最終章 1 『いつか帰る日のために』
東塔のスラム街が崩壊し、わずかに生き延びた住民たちは西塔にある技師組合の集会場を仮初の住まいとしていた。
彼らが心に負った傷が癒えるには長い時間と平穏こそが必要だと言えた。
技師組合は街を維持する役割以上の負担を負うことになったが、街は人の存在あってこそだというユイの想いと尽力に支えられ、住民たちを支え続けていた。
「えい!」
気の抜けるような掛け声と共に、ユイの拳がケイジの胸に軽く当てられた。
ケイジはユイの渾身の一撃を覚悟していたため、拍子抜けしたように胸をさする。
ユイはというと、歯を見せて満面の笑みを浮かべていた。
「あの時私を騙した件は、これで終わりね。……今まで、すっごく暗い顔しながら《集会場の整備が終わるまでだ》なんて言ってたから、何のことかと思ってたけど……。私の前からいなくなろうなんて許さないんだよ!」
ユイはわざとらしく眉をしかめながらケイジの顔真似をしてみせる。
ケイジは街を守る使命に殉じるためとはいえ、ユイを騙して罠を作らせたことをひどく後悔していたようだった。
元々何かを偽る事を良しとしていないケイジは、その心情を曲げてまで親友を裏切った事実に耐えられず、避難民の仮設住居の整備がひと段落したらユイの前から姿を消そうと思っていたらしい。
ケイジの考えに気づいたユイは「だったら一発殴ってチャラにしよう」と提案し、ケイジを誰もいない資材置き場に連れ込んだのだった。
ユイはスッキリした様子で資材置き場に積まれている防壁の予備パーツに触れる。
「だいたい、ツカサが生きてるのは秘密なんだから、ケイジの協力がないといろいろ困るの。ケイジが護衛とカルマ討伐をやってくれてるっていう名目で東塔の復旧を進めてるんだから、勝手にいなくならないでね。」
「……すまん。……ありがとう。俺こそ、表向きにでも居場所があるのはいろいろと助かるよ。……そういえばツカサには《三発殴るよ》って言ってただろ? あれは何の意味だったんだ?」
それは二週間以上も前のことになる。
ツカサの体が幾分か回復したころを見計らって、ユイが「約束だから」と言ってツカサを呼び出して殴っていた。
もちろん殴るふりだけで、むしろツカサの胸板をノックしていたという方が適切だが……。
あの時ユイは泣いていて、叩かれたツカサの方は申し訳なさそうに笑っていた。
「《無茶したらゆびきりげんまん》の約束を破ったからね。……一万回のところを三回に負けてみたけど、それでチャラってことにしておいた。ケイジと喧嘩した分と、ソラ君と喧嘩した分と、ソラ君を助けた時に無茶した分。後で聞けばそれぞれで死にかけたって言うじゃない。もう私、怒っちゃって!」
ユイは大げさに頬を膨らましてみせる。
「ツカサはそんなことで反省する玉じゃないだろ。……ところでツカサは元気なのか? 話すぐらいはできてるんだろ?」
「うん。通信機はつなげておいたからね。………でも顔はめったに見れないよ。防護扉の復旧はちゃんとは終わってないし、稼働用の予備燃料も無駄遣いできないし……。」
「そうか………。」
ケイジは目を伏せ、防壁のパーツを指で撫でながらつぶやいた。
「カルマが侵入してる状態での東塔の復旧か。確かに今の状況でそれができるのはツカサぐらいなもんかもな。………気が遠くなるな。あそこに回せる資材も少ないし、なにより軍の目をごまかす必要がある。そんな状況での復旧なんて、それこそ無茶すんなってことじゃないか?」
「うん、それは言ったんだけどね……。《三人で家に帰る約束のためだ》って言われれば、仕方ないかな……って。」
そう言ってユイは遠くを見つめた。
ツカサは体が動かせる程度に回復した頃、「カルマ憑きをかくまう訳にはいかないだろ?」と言って西塔を去って行った。
今は防壁に穴が開いてカルマがはびこっている東塔のスラム街に隠れ住みながら、技師組合が提供する防壁の資材を使って少しずつ復旧を進めているらしい。防護扉の操作室を仮の住まいにしているようなので、一応はカルマから身を守って生活することもできているようだった。
「ケイジの方は危険はないの? 何をやってるのかまでは……聞けないけど。」
ユイはケイジの顔を覗き込むように尋ねた。
ケイジはしばし沈黙し、「まあ死なない程度にはな」とだけ答える。
ケイジは鰐塚の死によって傘下のチームが崩壊した際に、表向きは技師組合の警護役という形で籍を置かせてもらえていた。
しかし宵闇の事件を巡る数々の不審な点を放置することはできず、潜伏中の飛弾と密に接触を重ねながら、ギャングと軍の裏事情を探っていた。
鰐塚が軍との間で何の取り交わしをしていたのか、事件当時動きのなかった軍やギャングのボスが何を目論んでいたのか……。飛弾すらも把握できていない闇が、確実にこの《天城》に潜んでいるのである。
何よりもソラの記憶の中で知り得た《宵闇の同志》の存在が気にかかった。
ツカサを通してソラと対話を試みたのだが、十分な情報は得られなかった。
なんでも《同志》との接触の際にはソラの意識が眠らされ、基本的には《宵闇》が対応を行っていたのだという。ソラが何か秘密を抱えていることも疑いはしたが、実際にソラの記憶に触れたあの時も、同志の存在をほのめかす以上の情報がなかったのは確かだ。
ツカサが持つ《鍵》を狙う存在がまだどこかに残っている。
ケイジはその脅威に立ち向かおうと、決意を新たにするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます