-4- 友人

 ゆっくりと、水中から浮き上がるような感覚を覚えながら、彼は目を覚ました。

 

 静かな世界を、太陽の光が照らす。草についた露が光を反射し、まるで宝石のように輝いている。


 彼は手の甲で眠る小さなオバケを目に映した。すやすやと、生き物のように寝息を立てるオバケ。彼にとっては、突然現れた白くて、生体ではない存在。けれど、どこか彼女に似ていて、懐かしく思ってしまう。


 彼女はもう、逢えないのに。


 空いている手で、草の生えた地面を撫でる。彼女は暗く、冷たい土の中で眠っている。魂はきっと、優しい世界で転生を迎えただろう。


 近くに咲いている花が風に揺れる。


 彼女の魂は、どんな世界にあるんだろう。どんな人生を送るのだろう。あの頃と変わらず、花を愛するのだろうか。


 彼の目は、澄んだ青い空よりも遠いところを見ていた。


 彼女の元に行きたい。けれど、死ぬことが出来ない。首を絞めても、様々なところ切断しようと試みても、全てが無意味に終わる。高いところから落ちてみたりもしたが、かすり傷程度で済んでしまった。


 一体、いつまで生き続けなければいけないのだろうか。


 どれだけ、恐ろしい夜を越えなければならないのだろうか。


 彼の脳裏に、よぎる過去。全てが断末魔の叫びで埋め尽くされ、その後に彼女の死体が映る。夜に起きた出来事だった。



「やぁ、人形。まーた過去でも思い出してるのかい?」



 はっとして、声のした方を向く。


 彼のすぐ横。いつもふらりと現れる、灰色髪と黒い喪服のような姿の男。


「驚くなよ、いつものことだろう?」


 灰色髪の男は、頭の後ろで腕を組み、ゴロンと横になった。


「もう数万年経ってるのに、ここらは相変わらず草の伸びが悪いねぇ。核浄化プログラムでも、均等にはいかないんだなぁ。ま、核より厄介な人類は消えたし、地球が滅びるまでは、のんびりしようよ。あ、隕石が衝突してきたときにはドンマイとしか言えないよ?寿命はわかっても、未来はわからないからね」


 お喋りな男は、げらげらと笑いながら続ける。


「いやぁ、ホント平和だね。生物がいない世界って、なんて素晴らしいんだろう。核まみれにした人類がいない世界こそ、平和って言えるのかもね。人形、君は地球の英雄だよ。くく、人類の末路を思い出すと笑えて来た。人類ザマァ」


 彼は自身の手の甲に乗っているオバケを、起こさぬよう静かに膝の上に乗せた。それに気づいた男は、起き上がり、膝の上で眠るオバケを見た。


「あれ?なんでこんなところに魂があるんだい?女性みたいだね。逃げ出してきたのかな?いや、普通は無理なはず……。人形。この魂、どこで見つけた?」


 彼は唸るような声で、男に経緯を伝えた。男はしばらく考え込む仕草を見せ、数分経ってから真剣な面持ちで彼の方を向いた。


「人形、よく聞いて。この事態は、君が死ねないのと同じぐらいおかしな出来事なんだ。地球上の魂は、君を除いて全て回収済み。だから、ここに魂があるのは異常なんだよ。うわぁ、向こうでリスト確認しなきゃなぁ。色々準備もあるし、すぐには魂の回収ができない。てことで、僕が向こうで準備してる間、魂の面倒みといてくれないかな?」


 早口で説明した男に、彼は小さため息を吐いたあと、こくんと頷いた。


「よろしくね。あ、ついでに君の寿命についてもどうにかできるよう、いろいろやってみるよ」


 男が笑顔で彼に手を振ると、すーっとぼやけて消えてしまった。


 膝の上のオバケが、もごもごと動き、ふわぁと欠伸をした。目が覚めたのか、オバケは彼の肩に乗り、頬をすりすりしてきた。何を思っての行動なのかわからない彼は、何もせず、ただ終わるのを待った。


 このオバケが彼女だったら。


 ふと、そんな風に思ってしまう。オバケの行動は、彼女がとる行動と似ている。でも、仮にこのオバケが彼女だとしたら、彼女は彼の姿を見て悲しむだろう。否定するだろう。彼じゃない、って。【人類を滅ぼした存在】だなんて知ったら、彼女はもう、こっちを振り向いてくれない。なら、今の、誰だかわからないオバケでいい。


 彼女を再び失えば、心はいとも容易く壊れてしまうだろう。理性を保つ意味も、平和にした理由すらなくなって、この地球は彼にとっての地獄と化す。





 モネ、逢いたいよ。


 


 ただひたすらに、彼は思った。

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