第9話 金髪の吸血鬼


 不安要素は尽きない。何故、白の王国の最高戦力である幻想の勇者ブレイブが黒の領土にいるのか。一体何と戦っているのか。そして万が一幻想の勇者と戦闘になったとして、果たして俺は奴に勝てるのだろうか・・・・・・。


 2年前の大戦で、奴とは剣を交えた。だからこそ分かる。目の前に見える巨大な剣が、奴によって創られたということを。

 あの時はお互い万全の状態で戦って互角だった。しかし、今回はあの時とは条件が違う。

 先程使用した冥界十眷属ハデスにより、かなりの魔力リアを消耗してしまった。


 師匠曰く、魔力の有無は戦いの勝敗を大きく分ける。こと勇者ブレイブ同士の戦いにおいては、一部を除き、先に魔力が尽きたほうが負ける。


 こんなことになるなら使わなけりゃ良かった。と、後悔しても遅い。さっきリヴィアに魔力のことを聞かれた時は強がって見せたが、事態は深刻だ。このまま戦えば、俺が負ける可能性のほうが高い。


 今はカルラもいるが、はっきり言って彼の強さがどれほどのものなのかは俺にも分からない。


 何故なら、俺は今まで一度たりともカルラが本気を出して戦ったところを見たことがないからだ。


 カルラ・カーターを一言で言い表すのならば、底が見えない男。いつもおちゃらけているのに、どんな場面でさえ彼には余裕があるといったイメージを持っている。


 だからこそ、頼りにしていいものか、して悪いものか・・・・・・。


 まぁ、あの勇者が相手となると、2人がかりで戦ったところで勝てるという保証はどこにもない。


 それはきっとリヴィアも気づいているのだろうが、彼女はあえて口に出さない。


――まだあいつと戦うと決まったわけじゃねぇんだ。


 俺は嫌な想像を切り捨てる。そして前を向き、巨大な剣を睨みつけた。未だ戦闘中らしく、耳を澄ますと微かに金属同士の衝突音が聞こえてきた。ちょうどその時だ。

 眼前にあった巨大な剣が、フッと跡形もなく消えたのだ。胸の奥で、何か胸騒ぎがしてならなかった。


「急ぐぞ!」


 隣を走っているリヴィアと、少し後ろを走っているカルラに短く告げ、俺達は走る速度を上げた。


 その場所へと辿り着いたのは、あれから15分後のことだ。


「くそっ……! 遅かったか……」


 その場所は、黒の王国に位置するなんの変哲もない草原だった。ついさっきまでは。


 かなり激しい戦闘だったのだろう。大地は抉えぐれ、そこかしこに地面がめくれてできた、岩石が拡散している。眼を凝らして地面を見ると、巨大な穴や切り傷のようなものも多数見て取れた。そして――。


「ひどいな……」


 ところどころに転がっている死体。


 その死体はどれも魔族の者で、その全てが吸血鬼種のものだった。

 何か巨大な物で潰されたように、ぺちゃんこな死体。胴体が真っ二つに切断されている死体。

 反射的に眉間に皺しわがよる。辺りをぐるりと見回してみても、何も動く気配は無かった。

 最上位魔族である吸血鬼種が、こんなにも一方的に殺られるなどあってはならない。だが、相手が幻想の勇者であれば納得せざるを得まい。

 俺の中で、疑惑は確信へと変わった。


 この有様で、生存は絶望的だろう、と思った時だ。


「レンレンあの子……」


 カルラが右手で何かを指差し、声を上げる。

 俺は咄嗟にカルラの指差す方に視線を向けた。するとそこには、岩に背を預けて座る1人の少女の姿があった。


 透き通るような金髪を伸ばした、吸血鬼の少女だ。だが、その美しい金髪は赤黒い血に染まり、彼女の周りには大量の血が地面に染み込んでいた。


 瞼が開いたわけでもないし、指がピクリと動いたわけでもない。ただの感だ。そのただの感を信じ、俺は急いで少女の元へと駆け寄った。


「おい! 大丈夫か、生きてるか?」


 遠くからでは分からなかったが、破れた服の隙間から深い切り傷がいくつも垣間見えた。


「何をしているんだレン。どう見ても死んでいるだろう?」


 後からついてきたリヴィアが淡々と言った。確かに、この傷では……と諦めかけたとき。


「……うっ!」


 少女の喉から、か細い声が聞こえたのだ。


「おぉ。どうやら生きていたようだな」


 柄にもなく少し驚いた声を上げたリヴィアだったが、それだけだ。少女の顔は青白く、今にも死んでしまいそうだった。


「生きてるならいい。もう喋るな」


 俺とカルラは回復魔法が使えない。今のリヴィアに至っては、魔力を使用することすらできない。

 少女の目からは既に正気が消えかかっており、すぐに手当をしなければいけないことは明白だ。しかし、俺にはどうすることもできないのだ。せめてここにフィーナがいてくれれば・・・・・・。


「……血が、足りない……」


 少女が掠れる声でぽつりと呟いた。『血』という単語。その言葉を聞いた瞬間、俺は吸血鬼の持つ特殊能力を思い出した。


「血……か・・・・・・だったら俺のをやる!」


 吸血鬼種は他者の血を取り込むことにより、戦闘力を一時的に強化したり、己の傷を修復することができると、昔何かの書物で読んだことがあった。


「おい、何を言っているんだレン」


「それは止めといたほうがいいと思うぜ?」


 俺はリヴィアとカルラの声を無視し、襟元をずらし、首を出した。


 少女は驚いたように少し目を丸くしたが、その後口元に微笑を浮かべ、小さく首を振った。


「それは……、だめだよ」


 俺は少女の意見を無視し、首筋を彼女の口元へと近づける。少女の喉から唾を飲む音が聞こえた。


 だが、少女は尚も首を横に振り続ける。


「だめ、なんだよ……。きみに、迷惑をかけるわけにはいかないから」


 白く華奢な腕が俺の胸に押し当てられる。彼女は必死に俺の胸を押し返しているつもりなのだろうが、その腕には全くと言っていいほど力がこもっていなかった。


 少女は微笑を浮かべ、俯いた。


 血を飲ませた俺に、何かしらデメリットがあることを彼女は心配しているのだろう。


 だけど、そんなこと今はどうでもいい。


 最下位魔族である魔人種の血を、上位魔族である吸血鬼種が飲んでどうなるかは分らない。


 でも、何もしないよりはずっとマシだ。


 書物には詳しいことはあまり書かれていなかったし、もしかしたら俺が忘れてしまっているかもしれない。しかし、少女は「血が足りない」と言った。無意識に出てしまった言葉だったとしても、血を摂取することにより、なにかしら効果があると俺は信じたかった。


 それに。目の前で今にも死んでしまいそうな少女に、俺は他にしてやれることが何もないのだ。


「血を飲めっつったのは俺だ。なにかあったら責任は全部俺が取る。だから――」


「馬鹿を言うな、よく考えろレン。お前がそこの吸血鬼に血を飲ませるメリットはどこにもないだろう?」


 リヴィアが血を飲ませることに反対した。


 リヴィアの言う通り、目の前の少女に血を飲ませるメリットはない。だが――


「確かにメリットはないかもしれねぇ。――でも。俺の目の前で女の子が死にそうなんだ。

 こういうのって、理屈がどうとかじゃねぇと思うんだよな」


「――」


 リヴィアの悲痛な表情が俺の目に映った。

 リヴィアは吸血鬼種を嫌っているから俺の意見に反対なのではない。彼女はただ……、ただ純粋に俺の身を案じてくれているだけなのだ。

 俺はそのことを分かっているし、嬉しくも思っている。

 しかし、今回ばかりは譲れない。


「ここで何が起こったのか、証人はこの子しかいない。だから、なんとしてもこの子は助けなきゃいけねぇだろ?」


 吸血鬼の少女は、霞む視界の中、そんな2人のやりとりを聞いていた。長いまつ毛の奥に潜む紅色の瞳は、黒髪の少年の姿をぼんやりと見つめている。


 俺は「それに」と言葉を続ける。


「助けられるかもしれない命を助けないのは、勇者ブレイブの名折れだろ?」


 その言葉に、カルラが軽く微笑した。


「レンレンらしいな、それ」


 リヴィアは観念したようにため息を漏らしてから、


「忠告はした。後は好きにするといい」


 私は血を飲ませることに反対している。だが、お前の考えを尊重する。リヴィアはまだ納得できていない様子だったが。


「全く。お前程わがままで強情な奴は、この私ぐらいしか他にいないだろうな」


 それを見て、聞いて。吸血鬼の少女は目を閉じ、観念したようにふぅっと軽く息を吐いた。


 少女が目を開けたとき、互いの眼が合った。とても綺麗な紅色の瞳だった。


 少女は嬉しそうに、それでいて悲しそうに笑い、俺の首筋にそっと顔を近づけて――。


 まず、首筋にとても柔らかい感触を感じ。


「――ッ」


 その直後。首筋に微かな痛みが走り、俺は軽く顔をしかめた。


 コクン コクン コクンと、耳元で小さく血を飲む音が聞こえた。


 鼻孔を刺激する甘い香り。強く抱きしめたら壊れてしまいそうな華奢な身体。それと同時に、首筋に当たる息がこそばゆい。


 数10秒。いや、数分たっただろうか。既に首筋の感覚は麻痺し……というか全身の感覚が麻痺しかけているせいか、今では全く痛みを感じていない。それどころか逆に、血を吸われることが気持ちいいと感じるくらいだった。


 少女がゆっくりと俺の首筋から口を離した時、視界の端に赤く染まった牙が見えた。


 少女は頬を赤らめ俯いていたが、顔にはだいぶ血の気が戻っていた、気がする。


「大丈夫か?」


 少女はコクンと頷き、両手で上着をめくった。

 俺は何事かと眼を背けようとしたが、少女のお腹にあった大きな傷が塞がっているのを見て、俺は安堵に胸を撫で下ろした。


「良かっ、た……」


 やはり吸血鬼というのは、血を飲めば傷が塞がるという俺の知識は間違っていなかったようで、ひと安心――。


「――うっ……」


「おっと」


 突然視界が大きく揺れる。膝立ちのまま俺は後ろに倒れかけ、それをカルラが咄嗟に支えてくれたらしい。


「大丈夫かレンレン?」


「悪ぃ。助かった」


「こりゃあ貧血だな。少し横になってたほうがいいぜ?」


「いや、もう大丈夫だ」


 もちろん痩せ我慢だ。まだ視界はぼやけるし、頭は痛い。それに少々嘔吐感もあった。しかし、あまり周りに心配をかけたくはなかったのだ。


「これではどちらがケガ人か分からないな」


「うっ……」


 リヴィアに痛いところを突かれ、俺は咄嗟に視線を下にずらした。確かに彼女の言うとおり、この場面だけを切りとって見れば俺の方が重症っぽい。


「ご、ごめんなさい。私のせいで……」


 心配そうな顔で謝罪を述べる吸血鬼の少女に、俺はできる限りの笑みで応じる。


「こんなのは大したことじゃないさ。それより君の――」


「分かっているではないか。お前のせいでレンは今にも死にかけている。お前がレンから血を吸いすぎたせいでな」


 リヴィアの辛辣な言葉に、少女は黙ってしまう。


「なんとか言ったらどうなんだ?」


 リヴィアは口調を強くし、威圧感を放ちだした。彼女は他人のことにはあまり関心がなく、少女が今さっき同胞を皆殺しにされたことなどお構いなしなのだ。ここはもっと少女の気持ちを考えてもらいたい。


「リヴィア。この子だって仲間を失ってショックを……」


「その・・・・・・美味しくて……つい」


「――オイ」


 まさかの美味しくて血を吸いすぎました、と言う素直な感想が少女の口から飛び出した。気づくと、何がついじゃと素早く軽く少女の頭に手刀を放っていた。


「聞きたいことは山程あるが、まずは自己紹介から入るか」


 叩かれた頭を両手で抑えながら、涙目で「うぅぅ」と唸っている少女の表情は先程よりも柔らかく、良くも悪くもリヴィアのおかげでだいぶ緊張が解ほぐれたように見える。


「俺の名前はヴィレン。んでこっちがリヴィアだ」


「俺はカルラ・カーター。カルラでいいぜ?」


「ほれ。お前の番だ小娘」


 リヴィアが最速すると、アリシアはビクッとしてから答えた。


「あ、私は【鮮血の勇者】アリシア・ツェペシュと言います。助けていただき、本当にありがとうございます!」


 俺とリヴィアは、驚きのあまり声が出なかった。多分、カルラも同じだろう。


「お前も勇者だったのか!?」


「はい。私も勇者です! 永久とこしえの勇者様に、不死の勇者様」


「なんだ、知ってたのか?」


「2年前に一度、顔を合わせていますからね」


 どこかで見たことがあるような気がしていたが、まさか同じ勇者だったとは・・・・・・。


 と、そんなことを話している場合ではない。


「聞きたいことは山程あるが……。まずは、ここで何があったか聞いてもいいか?」


 それを受け、明らかにアリシアの視線が泳ぐ。周りの悲惨な光景を見据えた後、アリシアは俺の目を見て言った。


「結論から言うと、幻想の勇者と領域の勇者から奇襲を受けました」


 なるほどな、と俺は納得する。


 例え幻想の勇者がいくら強かろうと、勇者であるアリシアがいたにも関わらず、これほどまでに一方的にやられるとは思えなかった。


 しかし、もう1人の3大勇者。


 あの領域の勇者がいたのであれば、この惨状にも納得がいくというものだ。


「そう、か。それで、奴らは?」


「分かりません……。きっと、私達が全滅したんだと思って撤退したんだと思う……ます!」


 アリシアは小さく首を振り答えたあとに、辺りを見回し悲痛な表情を浮かべた。


「――これは、歴とした条約違反だ」


 リヴィアが冷たく言い放った。


 そう、これは他国の者を殺めてはいけないという、不殺の誓いに反している。


「まさか、最初に掟を破るのが白の王国だとはな……」


 カルラが足元にある小石を蹴った。


 白の王は民を1番に考える良王だと聞いていた。もし、これが下級の冒険者のしたことならば、言い訳が通るかもしれない。


 しかし、誓いを破ったのは、かの幻想の勇者と領域の勇者だ。


「また、大戦が始まるのか……」


 いや、大戦などいう生易しいものではないだろう。


 次に起こるのは、白の王国を他の4国で潰す殺戮だ。


 幻想の勇者は、誓いを破ったりはしない。正々堂々とした人物だと、一度剣を交えた俺には分かる。


 おそらく、何かしらの理由があるのだろう。


「とりあえず、これは上に報告しなきゃいけない案件だ」


 俺は立ち上がりながら、アリシアに手を伸ばす。


「立てるか?」


 アリシアは俺の手を掴み立ち上がった。


 このまま勇者2人を追うことも考えたが、傷を追っているアリシアを安全なところで休ませてやる方が重要だ。


「よし、ヴェルリムに戻るか」

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