第三章(3-6)

 今日はフリースローの後も遊んでしまったために、瑠奈を校門で待たすことになってしまった。昇降口の自販機で買ったコーラを一口飲んで、楓馬とバイバイし、校門へ向けて走ろうとした。でも、最初の一歩目で右手にコーラを持っていることに気づき、仕方なく早歩きで向かうことにする。


 校門が見えてきた。そこには茶色いスクールバッグを両手で持って、地面の落ち葉を眺めている瑠奈がいた。俺は結局、コーラのことなんて気にもせずに走っていった。


「ごめん!!楓馬とだべってたら、遅くなっちゃった!」

「ううん、大丈夫。いこ」

瑠奈は許してくれた。でも、その声には、なぜか優しさが感じられなかった。何かを決心したような、強い声であるような気がした。明らかに俺に何か言いたそうだった。考えすぎだろうか。


 瑠奈のいつもと違う雰囲気に、考えさせられてしまう。お互い無口のまま、最初の狭い路地を通り、いつもの受験生天国の歩道に出た。何だこの空気感は。

まるで3、4年くらい付き合っていて、喋る必要もなくなっているカップルのようだ。付き合って3か月しかたっていない俺らにはまだ早い空気感だ。気まずさったらありゃしない。

「ねえ」

この沈黙の中、突然彼女から声をかけられてビクッとしてしまった。

「うう、うん?」

ビクッとした反動で「うん」さえもろくに言えなかった。彼女の要件は突然のものだった。

「あっちの公園、、いかない?」

彼女は俺たちが歩いている歩道の反対側の方を指さした。その方向にはさっき俺たちが通ったような狭い路地がある。その奥を言ったところに、小さい公園があるのだ。

「うう、うん。いいいよ」

また簡単な返答がうまくできなかった。突然のお誘いに緊張してるのではない。さっき校門で待ち合わせた時に聞いた強い声。この歩道にたどり着くまでに続いた妙な空気感。それらを関連付けて考えると、彼女は確実にその公園で俺に何かを言おうとしている。


俺たちは横断歩道を渡り、その狭い路地を入っていった。沈黙が続く。ここまで続くと、もう気まずさとかどうでもよくなってくる。沈黙による恐怖って意外とそんなものなのだろうか。


しばらく歩くと、狭い道が開け、目の前には小さな砂場、小さなベンチ、小さなブランコ、そして小さなゾウの滑り台がさみしそうに置かれていた。無味乾燥な公園だ。


「ベンチ、すわろ」

「う、うん」

俺の動揺は収まらない。


3人がけのベンチに一人分の間をおいてお互い座った。この時期のこの時間だと、さすがに寒い。それでも俺は彼女に対して何の気づかいもせず、黙ったままでいた。


さて、ここでなにを言うのだろう。そう思った矢先、彼女がさっそく話しかけてくる。

「あのさ、実は今日話したいことがあって、公園に誘ったの」

知ってる。そんなのこの空気感で大体わかる。とは言わずに、彼女のその話したい内容が何かを聞いた。


「あのね……」

自信なさげに話す。さっき聞いた何かを決心したような声はどこへ行ったのだろう。いざ本番となると、緊張するのだろう。


「突然で申し訳ないんだけど…」

「うん」


「……別れてほしいの」


「…え?」

なんとなくわかっていた。この空気感からすると、別れ話をされてもおかしくない状況だった。覚悟はできていたはずなのに、彼女の口から実際に「別れたい」という言葉が発せられた時、思わず声が出た。


 「やっぱり私……忘れられないの……」

次に続く言葉は、なんとなくわかる気がする。

 

 「優斗の事…どうしても忘れられないの…」


やっぱりそうだった。俺と付き合う前、瑠奈は優斗と付き合っていた。しばらくして別れて、その1か月後に俺は彼女に告白し、付き合うことになった。


 「わかってる…私、自分勝手すぎるよね…私が優斗を振ったくせに何言ってんだろうって自分でも思う…」

正直俺もそう思った。彼女は涙目になっていた。涙で輝いた眼はオレンジ色の空の方を向いている。

 「でもやっぱり…今でもずっと好きなの…」


彼女の気持ちはなんとなく察していた。でもやっぱり俺は納得できなかった。ここで俺も言わなきゃいけないと思った。


 「待ってよ!優斗は野球をすることに必死になってる!野球に夢中になりすぎて、瑠奈の事をほったらかしにするから別れたんだろ?優斗は未だに野球に夢中なんだよ?そんなあいつをまだ好きなのかよ!ふざけんな!」


思ったよりも強い口調になってしまった。そりゃそうだ。俺は別れたいなんて思っていない。


でも、彼女は俺の強い口調に臆することはなかった。迷わず自分の言いたいことを言い続ける。

「そう。あの時は、優斗は野球ばっかで、私をほったらかしにしてた。それで寂しくなって別れた。でも…」

ここで彼女の目に溜まっていた涙がようやく外に出てきた。頬をつたって下にしずくが落ちていく。


「この時期になって…自分のやりたいことを考える時期になって、気づいたんだ…」

彼女の頬はいつの間にかびしょびしょに濡れていた。

「私は優斗が野球に夢中になってる姿を見て、好きになったの…野球に夢中になってる優斗が輝いて見えたの…」


輝いて見えた。今日、楓馬を見て俺が思ったことだ。


「私はそんな彼を支えたいなと思った……でも、付き合ってから、その気持ちをいつの間にか忘れてた……忘れたまま、彼を振った…」

今まで、その輝きを忘れてしまっていたということか。


「その忘れた気持ちに今さら気づいた…友達と進路の話をしている時にふと思い出した…」


忘れ物を思い出した…今日、楓馬が言ってたことだ。






「…忘れ物って、意外とさりげないときに思い出すんだね…」






もういい。それを言われてしまったら、俺はもう何も言えない。なぜなら、俺はその「忘れ物」さえも思い出せないからだ。さりげない日常を過ごしたって、なにも思い出すことはない。俺には輝くものだってない。あったのかもしれないけど、忘れた。忘れたままどこかへ行ってしまった。むしろ、失ってしまったのかもしれない。もう存在すらしないのかもしれない。


「…ごめん、何言ってんだろ私…」


わかってる。瑠奈が言いたいことは完璧に理解している。その「ごめん」という謝罪が、「お前にはわかるはずないか」と言われているような気がして、嫌な気分になった。


それでも俺は黙ったままでいた。


「…ごめん、本当にごめん…」

去っていく。輝いていない俺を置いていく。何もない俺を置いていく。


彼女は自分勝手だ。このことを楓馬に言えば、「うわ、最低女じゃん!!」というだろう。

普通に考えれば最低だろう。でも今の僕はそんな考えには至ることができなかった。

彼女が去った後も、しばらく固まった。しばらく考えていた。




俺の忘れ物はどこにある。




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