最終章(4-5)

キャンパスの中はいつもと違う雰囲気であるかのように感じた。


大きいビルも、ガラの悪い大学生が座っている喫煙所も、ベンチに座っているカップルも、別に何ら変わっていない。いつもの風景であるはずなのに違って見えた。

これが僕の頭の中がおかしくなっているせいであることは十分わかっていた。


 僕が演劇で食っていけるはずがない。でも、社会人にもなりたくない。


そんな相反する欲望が頭の中を駆け巡る。


授業をやっているビルから少し離れ、僕は正門につながる道をゆっくり歩いていた。道の両脇には葉をなくした木々が等間隔で並べられていて、その木の奥に色素の薄い芝生が広がっている。


そこで、4人の大学生がサッカーをして遊んでいる。それを見て、僕はまた心臓をえぐられる。



僕はこれからどうすればいいのだろう。



正門にもう少しでたどり着く。この正門を出た時、僕はどこへ向かえばいいのだ。

先生はいない。親に進路のことを話しても、普通に就職しろ、というだけだ。


僕の心と体はさまよっていた。何もすがるものがなかった。

僕もあの芝生の草のように、枯れ果てていくような気がした。




そんな時だった。


 正門の目の前についた時、その近くのベンチに一人の女子大生が座っていた。

その人は、ノートに何かを書いていた。猫背になり、まるで外部からくるものを受け付けないようなオーラを放ちながら、書いていた。


僕はその姿をどこかで見たことがあるような気がした。


思わず僕は、その人が座っているベンチの近くで立ち止まる。そして、しばらく彼女をにらみつけるように見てしまっていた。

彼女は僕に気づかず、ノートとずーっとにらめっこしている。

かなり集中しているようだ。


彼女がいきなりペンを止めた。字を間違えたのだろう。自分の隣においてあるバッグの中から何かを取り出そうとしていた時、ついに僕と目が合った。

彼女はしばらく不思議そうに僕を見つめ、僕もそれをしっかりと見ていた。





「、、、、、西村?」

僕は勇気を振り絞った。そして彼女はすぐに僕の声に応えた。

「、、、、、前澤くん?」


彼女に苗字、名前を呼ばれたことはない。でもやっぱりそうだった。西村だった。

僕の苗字を知っていること、何かを集中して書いている時の猫背具合、人を寄せ付けようとしないオーラ、声、すべてが西村と一致した。大人になった彼女は、容姿こそ変わったが、雰囲気は何も変わっていなかった。


 「前澤くん、久しぶりだね。ここの大学生だったんだね」

 「うん。西村もここだったんだ」


彼女は、うん、とだけ言って、しばらく沈黙が走った。

その沈黙が図書室の時のことを思い出させた。僕と彼女の間に、あの時と同じ風が吹いた気がした。


 「、、、前澤くん、、座る?」

彼女は置いてあったバッグを膝の上に移動させ、ベンチにスペースをつくった。

彼女は笑顔で僕をベンチに招待した。


 「うん、ありがとう」

なぜか今の僕に「断る」という選択肢がなかった。僕は素直に彼女の隣に座った。



 「前澤くん、今何してるの?」

彼女のその質問にどう答えようか迷って、しばらく黙ってしまった。


そしたら彼女から、付け足しの質問が来た。

 「水泳は続けてるの?」

そうか。彼女はそこで情報が終わっている。


小学校卒業後、みんな同じ中学校に入学した。ただ、中学校自体が一学年7クラスのマンモス中学校だったため、小学校の時の友人たちとは疎遠になっていった。もちろん西村とも疎遠になり、卒業するまで会うこともなかった。

彼女はどこかから僕が水泳部に入っていることを聞いたのだろう。


 「いや、水泳は中学校でしかやってないよ。3年の時、大会で怪我して、激しい運動ができなくなっちゃったんだ」


思い出したくはないが、僕は素直に答えた。


 「そうなんだ、、、じゃあ、今まで何やってたの?気になる!」

最初は僕の返答に悲しそうな表情を見せたが、すぐ表情を切り替えて、次の質問をしてきた。彼女は僕との距離感なんて気にもせず、僕の顔をまじまじと見つめる。

僕は顔を合わせることなく、答えた。


 「、、、、何もやってないよ、、、大学で演劇サークル入ってたけど」

 「ええ~演劇?すごいね!そしたら進路先も演劇系にいったりするの?」


 「、、、いや、、、僕がそんなことできるわけないよ、、、」

 「、、、え?」


彼女は聞き返してきた。僕の声が小さすぎたのかもしれない。

いいや、今のは聞こえてなくて。僕は話をそらした。



 「西村は、、、まだ、漫画描いてたりするの、、?」

なんとなく聞きづらかったけど、思い切って聞いてみた。

そして彼女は、迷わず首を横に振った。


 「ううん、漫画はもうやめた。やっぱりいつまでたっても、絵がうまくならなくてね。高校の時、自分が描いた漫画をある会社に送ってみたの。そしたらね、絵のセンスが感じられないって言われて、そのまま私のところに漫画が返ってきたの。その時に心が折れちゃって」


驚いた。僕たちがあれだけいじめても、漫画を描き続けるくらい漫画好きな彼女が、まさか漫画家になる夢をあきらめるなんて。まだ高校生なんだから、もっと諦めずに頑張るべきだったろうと言いたかったけど、やめておいた。

今の自分にそんなこと言う資格などないことに気づいた。


「でもね、その会社の人から、後々連絡が来てね、絵はダメだけど、ストーリーがなかなか面白いって言われたの。それで、そのストーリーを小説にしてみないかってオファーが来たの」

「それで、どうしたの?」


その後の彼女の様子が変わった。黄昏るように、空を見上げながら、彼女は語った。


「最初は断ろうと思った。私は漫画が本当に好きで、心の底から漫画家になりたいと思ってたから。まだ漫画家になる夢を諦めたくないって思ってた。でもね、あの時色々考えて気づいたんだ。私、漫画家にこだわりすぎてない?って。もちろん、下手でも諦めずに頑張ることは大事。でもそれをいつまでも続けることで、自分の視野を狭めすぎてる気がしたの。私の価値観だけを信じて今まで行動しすぎちゃったなって思ったの」


自分の価値観だけを信じる。ある意味僕の中学校時代と同じだ。

彼女は僕と同じ失敗をしてきたのだ。


「だから、他の人の価値観にも触れて、視野を広げて、他に自分にできることがないか探そうと思ったの。それで、その会社の人にストーリー創りのこと褒められたから、小説に挑戦してみた。最初は失敗ばっかりだったけど、なんとか1冊分書き上げて、そしたら、まさかの書籍化!ほんと自分でもビックリしたよ」


知らなかった。僕も小さい頃から本はよく読むが、まさか彼女が小説を出していたとは。


「それで今は、この大学の文学部に通いながら、小説の大賞を目指して、執筆中なの」

「、、、、すごいね」

「ああ、ごめん!自分のことベラベラしゃべりすぎちゃった!」

「全然いいよ」


彼女がこんなにも成長してるとは思いもしなかった。

自分に照らし合わせると、本当にショックが大きくなる。

ある意味、彼女をいじめてきたバチであるかのように感じた。




「だから前澤くん、そんなことできるわけないとか言っちゃダメだよ」



ん?

思わず、この距離感で彼女の顔をしっかりと見てしまった。



さっきの僕の声、、、聞こえてたのか、、、、


その時、さっきと同じような、小学校の図書室の時と同じような風が再び吹いた気がした。

 

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