第二章(2-4)

 プールから這い上がった。昨日の曇り空とは違い、空がプールのように青い。西日が空の青をオレンジに染めようと準備しているようだ。この時間でも外はかなり暑い。体中にまとわりつく水滴がプールの水なのか汗なのかわからない。


「今日は解散だ。県大会まで残り3日。明日の練習はゆるめにするからな」

「気を付け!礼!」


武田の覇気がある号令でみんなが一斉にありがとうございました!という。

女子たちがお疲れ~といいながら女子部室へ向かう。男子たちもタオルを体にまきながら、真逆の方向にある男子部室へ向かう。


高島はタオルを巻かずに、後輩たちと肩を組み、楽しそうに喋りながら、部室へ向かっている。


 武田は先生と1対1で喋っている。というより、先生の話をずっと聞いている。

僕はこのタイミングしかないと思った。


 武田が先生の話を聞き終わり、部室に向かう時が来るのを待った。


 部員はぞろぞろと部室に入り、プールサイドには先生と武田と僕の3人だけになった。僕は独りで待つ。なぜか心臓の鼓動が早くなる。泳いでた時より早く感じる。別にこのまま部室へ戻ってもいい。でも、僕は待った。


 そしてついにその時が来た。彼は先生にお辞儀をし、先生はそれを見ることもなくプールサイドを後にする。先生がプールサイドを出たことを確認すると、体を部室の方向へと切り替える。その先に僕の姿があることに気づいたとき、彼は少しハッとした顔をして、その場で立ちすくんだ。沈黙が走る。目は確実にあっている。僕と武田の間に生暖かい夏風が吹いた。


 僕が彼に用があったはずだったが、彼から話しかけてくる。意外にも、いつもの落ち着いた優しい声で僕に話しかけてきた。


「メドレーリレー、橋本の代わりは予定通り、須藤だってよ」

須藤はもともとリレーメンバーの補欠だった2年生だ。


「そっか」

彼の優しい声をきけた安堵感とずっとリレメンになりたがってた須藤の夢がかなった嬉しさで、声が少し上ずった。


彼から橋本という名前を口にしてくれたおかげで、僕も話しやすくなった。

「あのさあ」

「ん?」

高島とは違って、真剣な顔で僕の話を聞こうとしている。その顔を見て、少しだけ緊張した。


「お、、おとといは、、、ご、、ごめん、、」

彼の目を見て言葉足らずの謝罪をした。

「、、、、、」

彼は黙った。視線を僕からそらす。

理屈っぽい彼が何を誤ってるのか聞いてこないということは、僕の言いたいことを理解しているのだろう。それでも僕はきちんと謝らなきゃと思った。


「俺、橋本の事、全然わかろうともしてなかった。やめる理由も聞かずにただただ怒って、勝手に出てった、、、、、、、、あの、、、、、、ほんとごめん」


勢いよく頭を前に倒した。彼がどんな表情をしてるか分からない。他にも言いたいことがあったはずだけど、忘れた。とにかく一番言いたいことは言えた。僕は深く深く頭を下げる。


「、、、、、、俺、見ちゃったんだよね、、」

その言葉を聞いて、僕はゆっくりと頭を持ち上げる。彼は足元のあみあみの床をみながら、語りだした。


「、、、この前さ、橋本の家の前通ってさ、、そしたらあいつ、、、庭で汗だくになりながらバット振ってたんだよ」

そういえば噂で聞いていた。橋本は小学校の時から水泳をやっていたが、野球少年でもあった。だが、他のチームメイトと比べたら下手で、よくいじめられていた。結局彼は野球をやめて、中学では水泳部に入った。


「あいつ、、今もう野球やってねえのにさ、まるで野球選手みたいに真剣に素振りしてたんだ」

僕は今まで知らなかった世界に飛び込んだような気分に陥った。


「俺思ったんだ。あいつのやりたいことは、これじゃないって。あいつの本当にやりたいことは、、、、下手な野球なんだよ」


、、、、、僕はそんな橋本に怒ったのだ。水泳を続けろと強制した。


武田が僕の方に近付いてきて、両手を僕の両肩にポンッとのせる。


「お前が水泳大好きなのは、よーくわかる。大好きだからこそ、あんだけ怒れたんだよな。俺だって橋本にやめてほしいなんて思わない。俺だって水泳が大好きだ」

僕の目をしっかり見ている。彼の目は宝石のように輝いていた。


「でもな、お前は自分の価値観を人に押し付けすぎてる。水泳部だからって、みんながみんな、水泳大好きとは限らないんだ。みんな、自分のやりたいことを模索しながら、生きてるんだ。失敗することだってある。でもそれを俺たちが責めちゃいけないと思うんだ」


全員が全員水泳を愛していることなんて絶対ない。そんなこと知ってたはずなのに、僕は自分の「好き」を他人に押し付けすぎた。他人の進みたい道を僕がせき止めようとした。


しばらく何もしゃべれなかった。犯罪者になった気分だ。誰かに殴られたくなった。そんな感情をすぐさま救ってくれたのは、言うまでもなく、キャプテンだった。


「いくぞ、部室」


彼のその言葉で、僕は部室に向かえた。前に進むことができた。


部室に入るや否や、すでに制服に着替えていた高島が僕と武田を見て、

「あれれれれ?ひょっとして、付き合いだしたんですか?」

とアホ面で冗談を言い、部室にいた全員が笑った。それにつられて、僕と武田もツッコミながら笑う。

昨日までの部室の雰囲気が嘘みたいだ。


でも僕の気分はまだ晴れたわけではない。


明日も部活はある。明日はどう生きようか、なんて考える必要もなかった。

やるべきことはただ一つ…


「一緒に帰ろうぜええ~~」

高島にそう言われ、2人で部室を出た。


さっきまでプール色をしていた空が、いつの間にかきれいなオレンジ色になっていた。

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