第五章 6 『新たな同居人』
少女の関節はいわゆる球体関節人形のそれであり、見るからに人間ではない。
外見は現実のツカサと同じぐらいの年齢感だろうか。
やや幼く見えるものの、胸から腰にかけて柔らかにくびれた曲線は子供と言うほどではない。
大きなルビーをはめ込んだような美しい目と腰まで伸びた絹糸のように白くつややかな髪の毛。そして全身の皮膚は白磁の陶器のように滑らかだった。
胸に開いていたはずの酷い陥没や全身の亀裂もきれいに治っており、ツカサは安堵した。
少女はツカサの視線に気づくと驚いた表情でとっさに体を隠すように屈みこんだ。
「みみ見るな!」
「ごっごめん……!」
凝視するほどに少女の体に魅入っていたと気付き、ツカサ顔をひっこめてとっさに謝った。
しかし他人の書庫にあがりこんで勝手に裸になっている者に謝る道理はないと思い至り、本棚の向こうにいるはずの少女に恐る恐る声をかけた。
「………あのさ。聞きたいことが山ほどあるんだけど……。まず、なんで裸なんだよ。なんか服みたいなのを着てたはずだろう?」
「わっ私も予想外だったのだ! まさか内面世界の修復を始めた途端に霊装が消えるとは……。おそらく損傷が想像以上だったようだ。」
少女は本棚の向こうでひどく慌てふためいている。
「内面世界っていうのはさっきまでの洞窟のことだとして、《れいそう》っていうのはなんだ?」
「思念の力で作り出した武器や防具のことだ。内面世界も霊装も、どちらも魂にため込まれた《思念》によって作り出されている。貴様ら人間はその力を《霊殻》と呼んでいるようだがな。」
そう言って、少女は本棚の上に指を突き出して周囲をぐるりと指し示す。
「ほれ。見覚えがあるはずだ。この空間は貴様の《内面世界》なのだろう?」
「た……確かにそうだけど、認めたくはないな……。認めたら、俺の魂は空っぽの本棚っていうことになるじゃないか………。」
ツカサは書庫の中を見渡して、我ながら情けなくなった。
本が一冊も置いてない書庫なんて、ハリボテを作って満足しているバカみたいじゃないか、とツカサは思った。
認めたくない現実に打ちのめされながら、それでも少女が裸である状況はなんとなくわかった。
あの服や洞窟の世界が同じ《霊殻》という力で構成されている物ならば、今はダメージがより深刻な洞窟世界の修復に力を注いでいるために服を作り出す余裕がないのだろう。
「あれ? でも、さっきはあの黒いカルマをたらふく食ってただろう? あれでまだ足りないなんて、どれだけ燃費が悪いんだよ。」
「宵闇だ。」
「え? ……よいやみ?」
「私は奴のことを宵闇と呼んでいる。……貴様に憑りついていたのは本体ではなく力の切れ端ではあったが。……そもそもカルマ同士で食い合っても回復はできぬのだ。……あれはただ、貴様の魂の支配権を奪ったにすぎん。……まあ、奴が奪っていた貴様の魂の欠片は回収したので、多少は回復できたのだがな。」
少女が言うには、カルマが力を使ったり増殖するためには人間の魂が不可欠らしい。
カルマ同士が争うのはもっぱら人間と言う餌の奪い合いであり、共食いや同族殺しはライバルを蹴落とす以上の意味はないということらしい。なぜ人間の魂だけが特別なのかは不思議なところだが、生存本能で説明できる点は非常に理解がしやすかった。
ただ、カルマの生態がそうであるというのなら、なおさら一つの疑問が頭をもたげてくる。
「君の胸の中に埋まっていた物。……それは一体なんなんだ? あの……宵闇だったか? あの黒いカルマはそれを狙っていたように見えた。」
そう。
それこそが今のツカサにとって最も知りたい事であり、今回の漆黒のカルマにまつわる事件の中心だという予感があった。
「宵闇が求めるものが気になるか。……なんだと思う?」
少女は勿体付けるような物言いで逆に問いかける。
ただツカサには一つの予感があった。
「………高層都市を……、人間の住処を壊すための物なんじゃないか?」
ツカサが答えた瞬間、わずかな沈黙が流れた。
「……ほう、その根拠は? もしかすると、この本はただただうまい食い物かも知れぬぞ。」
「いや、それはありえないと思うんだ。もし喰うことが目的なのだとすれば、その宵闇というカルマは力の切れ端を植え付けるなんてことせずに、本体が襲って来ればいいだろう? それに食欲で動いているなら他のカルマを街に引き入れるなんてことはせずに、人間全部を自分で独り占めすればよかった。……むしろ防壁を破壊してカルマを街に引き入れていることの方が目的に近いような気がするんだ。……ただ、宵闇が純粋なカルマではなく人間の思考を持ってこの街に潜んでいたのなら、カルマに対抗できる能力者の存在も知っていたはず。なのに危険を冒してまで君の中にある物を奪おうとしていた……。」
ツカサはいったん言葉を区切り、続く言葉に力を込める。
「あの《本》はそこまでのリスクにも見合うほどの力があるはず。……それこそ、この街すべてを簡単に破壊できるような力がある。……そう思うんだ。」
こんなに巨大な高層都市を破壊する力なんて言うとどうしても荒唐無稽に思えてしまうが、ツカサは《富士》の崩壊する様を思い出していた。
あの惨劇を引き起こせる何かがあるはずだという予感があった。
「……ふむ。……なかなかの名推理。ただ、私の中にある物にそれだけの力はないよ。……これはただの鍵のようなものだ。貴様ら人間が《富士》と呼ぶ巣が壊れただろう? その原因となったカルマから奪ってやったのだ。」
少女が語ったのは四年前の《富士》で引き起こされた悲劇の真相とも言える物だった。
《富士》を崩壊させたのは紛れもなくカルマだったが、高層都市の生命線とも言える防壁の機能を停止させる特殊な力を持っており、そのカルマの力で防壁が無効化されたことが原因で無数のカルマに侵略されてしまったということだった。
「防壁を無効化させる……? そんなカルマがいるのなら、そしてそのカルマが一体だけじゃなかったとしたら、高層都市は全く役に立たないんじゃないか……。」
「どうだろうな。知る限りにおいてそのような特別な力を持ったカルマに遭遇したことはなかった。……それに彼奴はどこか人間の匂いもした。何か特別な存在なのかもしれぬな。ともあれ私は彼奴の魂の一部を奪って逃げたのだが、得体のしれぬ人間どもに追われた挙句、あんな玉っころに閉じ込められてしまったわけだ。」
「ちょっと待った! 待ってくれ。また聞き捨てならない話が出たぞ。その話を聞くに、まるで防壁を無効化するカルマは人間が作ったみたいな話じゃないか? それに、君がそのカルマの一部を奪った理由もわからない。まるで人間を守ろうとしたような……。」
「知らん。私の知った事ではない。私が彼奴を止めようとしたのは、ただ養殖場が荒らされるのを嫌っただけだ。あっという間に食い尽くせば貴様らは容易く滅ぶのであろう? ………せっかく繁殖しようとしている餌を大切に守らぬでどうする?」
「養殖場………。」
人間が狭い塔の中に逃げ込んだのはカルマのためではないし、ましてやカルマのために繁殖しようとしているわけがない。
しかし、少なくとも本棚の向こうに隠れている少女にとっては高層都市は養殖場という認識らしい。
決定的な価値観の違いを前にしてツカサは少し打ちのめされ、言葉が続かなくなっていた。
実は思いのほか可愛らしい少女の外見や意外と会話が成り立つことから、ツカサは勝手に親しみを感じ始めていた。
しかも、今まで知りたくてもわからなかったこの世界の一端が、まさかその当事者であるカルマの口から聞けるなんて体験は心躍らせるものだった。
しかし、やはりカルマと人間は相いれない存在だと思い知らされた。
きっとカルマが人間の言葉を解するのも、今までに人間の魂や記憶を喰ってきたせいなのだろう。
羞恥心なんて言うものも喰った人間の影響かもしれない。
ツカサは勝手に舞い上がって、この少女を守りたいと一度でも思ってしまった自分が恥ずかしくなっていた。目の前の少女は初めからカルマとしての軸がぶれていなかったのに……。
ツカサがうなだれていた時、突如世界が揺れた。
空間が揺さぶられ、周囲の景色が大きく歪む。
「な、何だ!」
「ほう、能力者が戦っておるわ。周りにはカルマが何体もいるようだ。……おおかた人間の魂の匂いにつられて集まってきたのだろう。」
少女は書庫の外を眺めてつぶやく。
書庫の窓の外は暗闇に包まれて何も見えないが、少女の目には周囲の状況が見えているらしい。
「能力者………。ケイジのことか!」
「今は能力者を狙っているようだが、……どのみち奴らは貴様の魂を狙ってこちらにも来るだろう。……やれやれ。こちらの傷は十分に癒えておらんというのに。」
少女のため息と共に、本棚の向こう側から粉雪のような粒子が舞いあがった。
ツカサが視線を移すと、ローブを身に纏った少女が姿を現す。
「もう服が作れるようになったのか?」
「私の世界はまだ十分癒えておらんが、しばし中断するしかあるまい。……貴様はこの場所で見ておれ。私が打って出よう。」
少女の周囲に吹雪のような霊殻が現れ、霊殻はその勢いのまま周囲を包み込んでいく。
眼前がホワイトアウトしたと思った瞬間、ツカサの目の前から少女は消え失せていた。
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