第二章(2-5)
キーンコーンカーンコーン
黒板の上にあるスピーカーから聞きなれた音がなった。
はい、じゃあさよならーという先生の締まりのない挨拶でクラスメイトが一斉に立ち上がる。みんな何かから解放されたように、スクールバッグを肩にかける。
よく見れば、よっしゃあ部活だー!と笑顔をみせながら意気込むクラスメイトもいれば、ああ…部活か…と眉をㇵの字にしながら憂鬱そうにしているクラスメイトもいる。
昨日武田が教えてくれたことを思い出す。
やっぱり、それぞれが自分の人生を模索しながら生きている。正しい方向に向かっている人もいれば、間違った方向に進んでしまった人もいる。
それに気づかない人もいる。
同じ水泳部でクラスメイトの男子達が僕のところに駆け寄ってくる。
「っしゃあ!!部活行くぞ部活!!」
彼らはとても笑顔だ。
「ごめん、ちょっと用があるから先行ってて!先生に少しだけ遅れるって言っといて!!」
僕がそう言うと、彼らはOK!とだけ返事して去っていった。
僕もすぐ行かなければならない。屋上に用がある。
僕は隠し持ってた携帯電話を見た。
「もういるよ」
とだけメールが来ていた。
スクールバッグと手提げバッグを持って、教室を出る。さっきの水泳部の彼らとは違った方向へ走っていく。階段を一個飛ばしで駆け上がる。心臓の鼓動が早くなるのを感じた。走っているからかもしれないが、これは違う。明らかに僕は緊張していた。昨日プールサイドで、武田がこっちに来るのを待っていた時のような緊張感だ。
屋上の扉についた。僕は扉のドアノブに手をかける前に、一回立ち止まる。階段を上がるときに切らした息を整える。それと同時に緊張感も和らいできた。よし、いくか。
扉を開けた。開けた瞬間のフワッと来る風が気持ちいい。今日も空は青い。遠くに入道雲が見える。屋上からの風景を見て、初めて僕は本格的な夏が来たんだと感じた。
そして、彼はその屋上からグラウンドを眺めていた。その目線の先には、グラウンドを均している野球部の姿があった。
「、、、、、橋本」
僕の呼び声にすぐ気が付き、こちらを振り返った。
「、、、、よう、、」
風の音でかき消されそうな、小さい声で僕に挨拶をした。
「なんだか久しぶりだな、、、」
「、、、、うん」
彼の声から、この状況の気まずさを感じていることが分かった。僕もこの雰囲気をどうにかしたくて、さっそく本題に入る。
「あのさ、こ、この前は部室で怒鳴ってごめん。俺、どうしても橋本には部活をやめてほしくなくてつい、、、で、でもよく考えたら、俺が自分勝手だなって。橋本がなんで部活をやめたいのかを全く聞かずにいたからさ、、、」
どんなに決心してても、どんなに扉の前で息を整えても、いざ本題をしゃべろうとすると、かなり緊張する。とにかく橋本から水泳部をやめる理由が聞きたい。
すると彼は野球部の方を見ながら、口を動かした。
「、、、、俺、リレーで県大会出場が決まった時、嬉しかったよ」
「、、、うん、俺も」
変なことは言わない。あの時のような過ちは犯さない。ちゃんと彼の話を聞こう。
「でもさ、それでみんなで喜んでた時、なぜか素直に喜べなかったんだよ。もちろん嬉しいことだよ。でも、みんなで喜びを分かち合ってたとき、なぜか頭の中で野球のことが思い浮かんだんだ」
僕も、野球部の方を見ながら、彼の話を聞き続ける。
「俺、小学校の時、チームメイトに野球が下手だ下手だって言われて、嫌になって野球やめたけどさ、それでも家の庭で毎日のように素振りしてた。その時は素振りをすることに必死になってた。それで結局自信なくて、水泳部に入った」
グラウンドで野球部の何人かが素振りをしている。
「リレーで県大会出場が決まった時に気づいたんだ。俺、野球が大好きなんだって。もちろん水泳も好きだったけど、それ以上に野球が好きだって。野球がやりたいって。野球が心の底から大好きだったのに、いつの間にかそれを忘れてたんだよな」
僕はチラッと彼の方を見た。彼の目が、顔が、体が、存在そのものが輝いて見えた。そして彼はこういった。
「忘れ物って、意外とさりげないときに思い出すんだな」
昇降口で靴を履き、橋本と一緒に外へ出た。
「うわ、なんか緊張するわ」
意外にも彼は弱気になっている。
「確かに、3年になって部活変える奴なんていねえよな。受験もあるのに。でも大丈夫だろ!野球が大好きってことが伝われば」
この時期に新しい部活に入部するのは、普通に考えればアホだ。でもなぜか今の彼はたとえアホでも、たとえ弱気でも輝いて見える。
しばらく一緒に歩いていた。楽器の音、剣道部の叫び声、体育館から聞こえる足音、グラウンドから聞こえる掛け声、すべてが四方八方から聞こえる。それぞれがそれぞれの道を歩き、音を鳴らしている。
「じゃあ俺こっちだから。じゃあな!」
「おう、頑張れ新入部員!」
そういって、僕は笑顔で水泳部までの道のりを、橋本は笑顔で野球部までの道のりを走った。
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