第五章 4 『逃避行の終わり、そして』

 鍾乳洞の壁が真っ白に輝き、放電のような光が幾筋もの竜となって踊る。

 そして意志あるように首をもたげると、漆黒のカルマに次々と撃ちこまれていった。

 白いカルマに突き刺している腕は裂け、ツカサを束縛している闇も払われる。白いカルマはぼろきれのように宙を舞った後、地面に放り投げられた。


「ケイジの……バカ………。力の加減ってものが………ないのか?」


 ツカサも巻き添えを食って体中を痺れさせながら、周囲の状況に意識を向ける。

 漆黒のカルマはケイジが放った光の直撃を受けて体がバラバラに吹き飛んでいるが、徐々に溶け崩れて液状となり、再び一つに集まろうとしている。

 ダメージがあってほしい所だが、不定形の体にどの程度の効果があったのか判然としない。


「こいつ、ミツルじゃなかった? だったら本当は誰なんだよ。何をしようとしてるんだ?」




 ツカサは漆黒のカルマが現れた状況を思い出していた。

 大規模防壁システムの保管容器を開けた時だった。

 あの時この漆黒のカルマは現れ、床の防壁を分解した後に破壊してみせた。

 床の穴で思い出すのはゴミの集積場での事件だ。仮にその出来事も漆黒のカルマが関係していたとしたら、共通する物はなんだというのか。

 ツカサは必死にその時の状況を思い出そうとしていたが、その視界に白い塊が飛び込んできた。

 白い布をかぶったカルマは糸が切れた人形のように動かない。


「……そうか。君を狙っていたんだな。」


 ゴミの集積場の廃屋で見かけたのもあの球体状の保管容器だった。

 漆黒のカルマが最初からその中身を知っていたのならば、先ほどから執拗に白いカルマを狙っているのもうなづける。

 漆黒のカルマの狙いは最初からこの白いカルマだったのかもしれない。ツカサの中に何度も入り込もうとした理由も、きっとツカサの中に白いカルマが憑りついていたからなのだ。




 目の前に転がる白いカルマの頭部は布に覆われて見えないものの、破れた布の隙間から胴体があらわになっている。

 明らかに女性的な形を成していた胸部は中央に大きな穴が開き、空洞が顔をのぞかせていた。

 その胸の空洞の中に何かが入っている。

 とても身近で見覚えのある形。


「………本?」


 目を凝らしたとき見えてきたのは一冊の本だった。

 漆黒のカルマも白い胸の奥に埋まっている本を確認したのだろう。再生した腕を本に向けて伸ばす。

 黒く濡れた指が本に触れた瞬間、白いカルマは震える指で弱々しく黒い腕を掴んだ。


「イヤ……アッ……だメ………。いヤ……。」


 本を奪われまいと、白いカルマは必死に身をよじらせる。


「………その本が大切なのか……? その本がこいつの目的なのか?」


 白くて華奢な指が懸命に黒い腕を掴もうとしているが、ヘドロを掴むようにずぶずぶと指が食い込むばかりで全く抵抗できていない。

 黒光りする指は本を握りしめ、無理やり引き抜こうとしている。

 本がわずかにずれるたびに本を中心に少女の体に亀裂が入り、その亀裂はこの洞窟の世界へも影響して空間全体に亀裂が入っていく。

 絞り出されるような少女の声はまるですすり泣いているようにも聞こえた。




 ツカサはもう我慢ならなかった。

 その者が人間だろうがカルマだろうが関係ない。

 一方的になぶられ、大切な何かを奪われようとしている者を見過ごすことなんてできない。


 気が付くとツカサは漆黒のカルマに飛びかかっていた。


「……やめろよ! 嫌がってるだろ!」


 幼い姿のツカサにとっては大木の幹ほどの太さもある漆黒のカルマの腕を掴み、白いカルマから引き離そうとする。

 しかし確かにその腕は滑るばかりで掴みようがない。


「ニゲる? にげルるルルル?」


 漆黒のカルマはケタケタと笑いながら、もう一本の腕を鋭い槍に変えてツカサの足に突き刺した。

 あらゆる毛穴に針金を突っ込まれたような激しい痛みが雷のように脳天を突く。

 この痛みはまるで家族を見捨てて走った挙句に喰らった痛みの再現のようだ。

 脳裏に父親の死にざまがありありと蘇り、ツカサのなけなしの勇気を削ぎ落していく。


「逃げ………ない!」


 それでもツカサは一歩を踏み出した。

 ケイジにあれだけのことを言わせたのに、ここで逃げてしまえば二度と親友の横に並ぶことが出来ない。


「……お前は……あまりにも奪いすぎた! ここまで来て逃げられるわけ、ないだろう!」


 ツカサは渾身の力を込めて腕に突進した。

 泥に埋もれるような感覚の後、ツカサの体は貫通してしまう。



 しかしそれは読み通りだった。

 一瞬でも白いカルマから腕が離れた隙を見計らい、ツカサはローブの隙間から投げ出された白い腕をつかむと背中に背負い上げた。

 お姫さまを抱きかかえるようにできれば恰好もついただろうが、小さな体で、しかも片腕しかないのならこれも仕方がない。

 背負い投げのような恰好になった勢いで白いカルマの頭部を覆っていた布がはだける。




 ツカサは耳元に接近したカルマの素顔に目を奪われた。


 絹のような艶やかで純白の長い髪を持つ少女の顔。

 そして力なく閉じかけている瞼の中には吸い込まれそうな赤い瞳があった。

 この白磁のような人形は四年前に《富士》で漆黒のカルマに襲われた時、ツカサの前に現れた少女その人だ。


 カルマだったのだ。


 そういえば鰐塚が言っていた。

 この少女の姿をしたカルマが入っていた保管容器は《富士》から運び込まれたものだということを。


 長い時を超えてツカサと白の少女は《天城》で再会したということだ。


 ツカサが少女に目を奪われていた隙をついて漆黒のカルマは腕を振り上げる。

 いくつにも枝分かれした腕はそれぞれが鋭い槍に姿を変え、人形の少女に向けて放たれた。




 視界の隅に現れた槍に気づいたツカサの行動は全くの無意識によるものだった。

 ツカサは考えるよりも先に体が動き、背中の少女をかばうように自分の体を盾にする。

 間断なく腹に響く鈍い音と鋭い痛み。


「カ……ハッ………!」


 槍を受け止めたツカサの体からは血の代わりに光の粒が吹き出し、少女と共に洞窟の壁面に叩きつけられる。

 ツカサは激しい痛みに顔を歪めながら、目の前に立ち塞がる漆黒のカルマを見上げた。

 間違いなく目の前のカルマは街を破壊し人間を襲おうとしている。そしてそのカルマが求めているのはどうやら白いカルマの中に隠されている《本》らしい。

 この《本》に何の力があるのか全く分からないが、漆黒のカルマに渡すことだけは絶対に防がなければいけないという予感があった。




 ツカサは体を引きずりながら人形の少女の傍らに身を寄せ、その腕を強く握りしめた。


「………俺の……人間の魂を喰えば力になるんだろ? ……だったらもっとくれてやる……。だから……負けるな!」


 叫ぶと同時にツカサは自分の胸に開いた亀裂に人形の少女の腕を思い切り突き立てた。

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