第一章(1-3)

 大掃除開始前のこの10分の休み時間というサービスをそれぞれが利用し始める。あるグループは廊下で追いかけっこをはじめ、あるグループは一つの机に群がっておしゃべりをはじめ、あるグループは出てはいけないベランダに出て悪ふざけをしている。みんなお日様のように輝いた笑顔を見せている。さっきのホームルームの時とは違って。

 僕、希、勇気、翔平の4人組はこのたった10分間の休み時間を廊下で追いかけっこをしたり、ベランダに出て悪ふざけすることに使ったりはしない。そんなのはもうとっくのとうに飽きた。僕たちがこの10分間を楽しむ方法。それは—

 廊下側の席にいる勇気と翔平がニヤニヤと何かを企んでいるかのような笑顔を見せながら、教卓側を通って希の席の方にやってくる。少し小走りでこちら側に来る。希の斜め後ろにいる僕は座ったままだ。希の前の席では西村が猫背になりながら、漫画をカリカリと音を立てながら描いている。勇気と翔平が彼女の席の横を通った瞬間、

ザッ!

翔平が慣れた手つきで、西村が描いた漫画を取り上げた。そして取り上げた漫画をそのまま後ろの希の机に広げる。一瞬の出来事だった。

「ブハハハハハハ!!相変わらず絵下手すぎ!!」

翔平が大きな声で腹を抱えて笑い転げる。教室にいる周りのクラスメイトは知らんぷりだ。僕たちが追いかけっこをすることに飽きたのと同じように、彼らもこの状況を見飽きたのだろう。

「お前、毎日漫画描いてたのに、下手なまんまだな!!」

翔平の笑い声をBGMに勇気も同じようなことを言う。

そして、最後に希がとどめのセリフ。

「お前みたいなド下手が漫画家になれるわけねえだろ」

翔平みたいな大げさな笑いとは違う、少し真剣みを帯びた笑い方で希が言った。僕はわかってる。こんなこと言われたら腹が立つにきまってる。

 西村はしばらく動かなかった。この流れは、ほぼ毎日のようにやってるから、慣れてしまったのだろうか。すると、ようやく彼女は首をこちら側に振り向かせ、右手を希の前に差し出した。

「返して」

その声には、悲しさも怒りも感じなかった。むしろ優しさみたいなものを感じた。彼女は腹が立っていないのだろうか。

「うるせえよ」

希が捨て台詞のようにそっけなく返事をした。すると、彼は後ろにいた僕の方に振り向き、漫画を渡してきた。

「お前も見てみろよ。こいつが描いた傑作を」

ニヤニヤした顔つきで希が僕に漫画を読むことを強要してくる。この状況で「読まない」という選択肢は存在しない。読まなきゃこの流れをせき止めることになる。僕は希が差し出した漫画を手に取った。1ページ目から軽くパラパラとめくってみる。確かに彼女が描いた絵は下手で、セリフの字もギリギリ読めるくらい汚い。ストーリーもどこが面白いのか理解できない。

「どう思うよ?」

翔平が僕に感想を求める。この状況でどういう感想を言うのがベストか。それだけを考えてた。そして僕は、頬を持ち上げ、彼らと同じニヤニヤ顔をつくってこう答えた。

「ダサい。下手くそなくせに」

みんなは、だよな~といいながらゲラゲラ笑いだした。僕の返答は正解だったようだ。僕も彼らと一緒にゲラゲラと笑う。

その流れで僕は彼女がどういう顔をしてるのか気になって、チラッと彼女を見てみた。すると、彼女は真顔で僕のことをずっと見つめている。にらみつけてはいない。どちらかというと優しい顔をしてこちらを見ている。僕はなぜかそれを見て怖くなった。

「な、なんだよ」

僕は強気の口調で言ったみた。声が震えてしまった。

「返して」

再び彼女は右手を伸ばし、優しい顔でそういった。なぜかこの状況が突然苦しくなった。自分でもどうしていいかわからなくなった。すると、自然と僕は手に持っていた漫画を彼女の方向に動かしていた。僕と彼女の席の距離は手を伸ばしてもギリギリ届かないくらいだ。届くはずがない。なのに手を伸ばした。漫画を返そうとした。自分でも何をしているのかわからなかった。

その時、僕が手を伸ばして差し出そうとした漫画を希がサッと取り上げた。そしてそのまま誰もいない教卓の方に投げつけた。

「こんなもん誰も読まねえよ」

そう希が捨て台詞をいった後、トイレ行くぞとて、僕たち4人はトイレへ向かった。助かった。自分が何をしているかわからないあの状況を希が助けてくれた気がした。なぜ僕は、素直に彼女に漫画を返そうとしたのだろう。

 西村の漫画を取り上げて、笑い転げて、投げる、という流れはいつもの10分休みのルーティンだ。なのに今日の10分休みはもう大掃除の時間は終わったんじゃないかと思うくらい長く感じた。

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