須貝明輝(3)

 ちゃんと返事をしてくれるもんだな、と明輝は驚いた。目の前のディスプレイには、例のサイトの管理人の文章が表示されている。

 丁寧な文面で、しかも親身に考えてくれている。他の投稿者への反応からある程度予想できていたとはいえ、実際に自分あてのメッセージが記されたとなると、やはり嬉しいものがある。

 具体的なことは書かなかった。ただ、ある事案の責任者になったがいろいろと大変だ、くらいの愚痴に近い文章を垂れ流したにすぎなかった。にもかかわらず、わずか数時間後には長い返答があったのだ。

 こういうお人よしもいるものだ。文章を読み返しながら、明輝は腕組みした。

同時に、「なにか手伝えることがあったら言ってね」と申し出てくれた遥の顔も浮かぶ。わずかでも、自分を気にかけてくれる人間もいることはいるのだと思った。

 明輝は本棚にしまってあったファイルに手を伸ばし、回収済みのアンケート用紙を抜き出した。現在のところ、模擬店とステージ発表の二大勢力が強い。最後までこの傾向は変わらないと判断してよさそうだった。

 明輝は椅子の上で伸びをしてから立ち上がった。最近はパソコンの画面ばかり眺めていたから、少し目が疲れている。散歩して頭を冷やそうと思った。

 家を出る。駅前のほうは知り合いに出くわす気がしたので避け、反対方向へ歩き出す。人通りの少ない細い道を選び、あてもなく進んだ。

 遥の「映画をやりたい」という言葉を思い出す。実現できるかどうかは別として、想像を膨らませてみるのも悪くないような気がした。彼女は、どんな映画を撮りたいのだろうか。

 スケールの大きいものは不可能だろう。カーチェイス、撃ち合い、爆発、その手のものはすべて駄目だ。やるとすれば、もっと小規模な、ささやかな作品だ。

 あのサイトで公開されていた動画のことを考えた。ちょっとした映像で、被写体も特別なものではないのに、なんとなく綺麗で、忘れがたかった。ああいうものが作れればと思う。

 もうひとつは音楽だ。遥はどんな音楽が好きなのだろう。ロック? ジャズ? それともクラシックだろうか。どれにしろ、クラスの出し物としてやるとなると難易度が高い。ゲストを呼ぶという意見もあったが、具体的なことはなにも考え付かない。

 こんなふうにあれこれ思いを巡らせている自分は、やっぱりお人よしなんじゃないだろうか、と明輝は思った。そういえば、首を絞められて苦しそうだった黒猫の首輪を外してやったりもした。人間の根っこの部分というのは、そうたやすく変わるものではないのかもしれない。

 ちょうどそのとき、目の前を黒い影が走った。はっとして見ると、黒猫である。道の端で立ち止まり、きらきらした眼でこちらを見つめている。首輪はしていない。

 あのときのおまえか? 明輝は思わず問いかける。黒猫は、そうだよ、とでも言うように尾を上げ、さっと駆けだした。しばらく先へ行くとまた止まって、こちらを振り返る。

 ついて来いってことか? そうなんだな。

 明輝はそう納得して、黒猫のあとを追った。猫は迷いなく、細い道を進んでいく。

 見失いはしなかった。一定のペースを守ったまま、街を抜ける。畑のあいだの道を、森のほうへ近づき、さらに奥へと入り込んでいった。人通りはまったくと言っていいほどない。こんなところへ来て、どうしようというのだろうか。

 どこからか音が聞こえた。勘違いか、と明輝は耳を澄ませる。やはり聞こえる。ただの音ではない。もっと人為的なものだ。メロディだ。誰かが歌っている。

 黒猫が勢いよく走りだした。見つけた、ということなのか。明輝も歩みを速める。

 坂を上りきったところで、人影が見えた。若い男性で、アコースティックギターを抱えて歌っている。黒猫がその足元で止まった。

 なにも言えずに眺めていると、男が明輝に気づいたらしく、歌をやめてこちらを向いた。

「まいったな。人前じゃ、もうやらないつもりだったのに」

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