最終章(4-6)
できるわけないと言ってはいけない。
僕は彼女にそう言われて、なんて答えたらいいかわからなかった。
だから、とりあえず聞こえてなかったふりをして、え?ともう一度聞いてみた。
彼女は構わず、言葉を変えて、今言ったことをもう一度繰り返した。
「まだチャレンジもしてないのに、できるわけないとか言っちゃダメ」
真剣な表情で語りかける彼女をしっかりと見た。
彼女の言ってることは正しい。僕はまだ何も知らないのに、できないと言い張った。
僕は間違っている。それでも彼女に反論をする。
「僕にはわかるんだ。これだけ平凡な人間なんだから、普通の人と違うようなことなんて出来ないよ」
ずっと自分の足元を見ていた。横で彼女がじーっと僕の顔を見ているのが分かる。
「また自分のこと、忘れちゃうよ。せっかく心からやりたいことが見つかったのに、また忘れちゃうよ」
そういわれて、心臓の鼓動が早くなるのを感じた。何者かが僕の心臓をつついた。
「今まで忘れて、思い出して、忘れて、思い出しての繰り返しだったのかもしれないけど、社会人になったら一生自分のこと、思い出せなくなるかもよ」
心臓にトゲが何本も刺さる。正直やめてほしかった。
でも、彼女の言葉を聞かなければいけないと思った。
僕は今、このトゲに耐えて、戦わなければいけない気がした。
「社会には、自分自身のことを忘れてしまったままの人がたくさんいると思うの。前澤くんみたいに自分らしさというものを無意識に殺して、違う自分を無意識に演じて、いつの間にか自分自身を忘れて、そのまんまの人がたくさんいると思う」
痛い。トゲが痛い。トゲが刺さるどころか、誰かが心臓をキューっと締め付けている。
それに耐えられなくなった僕は口をはさむ。
「でも、、、僕は、、、こ、、こわい、、失敗することが、、、、み、、、見えてる、、」
喋るのもままならなかった。気づいたら泣いていた。彼女に勇気づけられているにもかかわらず、変われない自分が情けない。でも怖い。今まで偽りの自分のまま生活してきた僕にとって、この「変化」がかなり怖いものだった。
分厚い壁が目の前に立ちはだかっていた。
彼女が僕の目の前に手を添えた。その手のひらの上にはハンカチがのっていた。
「失敗したっていい、、、じゃない」
彼女の顔を見た。僕と同じように彼女も泣いていた。
そのハンカチを自分のために使おうとしない彼女。
「下手でも、、、自分を信じてよ、、、、失敗しても、、、、
自分らしさだけは見失わないでよ、、、
小学校の時の前澤くんに、、、、、戻ってよ、、、、、、」
小学校の時の僕、、、
友達とサッカーをしていた自分、、、
下手でもサッカーを楽しんでた自分、、、
たとえ下手でも、失敗しても、前に進んでた自分、、、
その瞬間、心臓に刺さっていたすべてのトゲが抜けた気がした。何かが僕を解放してくれたような気がした。
僕は僕自身を思い出した。
忘れ物を思い出した。
サッカーが下手でも、友達とやるサッカーが心から好きだった。だから続けていた。
最初は水泳が下手でも、水泳が心から好きだった。だからリレーメンバーにも選ばれるほど得意になった。
心から好きなら、続けられるのに。心から好きなら、努力なんて平気でできるのに。
今の僕は、やはり僕じゃなかった。違う自分だった。
「本当の自分」として生きるためには、今しかない。
僕は、彼女が差し出していたハンカチを受け取った。
そして、それを全く使うことなく、彼女にそっと差し出した。
「忘れてばっかだな。あれだけ好きなことをやり続けていても、まだ周りに流され続けてる。ほんと、失敗ばっかだ」
彼女は首を横に振る。
「失敗したっていいんだよ。自分らしさを忘れて、思い出してを繰り返す。それでも今を生きることが大事だと思う。たとえ忘れ物を失うようなことがあっても、また新しく作り出せばいい。とにかく今の自分に素直になって生きるの」
彼女はハンカチで頬に広がった涙を拭いた。僕はコートで涙を拭く。今日はコートが涙で汚くなった。クリーニング出そうかな。
気づいたらお昼の2時過ぎを回っていた。
「そろそろ帰ってご飯食べようかな。西村は?」
「私はもうちょっとここで、小説書いてる」
「わかった。それじゃあまたどこかで」
うん、じゃあねと彼女は返事をして、お互い手を振った。
僕は、正門へ向かう。
そして正門を通過する間際、あることをふと思い出した。
後ろを振り返り、ベンチに座ってノートとにらめっこしている彼女の方をもう一度見た。
「西村!!」
思ったより大きな声が出た。彼女も少しびっくりした表情でこちら側を見た。
僕は周りの事なんか気にせず、大きな声で言った。
「あの時、いじめちゃってごめん、、、、本当にごめんなさい!!!」
彼女は笑ってくれた。目に少し光るものが見える。今日は本当に涙だらけの日だな。
卒業式の時に謝ろうと思ったけど来なかった彼女。ずっと謝れなかった。
僕が今まで彼女に言いたかったことがようやく言えた。約10年越しに言えた。
危なかった。また言い忘れるところだった。
このまま別れるところだった。
よく思い出せた。
忘れ物って意外とさりげないときに思い出す。
*******
つい最近までここにいた冬はいつの間にかいなくなっていた。
この都会の街に似合わないピンク色の桜。僕は信号待ちをしている間、しばらくそれを見つめていた。
青信号になった。
周りのスーツを着たサラリーマンと体育の集団行動をしているかのように、同じペースで横断歩道を渡る。
みんなスーツだから、僕の私服が目立っているような気がした。
しばらく歩くと、目的地にたどり着いた。
少し小さめのオフィスビル。外装が若干汚い。
そんな汚いビルと対称的なきれいな看板が入り口の目の前に置かれている。
「○×演出事務所オーディション会場はこちら→」
そう書かれた看板を目にしながら、ビルの中へ入っていく。
中に入ると、既に他のオーディションを受ける人達がたくさんいた。
「受付」と書かれた場所に向かうと、そこにはきれいな女の人が立っていた。
受付嬢という言葉が似合うくらい美人な人だった。
「こんにちは!オーディション受付ですね?お名前をお伺いしてよろしいですか?」
元気で、はっきりとした口調で僕に話しかけてくる。名前を聞かれた。
僕も負けじとはっきりとした口調で自分の名前を言った。
「前澤 進 です」
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