佐倉秀平(2)

「お久しぶりっす。あんまり変わらないですね」

「いや、それより、どうしたんだおまえ」

 迎えてくれた牧島の姿を一目見るなり、秀平は唖然とした。彼は松葉杖をつき、左脚には包帯が巻かれていたからだった。

「ああ、これですか。ちょっと折れちゃったみたいで。でもこのくらいで済んでラッキーでした」

 牧島はぽんぽんと自らの左脚を叩く。秀平は肩をすくめ、

「ラッキーっておまえ」

「電話で言ったでしょう。死にそうな思いをしたんですから、生きてるだけでめっけもんって感じですよ」

 何事もなかったかのように、牧島は人懐っこく笑った。どうぞどうぞ、と言いながら、牧島は慣れた様子で松葉杖を操って奥へ行ってしまう。手を貸そうかと問う暇もなかった。

 促されるままに部屋に上がって、なかをぐるりと一瞥してみる。自分の部屋と比べるのも失礼な気がしたが、男の一人暮らしにしてはそれなりに綺麗だし広い。八畳ほどはあるだろうと思った。よいしょ、と椅子に座った牧島に向かい合うように腰を下ろすと、秀平は言った。

「死にそうな思いってそういうことか。なにをやったんだ、ぜんぜん知らなかった」

「事故です。乗ってたバスが巻き込まれまして」

「そうか、それは気の毒だったな」

 そういうニュースを近頃見たろうか。記憶になかった。まさかこんなに大変なことになっていたとは、予想もしていなかった。牧島のやつがまたろくでもないことを企んだのだろう、くらいにしか考えていなかったのだ。

「おまえな、電話してくるならちゃんと言えよ。知ってたら、こっちにも相応の……」

 いえいえ、と牧島は秀平の言葉を遮って、

「いいんですよ、お見舞いに来て欲しかったわけじゃないんで。どうせあれでしょ、僕が大怪我したなんて言ったら、佐倉さん、果物とか柄じゃないもの買ってきて、むつかしい顔して、うむ、大変だったな、かなんか言って帰っていくんでしょ。そういうのつまんないですよ。僕は久しぶりにお話したいなあと思って電話したんだから」

 呼び出された理由をすっかり忘れていた。しかし、いきなりあの姿を見せられたのではしかたがないと思うのだが。

「……まあ、話ならいくらでもするさ。そういえば、なんだっけ、あのときのおまえの電話、神はいるか、から始まったんだったか」

「いるか、じゃありません。いるかいないかなんて僕らには分かりっこないんだから。信じてるか、です。気持ちの問題なんです」

 気持ち、の部分を強調して発音しながら、牧島は胸の辺りに手を当てた。

「うん、それでおまえは、信じることにしたんだったな。きっかけはやっぱりその、事故だったのか?」

「事故というか、そのバスで隣に座ってた人ですね。大げさに言えば、僕の人生を変えた人です。いや大げさじゃないな。実際に僕は変わった、自ら変わろうとするくらいには変わったんだから。このままじゃまずいなあって、みんな漠然と思ってても、なんにもできないんじゃあ結局なんにも変わらない。僕はそれに気づかされて、行動しようとしてるんですから」

「ふうん。隣に座ったやつか。どんなやつだったんだ、そいつ」

「芸術家ですよ。客にひとときの夢を見せるのが自分の使命だって、そう言ってました」

「……なるほどな」

「こうも言ってました。作品っていうのは、嘘っぱちの偽物で、誰もがそんなことは分かっているんだけど、それでもときに現実以上の力をもって人を撃つことがある。自分はあと何十年かしたらどうせ死ぬけど、作品は誰かのなかに生き続けるかもしれない、俺の名前なんか忘れられても、俺の作ったものが、やったことが、誰かのなかに宿っていてほしい、と」

 そうか、と秀平は応じた。かつての自分が考えていたのは、たぶんそういうことだったのだろう。それを伝えることも、形にすることもできなかったけれど。

「いつか俺の作品を見に来てくれって、彼は言ってました。でも叶わなかったんです。あのとき、僕が通路側で、彼が窓側の席に座ってたから」

「……あるもんなんだな、そういうこと」

「信じるかどうかは気持ちの問題だってのも、その人の受け売りです。だから僕は信じることにしました。もしかしたら、自分は若くして死んじゃったのに、隣に座ってた僕みたいな間抜けが生き残ってることを、彼は怒ってるのかもしれない。でもそんなの、もう分からないし確かめようがないんですよ。だったら、彼の言葉を信じたほうがいいじゃないですか。言葉だって立派な作品なんですから。彼の言葉を僕が忘れないで生きていけば、彼の望みが、ちょっとだけでも叶ったことになる。そういうふうに考えることにしたんです」

 少し黙考し、秀平は頷いた。

「そうすると、いま俺にもその言葉が宿った、ということになるな。おまえの考え方に従うなら、そいつの願望の達成度は、また少し上昇したわけだ」

「そうです。僕はそういうことがしたい。彼みたいにやっていきたい。でもひとりじゃどうしようもないんです」

「なるほど、なにか創造しなくちゃいけないわけだしな」

「そう。彼は彼の作品でそれをやろうとした。もちろん僕には同じことはできません。でも佐倉さんが手伝ってくれたら、なんかこう、ちょっと違う形になるかもしれないけど、いけそうな気がするんです」

 牧島が右手を差し出した。芝居がかったやつだ、と思いながらも、秀平はその手を握り返した。

「俺にできることなら、やってみよう」

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