天下無敵のカオルぐらいちゃうか」
「私だって震え上がるぐらい怖かったですよ。氷姫を怖くない人なんていなかったんじゃないですか」
この辺で他のお客様も増えてきて話は終ってしまいました。
「結崎君の情報収集能力がわかった気がする」
「どういうことですか」
「私もこの店に通って長いが、小島君と大将や女将が同じ高校とは思いもしなかった。それも学年一つ違いだったとは。ああやって君は情報を集めてくるんだね」
「たんなる野次馬根性です」
私の悩み事にダイレクトに入って行ける雰囲気ではなかったので、少しだけ遠回りして話を切り出しました。
「実は山本先生が良くわからないのです」
「どういうことかね」
「山本先生がユッキーさんと結ばれた話はご存知ですね」
「うむ、知っている」
「このユッキーさんは、小島課長も、加納さんも一目置くほどの素敵な方だったと見てよさそうです」
「そうらしいな」
「でも、氷姫でもあったのです」
「色恋に無縁の笑わん姫君って大将も言ってたな」
「それを可愛くしてしまったのが山本先生であると思うのです」
高野常務は私が何を言いたいかわかりにくそうで、
「あれかね、恋する女は綺麗になるってやつか」
「それもあるのですが、異様なぐらい変えてしまってるように感じられてならないのです」
「どういうことかね」
「小島課長と、加納さんのユッキーさんへの絶賛ぶりが度を越しているように思うのです」
「でも、同級生だし故人だからもあるのじゃないのかな」
「私が聞いた限り、そんな風に受け取れないところがあります」
高野専務は何かを考えておられたようですが、
「ユッキーさんに関しては、氷姫時代はここの女将も大将も良く知っているようだが、最後に可愛くなった時を知っている者は殆どいないだろう。小島君ですら会っていないのだから判断は微妙だな」
「では、一つお聞きします。これはお世辞など一切抜きで、冷静かつ客観的な評価が必要ですが、お願いしても良いですか」
「おお、いいよ」
「非常に答えにくいと思いますが、良いですか」
「わかった。可能な限り、冷静かつ客観的な評価を下そう」
「ではお尋ねします。私は変わってませんか」
高野専務はじっと考えておられましたが、おもむろに、
「これはお世辞でもなんでもない、それは私を信用して欲しい。間違いなく結崎君は綺麗になっている。それも格段にだ」
「やはり、そうですか」
やっぱりそうなのだ。ツトムが最近、しきりに私のことを『綺麗、綺麗』と褒めだしたのも妙だったし、サキちゃんがしみじみと、
『シノブちゃん、綺麗になったやん』
あれもお世辞でなかったんだ。本当に私は変わっているんだ。それも半端じゃないぐらいに。原因は一つしか考えられない。私が山本先生に魅かれ始めて起こった変化なんだ。山本先生はパッと見はイマイチですが、親しくお付き合いすれば必ず魅かれてしまう魅力をお持ちだ。それは実際に会ったからよくわかる。そうなると同時に魅かれた女性は変わってしまうんだ。それも驚くほどに。
「結崎君、結崎君」
「すみません常務。ちょっと考えごとをしていたもので」
「で、どういう事なんだね」
私の推測と、私に心に起っている変化を高野常務に打ち明けました。高野専務は興味深そうに聞かれていましたが、
「そんなに魅力的な人物なのかね」
「そして危険です。危険と言っても、襲われたりではありません。むしろ、そういうことはまずされない方です。ただし一旦魅かれてしまうと、まるで中毒患者のように離れられなくなる危険さと言えばわかってもらえるでしょうか」
「そんなにか」
「私は正直なところ、小島課長や加納さんが、あれほど長期間に渡って山本先生を恋い焦がれる理由がわかりませんでした。たしかに優しくて、包容力のある方ですが、見た目がイマイチなので気が付きにくいところです」
「うむ」
「でも、一旦魅かれてしまうと、もうどうしようも無くなります。そうなってしまった変化の一つが、容貌の変貌です。簡単に言えば、綺麗になる、可愛くなるです。専務も私のことを『そうだ』と認められた通りです」
「でも、小島君や、加納さんの容貌にそこまでの変化はない気がするが」
「そうとは思えません。失礼かと思いますが、小島課長にしろ、加納さんにしろ、あの歳で衰えがなさすぎます。専務は小島課長を入社時から知っておられると思いますが、課長の容貌に衰えはありますか」
「正直なところ、ほとんどない。今でも余裕で二十代だ。むしろ女将と一つ違いと聞いて驚いたぐらいだ。女将だって十分若々しいのだが、小島君と較べると桁が違う」
「もちろん理由など説明しようがありませんが、山本先生に魅かれると相手はそうなってしまうのです」
高野常務は私の言葉を噛みしめているようでした。
「だからといって山本先生がとくに悪いことはされていないと思うのだが」
「なにも悪いことはされていません。ただ私は怖いのです。たった三回しかお会いしていないのに、自分を押さえる自信がなくなって来ています。あのお二人の中に割って入りたい欲望を押さえる事が出来なくなってきているのです。私が、どれだけ魅かれてしまっているかは、専務の評価通りで良いかと思います」
「そうなるのは・・・」
「そうです。我が社にとって良くないことです。またあのお二人と競って勝てる要素など無いのもわかっています。ですから、この仕事から私を外して頂けませんか。今なら時間さえかければ、恋心を抑え込めるかもしれないからです」
高野専務はじっと考えていました。私の推測はすべて思いつきに過ぎません。言い様によっては、単に山本先生が好きになっただけと言われても反論はできないからです。
「この問題は大きすぎて、私の一存では決めかねる。それ以前に、結崎君の代わりを務められるほどの人材は探してもいないだろう。少し預かりにさせて頂きたい」
「御無理を申し上げまして、申し訳ありません」
それから食事を楽しんで他愛もない話題でしばらく過ごしましたが、高野常務は
「山本先生は昔からそうだったのだろうか」
「たぶん違うと思われます」
「なにか理由があるのかね」
「女将さんも大将も山本先生のお名前も、その存在も知っておられましたが、さほど詳しくは知っておられませんでした」
「それは学年も違うし」
「小島課長や、加納さんは同学年で、同級生であった時期もあったようですが、高校時代にはとくに恋愛関係になかったと仰ってました」
「そうなのかね」
「はい、さらにユッキーさんとは漫才までやった関係であるにも関わらず恋愛関係に至っていないと女将さんも大将も証言しています」
「氷姫はよほど怖い人だったみたいだね。あの天下無敵の女将でさえ怖かったというぐらいだから」
「おそらく、高校卒業後のある時期から変わられたかと」
「いつからかな」
「これだけの情報では判断しかねます」
「やはり結崎君の情報分析能力は素晴らしい。失うには惜しすぎる人材だ。たとえ、ここで下りることになっても、君への評価と、これまでの貢献は高く評価するから安心したまえ。社長や綾瀬専務ともよく相談して、君の活用法を考えてみる」
お世話になっている高野専務に申し訳ない気分が一杯の帰り道になりました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます