第七章 4 『握りたかった手のひら』
ユイは必死に罠を壊していた。
鬼気迫る勢いでハンマーを振りおろし、配管を強引に曲げていく。
ケイジに騙されていたとはいえ、そんな言い訳はソラには関係ない。ソラの絶望をさらに深くえぐってしまったのが自分の作った物だという事実は変えようがないのだ。
本当の弟のように大切に思っていたソラを傷つけたのが自分だなんて、許せるわけがなかった。
罠に張り巡らされた防壁の機能はとっくに停止させた。
配管に満たされていた防壁の溶液は地面にまき散らされ、まるで血の海のようにあたり一面を赤く染めている。カルマになったソラならもう容易く逃げだせるはずだが、罠の形が分からなくなるぐらいにめちゃめちゃに壊してしまいたかった。
ユイが涙をぬぐった時、宵闇の体が大きく蠕動し、その体に張り付いていたツカサとケイジの体が力なく振るい落とされた。
すでに宵闇を縛り付ける檻は存在せず、その巨大な体はユイの目前で屹立する。
宵闇はヘドロが泡立つ音を響かせ、高らかに笑うように体を震わせた。
「……宵闇の意識が表に出ていやがる………!」
ケイジが恨めしそうに呟きながら起き上がった。
その奥ではツカサも険しい顔で宵闇を見上げている。
二人とも酷く消耗しているようで、立ち上がることもままならないようだ。
ユイは宵闇に臆さず、その両手を大きく広げて見せた。
「……ソラ君。お腹減ってるなら私を食べなさい。……人を食べるのはそれで最後にして!」
「ユイ、そいつは違う……。カルマの方が目覚めてるんだ。逃げろ……!」
ケイジの言葉も虚しく、宵闇はその体に巨大な亀裂を生じさせ、ユイを喰らう口を作り出した。
無数の触手がユイに向かって解き放たれる。
ケイジが思わず目を背けようとした瞬間、触手がぴたりと停止した。
触手だけではない。宵闇の流体化していた全身が凍りついたように動かなくなった。
その頭部に亀裂が入り、小さな拳が突き出される。
「何年一緒にいたのか分かってるのか! 僕にだってこの体のコントロールぐらいできる。もうお前の好きにさせないっ!」
その亀裂から破り出てきたのはソラの右腕と頭部だった。
ソラはツカサの中にいるカルマに呼びかける。もう他に頼める人なんていなかった。
「兄さんの中にいるカルマさん! 僕をこのまま殺して。今なら攻撃が届くはずなんだ! 僕の魂があるうちに、僕が押さえつけられているうちに………壊して!」
「何を言ってるの!」
ユイは悲痛な叫びをあげた。
「いやだ、死んじゃやだよ……。」
そんなユイをソラは困った顔で見下ろした。
兄とそっくりの分からず屋。
優しくて、強情で、真っ先に自分の命を投げ出そうとしてしまう愚かな愛しい人。
「ユイ姉もほんとに馬鹿だなあ。……さっきは酷いこと言ってごめん。………大好きだよ。」
ソラは穏やかに微笑んだ。
全身の酷い痛みを振りほどく様にツカサは立ち上がった。
すうっと息を飲みこみ、穏やかな顔で死を待つ弟を見据える。
ツカサの視界の横には人形の少女が降り立った。
『私にとってはこれ以上ない好機。貴様がやらぬなら心臓を止めてでも彼奴を斬る。……ならば、せめて最期ぐらいは貴様も弟の想いを聞いてやってはどうだ?』
「……ああ。……俺も、やるよ。」
ツカサの言葉を受け、少女は左腕に刀を作り出してゆく。
その光景を前にして、ソラは安堵の笑みを浮かべた。
「ツカサ……。」
ユイがその左腕にしがみつく。
「ダメだよ。やめて………。」
「ユイ、俺を信じてくれ。」
ツカサはユイに囁き、手を柔らかく振りほどく。
そしてソラの前に立った。
「ソラ。少し痛いけど、我慢してくれ……。」
「うん。」
ツカサは全身に広げていた霊殻を凝縮させ、刀を覆うように包み込む。
鋭すぎる刃はいつまでもソラの命を絶てないだろう。イメージするのはケイジのような強大な鉄塊の形だ。人形の少女もその意志を悟ったように、ツカサの霊殻の形に合わせて剣を編み込んでいく。
せめて痛みは一瞬で。
そう願い、ツカサは剣を振り下ろした。
宵闇の断末魔が響き渡り、最後にソラの「ありがとう」という声が聞こえた気がした。
しかし次の瞬間、ツカサは誰も想像しなかった行動に出た。
宵闇の全ての霊殻が粉砕され、崩れゆく宵闇の魂を確認した直後、ツカサは粉々に崩れゆくソラの右手を掴んでいた。
「だから! 守るって言っただろう!」
ツカサの叫びと共に、右目が激しく輝いた。
その光は収束するように一筋の糸となり、ソラの崩壊した魂をみるみると一繋ぎに縫合してゆく。
その光景を見てツカサの傍らにいる少女は驚愕の表情を浮かべていた。
『……貴様、その眼……、戦いで傷ついたわけではなかったのか! いつの間に彼奴にくれてやったと言うのだ……?』
「何言ってんのか分かんねえよ。」
『知らずにやったか、痴れ者が! 貴様の魂と彼奴が繋がってしまったではないか!』
「ごちゃごちゃうるせえ!」
ツカサは少女を無視してソラの手を手繰り寄せる。
四年前に振り向けなかった弱さに縛られるのは、もう終わりにしたかった。
何があってもソラの手を取ると初めから決めていた。
「ソラ……勝手に消えようとするんじゃない! 俺の中に来い!」
『馬鹿なことを言ってるんじゃない!』
少女は憤慨したようにまくしたてる。
『貴様の体は私のものだ。もう先客ありだ。入れるんじゃない!』
「俺の体は俺のものだ。ソラ、気にするな。……来い!」
ツカサは力強くソラの魂を握りしめる。
ソラの目には涙があふれた。
「兄さん…………!」
ソラは暖かな光に包まれていった。
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