最終章(4-4)

「おいおい、どうしたそんな急いで来て」

息切れしている僕を見て、先生は笑い出した。昨日と変わらず素敵な笑みだ。

確かに、まだ午前中だし、先生も夕方まで学校にいるというのに、なんでこんなにも急いで研究室にいる先生のところに来たのだろう。今更そう思う。

 

 「ちょ……ちょっと…昨日のことで…」

 「おお。自己分析の事か?やってみた?」

 「あ、いや、まあやったんですけど」

 「やり方よくわかんなかった?」

 「いや、そうじゃなくて、、、」


先生の頭にはてなマークがついているのがわかる。僕はバッグからノートを取り出し、先生に差し出した。


 「昨日、自己分析してて、良いアイデアが思いついたんです。それを演劇の台本にしました」

 「だ、台本?」

 「はい。もしよかったら後輩たちにこの演劇やってほしいな~と思って」



先生はノートをパラパラとめくりだした。そして突然ハハッと笑いだした。

 「相変わらず、字汚ねえなあ~」

僕はいつも、さりげないときにふと良いアイデアが思いつくから、ノートにそれを殴り書きする。だからいつも先生に迷惑をかけてしまう。

僕も先生につられて、ハハッと笑った。


 「で?このストーリーの詳細を教えてもらおうか」

いつも通り、先生はそのストーリーの概要の説明を僕に求めてきた。

 「はい、喜んで」



———――――――


 

僕が今回書いた演劇は、僕の学生時代の体験談を描いた、ノンフィクションストーリーだ。


 主人公は3人いる。


 まずは、小学生の男の子。彼には、仲のいい友達が3人いて、昼休みや放課後にサッカーをすることが何よりの楽しみだった。しかし、彼らにはもう一つの楽しみがある。それがクラスメイトの一人の女の子をいじめることだ。主人公はいけないことをしていると思いながらも、友達と一緒に彼女をいじめ続けた。そこで彼女をかばうようなことをしたら、友達に嫌われるからだ。「本当の自分」を押し殺し、「違う誰か」を演じながら、小学生生活を送る主人公の無様な姿を描いた。


 

僕は、その主人公の名前を、「前澤進」ではなく、「イシカワタクト」という架空の人物の名前にした。



 次に、中学生の男子。彼は、水泳部に所属し、副部長を務めていた。ある日、大事な部員の一人が水泳部をやめると言い出した。主人公は何を聞くこともなく、水泳部をやめることに反対し、大声で怒鳴りだした。そのことをきっかけに水泳部員全員との関係が悪くなっていく話。主人公は少なくとも「自分らしさ」というものは持っていた。しかし、それを他人にも押し付ける一方だった。「自分の価値観は、他人の価値観である」という勘違いで、ある意味自分らしさを失っていた。



僕は、その主人公の名前を、僕の名前に近い「マエカワオサム」という架空の人物の名前にした。


 

 そして、最後は高校生の男子。中学校の時、水泳部で大きな怪我をし、水泳をやめざるを得なくなった。それで「自分らしさ」を失った主人公は、帰宅部のイケメンの友達と毎日遊ぶようになる。彼女もでき、幸せな学校生活を送っていたが、受験の時期が近付くにつれて、これからの自分がどうなっていくのかわからなくなった。周りの人間も同じかと思いきや、みんなが「自分らしさ」をしっかり持って進路を選択していることが分かった。しまいには彼女にも振られ、自分の行き先が何も見えなくなる。「自分らしさ」を自ら捨てて、友達とただただ遊ぶだけの生活を無理やり送っていたのだ。自分を押し殺して、「違う誰か」を演じる、悲しい高校生を描いた。



僕は、その主人公の名前を「サクライレイジ」という架空の人物の名前にした。



―――――――――



 「……」

先生は黙り込んでしまった。しばらく深刻そうな顔をして、僕を見つめた。


 「先生、、、?」

僕が声をかけると、やっと先生が喋りだした。


 「これ、、、、全部、進の実体験なんだな」

 「、、、はい」

その後、先生は何も喋らなかった。厳密にいうと、喋れなかったのかもしれない。

どう感想を言ったらいいかわからなくなってたのかもしれない。


そう思った僕は、何か話さないといけないという謎の使命感を得た。

 

 「、、、ずっと自分じゃなかったんです。ずっと本当の自分の思いを殺して、違う誰かを演じて生きてきたんです。小学校の頃はイシカワタクト、中学校の頃はマエカワオサムで、高校はサクライレイジだったんです。前澤進なんてどこにもいなかったんです、、、、」

 

 自分で言って、情けなくなってきた。鼻水が出てきた。そう思った矢先、目からも水が流れてきた。涙は泣きたくないと思っていても、出てしまう。小学校の卒業式の時もそうだった。


 「、、、だから自己分析をしてても、、、辛いだけなんです、、、何もできないんです、、、自分らしさなんてどこにもないんです、、、、」


 涙がだらだらと垂れる。先生の顔を見ようとしたけど、滲んではっきり見ることができない。先生は黙ったままだった。

 このまま泣いていても仕方がない。僕は涙を着ていたコートで拭いて、先生の顔をもう一度見た。

 さっきと比べたら、先生の顔色が変わったような気がした。目を見開き、不思議そうにこちらを見ている。僕の泣いている顔が面白かったのだろうか。


そして、先生はその顔をキープしながら、突然驚くことを口にした。


「自己分析、、、できてんじゃん」

「、、、、は?」

先生に「は?」とか言ってしまった。

「自分らしさ、、、取り戻してんじゃん」

え?いや、意味が分からない。まだ濡れていた顔をもう一度コートでふき取り、

さすがの僕も心の中の思いを口に出す。

「先生、、、何言ってるんですか?僕はただ学生生活の苦しみを打ち明けただけなんですけど、、、」


そう言い返した矢先、先生は、両手を僕の肩に置いた。そして、言い聞かせるようにこう言った。


「進、お前気づいてないのか?進は、過去の自分が大嫌いなんだろ?過去の自分を語るのが嫌いだったんだろ?それを普通、演劇の台本にして、後輩たちに演技させるか?」


確かに、と思った。ド正論だ。何を考えてるんだ、自分。


「つまり、進は演劇が大好きってことだ。大嫌いな自分を、知ってほしくない自分を演劇で表現することができるってことだ。自分を犠牲にしてでも、演劇をやってたいってことだろ?」


先生が両手を僕の肩から離した。先生の目は輝きまくっていた。おじさんとは思えないほどの、若々しい目をしていた。まるで宝物を見ているかのようだ。

そんな先生を見て、そんな先生の今の言葉を聞いて、何か道が開けたような気がした。

でもそれは、開けただけだった。


「確かに、僕は演劇が大好きです。台本を書くのも、舞台の上で演技するのも、大好きです。でも、、、僕はそれで飯を食っていく自信がないです。演劇といってもたかがサークルです。上には上がいます。そんな上の人たちと共に生きていける自信がありません、、、」


先生はニコッと笑った。いつにも増して温かい笑顔に見えた。


「進。自信がないからこそ、やってみるべきなんじゃないか?」


名言のようだ。心臓をキュッと締め付けるような、感覚に陥る。

先生はその名言にさらに名言を加えた。



「せっかく忘れ物を思い出せたんだ。どうせならもう忘れたくないじゃん」


忘れ物か。確かに僕はこの自己分析をきっかけに、忘れ物を思い出したのかもしれない。



これから授業のある先生はその言葉を残して研究室を出ていった。



先生の言ってることはわかる。どうせならやってみようという気持ちにもなった。

でも、まだそれを実行に移す勇気がなかった。


先生がいなくなった後は、いろんな考えが頭の中でグルグル回ってた。

今の僕には何も決断できない。僕は弱い人間だ。



先生だけじゃなく、他の誰かの助言も欲しくなってしまった。ほんとわがままだ。


僕はわけもなく、キャンパスの中を徘徊した。

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