第五章 7 『ヒトを喰べるだなんて』
防護扉近くの小屋は再び激しい衝撃音に包み込まれていた。
人間の匂いにつられて集まった三体のカルマがケイジの周囲を取り囲み、逃走経路を塞ぎながら苛烈な一撃を放ち続ける。
ケイジの霊殻の光は弱々しく、いつ消えてもおかしくないほどにかすれている。剣を作り出そうと力を込めても、鉄の欠片は瞬間的に形を成した後、形状を維持できずに消えてしまった。
「限界……か……。」
ケイジはとっさに霊殻を体の周囲に集めて攻撃の軌道を変え、紙一重で目前の刃を受け流す。
しかし霊殻による防御が手薄になったケイジの背後からはカルマたちの容赦のない刃が迫った。
ケイジは自分の命が刈り取られる瞬間、思わず息を飲んだ。
その瞬間、周囲が吹雪のような真っ白な世界に変わり、ガラスを共鳴させたような透明な音が響き渡る。
そして周囲のカルマが一瞬で細切れに分断されていた。
暴風に吹き飛ばされるように吹雪が消えた時、ケイジの前には身の丈ほどの刀が左手から生えた青年の姿があった。
「ツカ……サ………。」
やつれ果てて力なく肩を落とすケイジを、ツカサは氷のように冷たい目で見下ろす。
「力が枯れ果てたか。これでは喰い甲斐がないな……。」
声は明らかにツカサの物なのに、その言動も立ち振る舞いもまるで別人のように感じられる。
「ツカサ……? ………いや違う。お前、カルマか? まさか……もう……?」
刀を構えながら歩み寄ろうとするツカサに対し、ケイジは緊迫した表情のまま手のひらを突き出す。
微かな光が膨らもうとするが、ひどい頭痛と共に光は弾けて消えてしまった。
「抵抗できぬなら丁度いい。」
「ふ……ふふっ……。」
ケイジは険しい表情のまま笑う。
「食事は独り占めっていうところか? 俺を喰うか、乗っ取るか。……お前らカルマのやることはどうせそんなところだろう?」
ケイジは脇のホルスターから銃を抜き、自分の側頭部に押し当てた。
「どちらもごめんだ。」
躊躇することなく引き金を引くケイジ。
しかし振り下ろされる撃鉄は瞬間的に広がった光の帯によって縛り付けられ、弾丸に届くことなく停止した。
同時に響き渡るツカサの苦しむ声。
「邪魔を……するな……!」「死ぬな、ケイジ!」
ツカサが一人芝居をするように支離滅裂な叫び声を上げる。
頭を押さえるようによろめいた後、ツカサの左腕から生み出されていた刀が植物が枯れ落ちるように萎れながら消えていく。
ケイジはその様を茫然を見つめながら、ひとつの確信を抱いた。
「この霊殻……。お前、本当にツカサなのか……?」
カルマがいくら宿主の外見や記憶を真似できたとしても、宿主の魂が生み出す霊殻の光だけは偽ることが出来ない。
ケイジの自害を止めた光は、確かに一度拳を交えたツカサの物だった。
「礼を言う前に早まるなよ…………。」
息を切らしながらケイジを見つめるツカサの顔からは先ほどまでの冷たさが消えていた。
ツカサはケイジの無事を確かめると、虚空を見つめて怒声を発する。
「俺の中にいるカルマ! 聞こえてるんだろ? 人間を喰うなんて絶対にさせない!」
その時すぐ耳元で少女の声が鼓膜をくすぐった。
『なぜ止める? 食事の邪魔をするではない。』
驚いてとっさに誰もいるはずのない方向に視線を送ると、そこにはいつの間にか人形の少女の姿が浮かんでいた。
「おお……お前、出てこれたのか!」
今ツカサは現実の世界にいるはずなのに、どういうことかわからない。
このカルマはツカサの中に憑りついた化物のはずだ。ツカサの体を乗っ取ることでしか現実世界に干渉できないと思い込んでいたのに、確かに少女はそこにいる。
少女は迷惑そうな表情で耳を抑える。
『いちいち驚くでない。耳元で叫ばれているようで、煩くてかなわん。』
「なんだ? そこに何かいるのか?」
ケイジが不思議そうにツカサの視線の先を眺める。
ケイジにはどうやら少女の姿が見えていないらしい。
『……この姿はただの幻。貴様の目と耳に情報を送っているだけで、現実の世界に私はいない。それに、気軽に外に出れるなら、貴様の体などさっさと奪っているところよ。』
「そ……そうか………。」
その姿はよく見ると確かに幻のようだ。
うっすらと透けており、宙に浮かんでいる。
そして少女はふわりと裾の広がったワンピースを身に纏っていた。
「服……作る余裕はあるのか?」
『何も纏わずにいる方がお好みか?』
好きで裸になっているのではないとでも言いたげに少女は不機嫌な眼差しでツカサを見る。
『……まったく。食事ができると思って勇んで出て行ったのに無駄足となったわ。貴様、脆弱な人間の魂のくせに、なぜ私の意識より優位に立てるのだ?』
そういえばツカサは精神世界に取り残された後、意識を集中することで容易く体の主導権を取り戻すことが出来た。
刀の生成も抑えることが出来たし、そういえば廃工場では全身に纏わりついていた白い繊維も無理やりだったが外すことができた。気合を入れればできたため特別気に留めてもいなかったが、人形の少女の様子を見る限り不可解なことらしい。
「……なぜと言われてもわかるはずないだろ? でも俺の意識が優位に立てるなら好都合だ。今後は一切人間を喰うなんてさせないからな。」
しかし少女はまるで困った様子もなく余裕の表情を浮かべている。
『ほう。私は構わんのだぞ。私は貴様の魂を喰えば済む。貴様が困るだろうからと、わざわざ助言してやっておるのだ。霊装を台無しにするのだって、自分で自分の首を絞めているのと何も変わらんのに。』
「俺は人を犠牲にしてまで助かろうなんて思っていない。……どんなに飢えたとしてもだ。」
ツカサにとってそれはもう心に決めたことだ。
家族を見捨てて生き延びてしまった自分にとって、自分が生きるために他の誰かを犠牲にするなんて何よりも耐えがたいことだった。
その時ツカサの肩に逞しい指が置かれた。
ケイジが神妙な面持ちでツカサを見つめている。
「そんなに自分を追いつめるな。その独り言を聞いてるだけでなんとなく話の中身は分かる。……確かに人を喰うなんて見過ごすことはできないが、ツカサは根本の考え方が極端なんだよ。そんなだからスラムで生きるのに苦労してるんだ。一年ぶりなのに全然変わらないのな。」
「ケイジ………。なんか、久しぶりに言われちゃったな。」
思えば不思議な気分だ、とツカサは思った。
かつての親友同士が殺し合いを演じたかと思えば、今もまたこうして穏やかな時間を過ごせている。
もしかすると今回のカルマの騒動が無ければ、ギャングと技師で道を違えてしまった二人がゆっくりと会話する機会もなかったかもしれない。
その時、ツカサはケイジの全身を流れる光の様子がひどく弱まっている様子に気が付いた。
まるで飢餓感に苦しんでいた時のツカサの状態のようだ。
「ケイジの体、かなり消耗しているように見える。薬で補給したほうがいいんじゃないか?」
ケイジは虫のカルマと戦っていた時も霊殻の力が使えなくなるたびに薬を打っていた記憶がある。今だって三体のカルマ相手に戦っていた時、力が使えず苦戦していたようだ。
しかしケイジは首を横に振った。
「あれは補給してるわけじゃないよ。薬は魂を力に変換するための物なんだ。」
「え……。魂を……変換? …………。薬に特別な力があるわけじゃないのか?」
「そんな便利な物、あるわけないだろう? ……あの薬は魂を削って力に変える作用があるんだよ。しかも致死量があるから一日の使用制限付きだ。」
ケイジは何の感情もないように淡々と話している。それがツカサは信じられなかった。
「なんで平然と話せるんだよ! 魂を削る……。それって死ぬってことなんだろ?」
「生まれついての超能力者でもないんだ。リスクくらい、あって当然さ。……このぐらい、カルマと戦えるんだから当然の代償だ。俺達ギャングの能力者たちはちゃんと説明を受けて、それでも望んで力を使ってるんだ。いまさら思うところなんてないさ。」
ツカサは頭を殴られるほどの衝撃を受けた。
ケイジたちが使っている特殊な力が、そんなリスクのある物だったなんて知らなかった。
魂が減っていく苦しみはこの身で体感している。あの想像を絶する飢えを、まさか自ら望んで受け入れているなんて正気の沙汰ではない。
確かにケイジは何度も薬に興味を持つなと言っていた。その時は特別な力を独占しようとしているだけだとツカサは思い込んでいたが、そうではなかったのだ。
むしろ、ツカサを守るためだったに違いない。
ツカサは寄りすがるようにケイジの胸に手を置いた。
「も………もう力を使わないでくれよ………。ケイジはホノカちゃんの分も生きなきゃダメだ。ケイジこそ自分を犠牲にするなんて生き方、してちゃダメだろう……?」
しかし懇願するツカサの声にもケイジは眉ひとつ動かさず、沈黙するばかりだった。
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