幽霊の正体見たり

 強力な霊と言ったけど、今回はコミュニケーションを取ることのできない下級霊や動物霊に比べたら簡単に終わるかもしれない。というのも相手は礼一の意識を乗っ取るわけだから、その時に直接『出て行ってください、山崎くんに身体を返してください』と交渉してしまえばいい。そう簡単にいくかどうかまではわからないけれどね。兎にも角にも、交渉で少しでも優位な立場を確保するために情報収集をしなければならない。

 しかしその前に言わなければならないことがあった。


「さて、まずお互いの共通認識として一つ言っておくことがあるわ」


 信じるか信じないかはあなた次第だけれども、というどこか聞き覚えのあるフレーズを枕言葉に私は自分の霊能力について山崎に伝えた。特に大それた説明ではない。私は妖の類を五感で感じることができる。加えて、簡単な結界や儀式、祈祷などなど。これらは超能力のようなものでもなければ、妖の類に対して絶対的な力を発揮するわけではない。神様と接触したり、霊障の影響を弱めたり、ちょっとした悪霊からの攻撃から身を守ったり、憑いてしまった霊を祓ったり。

 私はただの巫女であって物語に出てくるような祓魔師エクソシストではないのだ。結局のところ、人間がいくらオカルト的な知識をかき集めたところで本気になった妖の類に決定的な一撃を与えるのは、竹槍で戦闘機を撃ち落とすくらいに難しい。

 私の説明に彼はそれなりに驚いていたみたいで心の底から信じているのかまではわからないけれど、自身が現在進行形で霊障に巻き込まれていることからか比較的柔軟に飲み込んでくれたようだ。


「山崎君に取り憑いているのは相当強い思念を持った霊よ。多分ないとはおもうけれど生霊の可能性もなくはないわ。何か人から恨みを買ったりした覚えはあるかしら? 或いは霊的な粗相を犯したとか。あぁそれとタメ口でいいわよ」

「うん…………うーん、これといったものはないかなぁ」


 礼一は眉間に指を当てて色々記憶を辿っているようだが、そういったことは思いあたらないみたいだった。私の所見通りであれば礼一に取り憑いている霊から悪意や怨嗟は感じ取れないから、害意のある生霊や呪いの可能性は低いと言える。とはいえ、人の恨みなんてどこで買うか分かったもんじゃないけれどね。ただ、人格を一時的とはいえ完全に乗っ取るほどの強力な生霊や呪いというのも考えにくいので、やっぱりこれは死霊と判断するのが妥当かしら。

 礼一が言うには憑依されてから三週間ってところだと思うけど、それにしては身体と憑き霊が馴染んでいるのよね。私の見立てでは憑依されてから半年以上は経ってそう。明らかに何かがおかしい。一言でいえば違和感。それっぽく言うとすれば異常霊障だわ。

 などと私は様々な可能性についてぐるぐると思考を巡らせながら、次の質問に移った。


「それじゃあ記憶がポッカリなくなることについて。どういった感じなのかしら。できるだけ具体的に教えて欲しいわ」

「一日に何回か、短い時は一〇分にも満たないくらいだけど、長い時は一時間くらい変わっているときもあるみたい。なんとか抑えようとするけど、突然フッと意識がなくなって、気がついたら時間が過ぎているんだ。記憶が飛んでいる間、友達が言うには僕は随分と大人しくなるみたい」

「何か、憑き霊からのメッセージはあったりした? 夢に出てくるとか乗っ取られている間にノートに何か書いてあったりとか」

「それも無いかな」


 ふむ……。

 礼一に何かを主張したい、或いは礼一を使って周囲に何かを伝えたいわけではなさそうと判断するのは時期尚早ではあるけれど、そういった痕跡が見られない以上、純粋に肉体を乗っ取るのが目的なのかしら。


「記憶が無くなる時間や場所に規則性があったりはしない?」

「時間は特に決まってないと思う。場所は大学の中でしか起こっていない、かな」


 礼一に取り憑いている霊は大学の地縛霊でほぼ間違えないわね。所見では若い男の霊だったから、かつてこの大学で死んでしまった学生の霊、というのが妥当かしら。


「山崎くん。大学に入る以前、受験やオープンキャンパスで敷地に来てると思うけど、何か心当たりはあるかしら?」

「……いや、それはないかな」

「……」


 妙なが気になるわね。

 そのはいままでの質問のときに生まれたような、記憶を掘り返してできたではなかった。

 と、すれば――

 私は財布からレシートを取り出すと、その裏に二つの調査内容を記して伊織に手渡した。


「大体お相手の目星が付いたわ。伊織、うちの大学の男子学生にここ数年で亡くなった方がいないか調べることはできそうかしら?」

「もちろんできるわよ。あ、礼一。あたしにもお昼ご飯奢ってね!」


 伊織は手渡された調査内容を確認すると口元を僅かに釣り上げた。彼女は荷物をまとめると軽やかな足取りでオープンテラスから立ち去っていった。全く伊織の強かさは相変わらずね。去り際に言った突然の要求に礼一はコクコク頷くことしかできなかったみたい。

 伊織は高校時代は新聞部にも所属していて、様々なネタをすっぱ抜くゴシップモンスターとして学生、教職員問わず恐れられていた。嘘か誠か、校内の恋愛事情で彼女の知らないものはないとまで言わせしめた、凄まじい情報網を構築していたらしい。私は怖くて詳細は聞けなかったけれど、伊織はとにかく強かなのだ。

 伊織はできないことはできないとちゃんと言うタイプだから、私の求めている情報を入手するアテがあるみたいね。入学してまだ一ヶ月も経ってないのにとんでもない情報網だこと。その為に誘われたサークルに全部入ったのかしら。毎度のことながら感心させられる。


「山崎君はこの後は授業とかあるのかしら? お相手は多分地縛霊だから、特に用がないなら早めに帰宅することをオススメするわ」

「…………」


 明らかに礼一の様子がおかしい。

 瞳には一切の感情がなく、表情からは生気が一切感じられない。

 次の瞬間、礼一はカクンと力なくこうべを垂らす。同時に彼の身体から得体の知れない気が溢れ出してくる。そしてSF映画でロボットが再起動するかのようにゆっくりと首をあげた。

 彼は再び生気を取り戻しており、むしろ先ほどより顔色が良い。これが彼本来の印象なんでしょう。少しだけ、ほんの少しだけイケメンだと思ったのはちょっと置いておきましょう。私には『彼の肉体』を現在支配しているのはという事実が視えた。


――早速出てきたわね。


「初めまして。私は神薙透子。貴方の名前を教えていただけますか?」

「山崎礼一です。よろしくお願いします」


 よくもまぁいけしゃあしゃあと嘘を吐いてくれたわね。でもおかげで、この憑き霊は宿主と記憶を共有できないタイプだとわかったわ。礼一が言っていた憑依時の性格が大人しくなるというのは、会話についていけず様子を見ていた、と解釈できそうね。礼一の憑き霊は短ければ十分程度しか維持できないらしいから早めに蹴りを付けなくてはならない。

 とは言ったものの、伊織による情報収集が行えていないこのタイミングでファーストコンタクトを取るのは少々厳しい。仮説はあるもののは情報不足であることには変わりはなかった。

 こういった場合、絡め手を使うと大抵は墓穴を掘ることになる。正面からぶつかるしかなさそうね。


「くだらない三文芝居に付き合っていられるほど、私も暇じゃないわ。貴方の本当の名前を聞いているの。単刀直入に言うわね。その身体を山崎礼一君に返してもらえないかしら?」


 私の言葉を聞いた彼の表情がピクリと固まった。彼と瞳が合う。瞳孔は安定している。古の時代より霊が憑いている状態と考えられてきた単純なトランス状態などではない。彼の瞳孔は映ろう木漏れ日に反応して伸縮している。いま、この瞬間だけは礼一に憑いている霊が完全にその身体を支配している。

 それにしても、数週間しか経ってないのにも関わらず、表に出ているときにここまで違和感が少ないのも珍しいわ。よほど礼一の身体と相性が良かったのかしら。


「へぇ、ただのブラフってわけでもなさそうだね。単純にこいつから話を聞いたってわけでもなさそうだね。君、透子さんだっけ。ちゃんと俺が視えているんだね」


 気のせいだろうか。礼一に取り憑いている男は片方の広角を上げ、少し嬉しそうな表情をした。


「えぇ、ちゃんと視えているわ。それで、まだ答えは頂いていないのだけど」

「答えはNOだ。俺はこの身体を返す気は一切ない。ついでに名前を言う気もない」

「理由を聞かせてもらってもいいかしら?」

「俺はこれから山崎礼一として生きていくからね。もう前の名前に意味はない。逆に聞くけど、せっかく手に入れた身体を手放したくないのに理由なんか必要かな?」


 ま、こう答えるのは予想の範囲内よね。どうして憑依したのかなんて、理由を聞いて答えてくれる霊の方が少ない。


「私の実家は神社なの。身体を返してくれたあとのアフターケアは充実しているわよ」

「神社ってことは黄泉国へ案内されてしまうのかな? だったら絶対にお断りだ。仏教だったら考えたかもしれないけどね」


 神道がダメで仏教なら良いというのは、神道も嫌われたものね。要するに輪廻転生の概念ある仏教なら良い。相当この世に対して未練があるみたいね。しかし、その未練自体には邪な気は感じられない。


「そう、残念だわ。そうなると実力行使で出て行ってもらうことになるけれど、それでいいかしら?」

「俺を滅するのかい? せめて卒業するまでは待ってほしいなぁ」

「そんなわけないでしょ。どうして山崎の為に私が殺人を犯さなきゃならないのよ。言ったでしょ。実家が神社だって。色々やり方があるのよ」


 私の答えを聞いた男は一瞬呆けた表情をしたと思うと、腹のそこから心底楽しそうに笑い出した。


「あっはっはっは! 随分と面白いことを言うんだね。俺みたいな霊に対しても殺人の概念を持ち込むのか。もう死んでいるのに!」

「当然でしょ。貴方の魂はまだ生きているのだから」

「…………そろそろ時間だ。次会うときは――」


 突如、カクンと先ほどと同じように力なくこうべを垂らす。そしてロボットが再起動するように頭をあげる。再び礼一の表情は恐怖によって暗く沈んだものに戻っていた。さっきの霊が憑依していた時の方が印象よかったわよね。これ、そのまま変わってもらっていたほうがいいんじゃないかしら。

 流石に礼一が可哀想すぎるので、これは私の頭の中に封印しておこう。


「おかえりなさい」

「……いま、もしかして」

「憑き霊が表に出ていたわ。少し話をさせてもらったけど、結論から言えば交渉は失敗よ。なかなか愛されているみたいね」


 やや皮肉を込めた私の言葉を聞いた礼一は、頭を抱えて深くため息をついた。相当堪えているみたいね。心なしかさきほどよりも顔色が悪くなっている。まぁこんな霊障起こされたら誰でもたまったもんじゃないわよね


「それじゃあ僕は一生このままなの?」

「ちゃんと祓うわよ。明日の講義は?」

「いや、明日は一日休みだよ」

「そう、私は午前に講義が入っているから……そうね、今日と同じ時間にこの席に来てくれるかしら。そこでお祓いについて詳しく話すから」

「はい、わかりました! お願いします」


 安堵の表情と共に凄まじい勢いで礼一は頭を下げる。一刻も早く解放されたいと思うのは当然だけど。


「うん。じゃあまた明日会いましょう」


 私は先ほど憑依霊と話して、いま一度礼一に確認したいことがあった。席を立とうとする礼一を私は呼び止めた。


「あぁ、そうそう、山崎君。最後にひとつだけ確認したいことがあるのだけどいいかしら?」

「はい、なんでしょう?」

「本当に心当たりはないのよね?」

「……うん。ないよ」


 礼一は一言そう発すると、そそくさと逃げるようにオープンテラスを後にした。


「全く、本当に嘘が下手くそね」


 ポツリとつぶやいた私の言葉は春の風に飲まれて消えていった。私の頭の中に一つの仮説が生まれる。できれば当たって欲しくないものね。

 私はすっかり冷めてしまった鯖の味噌煮を食べ終えると、お盆を流しに戻してから帰路についた。




 私は神社の実家暮らしであるけれど、そこは大学から歩いて一時間ほどのところにある。それなりに近い場所だから自転車で通学してもいいのだけれど、健康の為に徒歩で通学にしている。家に近づくほどに都会の喧騒は少しずつ遠くなり、人通りもまばらになっていく。住宅街に入ってしまえば、犬の散歩をしている人や学生くらいしか目に入らなくなる。

 そろそろ家に着く頃合いで、私のスマートフォンが小刻みに振動する。ディスプレイには『篠原 伊織』と表示されている。


「伊織、早かったわね」

「透子ー、疲れたよー。礼一には絶対ケーキを奢ってもらうんだから!」


 スピーカーから僅かに疲労の成分を含んだ伊織の声が聞こえる。その声から、彼女がぷんすかと地団駄を踏んでいる光景が目に浮かび、思わず笑みが漏れてしまった。伊織の口調からは調査には成功したみたいね。


「ふふっ、そうね。財布が空っぽになるまで食べちゃいましょ。それで、首尾はどうかしら?」

「ちゃんと調べたよ! まず一つ目、学生で死んだ人についてね。サークルの先輩に聞いてみたら、二年前の秋に理工学部の学生が交通事故で死亡した事件があったみたい。正門の前の大通り、あそこの交差点で左折するトラックに巻き込まれて亡くなったんだって」

「その人の詳細な情報はわかるかしら?」


 電話の向こうでペラペラと紙を捲る音が聞こえる。


「えーっと、高島宗介たかしまそうすけ、当時大学四年生。理工学部で専攻は航空宇宙工学。大手重工メーカーから何個も内定を貰ってたみたい。相当優秀な人だったみたいで、卒論は相当期待されていたっぽい。志半ばで亡くなっちゃったのが悔やまれるよね」


 なるほど。なんとなくだがあの霊、高島が人間に憑依した理由がわかった。


「ありがとう。それで、もう一つの方、山崎礼一の高校時代についてはどうかしら?」

「それもバッチリだよ! ふふっ、礼一と同じ高校の子がいてね。礼一の高校生活はもうぜーんぶ丸裸にしちゃったよー」

「あんまり下品な言葉は使わないの」

「ごめんごめん。で、礼一だけどね、神奈川の高校に通ってたよ」


 伊織は進学校として有名な名門高校の名前を口にした。

 素直に感嘆の声が漏れた。


「へぇ、すごいじゃない」

「高校では弓道部だったみたい。インターハイで準優勝したんだって。すごいよね。で、恋愛事情についてなんだけどさ、礼一ってぱ高校二年の時にね――」


 ゴシップモンスターとしてのトークマシンガンが炸裂する前に私は咳払いをして牽制する。伊織はこの手の話を始めると永遠に話し続けてしまう。スピーカーの向こう側から残念そうな雰囲気が伝わってくる。許して伊織、また今度いくらでも聞くからね。


「それで、学業のほうはどうだったのかしら?」

「透子はつれないなぁ。……高三のときは受験勉強で相当苦戦していたんだって。春まではとてもじゃないけどウチの大学に入れるだけの学力はなかったし、センターでも結果は芳しくなかったみたい。だけど、試験当日には奇跡が起こってまさかの大逆転! すごいよね。最後まで諦めなければ云々って言葉は本当だと思うよ」


 やっぱりね。そんな気がしたわ。

 私は自らの仮説の正しさに確信めいたものを感じてしまい、小さくため息を漏らした


「なにかわかったの?」

「えぇ。詳細は明日話すわ。伊織ありがとう」

「これくらいお安い御用だよ! 今回はちゃんと報酬も用意されているしね!」

「そうね。それじゃあ切るわね。また明日」


 私は通話を切り、スマホをポケットにしまいこんだ。

 さて、山崎礼一君。今回の件は思った以上に大きいヤマみたいね。どうやって収集をつけましょうか。

 私は帰り道を心持ちゆっくりめに歩きながら、明日の計画を頭の中で練り始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る