第五章 3 『少女人形と少年の罪』

 小さな人形の群れに導かれるようにツカサがたどり着いたのは、広大な鍾乳洞の大広間だった。

 大広間の壁面は人の手で削られたように整地されており、明らかに人工的に作られたコンクリート製の小屋がいくつも建っている。

 鍾乳洞の写真は古い本で見たことがあるが、このような光景はツカサにとって全く見覚えのない物だった。

 目の前に広がる世界は魂や精神というものが作り出した幻想の世界なのだろうが、人が生活していたような痕跡が実存感を持って再現されている様子を見ると、このような場所が実際にこの世界のどこかに存在していてもおかしくはなかった。


 そして何よりも目を引くものが大広間の中央に横たわっていた。


 白い布の塊のようなものだ。

 大きさは人間の子供ぐらいだろうか。


 小さな人形の群れはこの布の塊を見つけると、たどたどしい足付きで駆け寄っていく。

 ツカサは破れた布の隙間から零れ落ちるものに目を奪われた。

 腕だ。

 球体関節を持った人形の腕が露出しているのだ。

 人形の腕の表面には深い亀裂が刻まれており、この幼いツカサの体に刻まれた亀裂と同じように見える。さらにツカサの左肩から伸びる細い糸はこの人形の腕につながっていた。


「……君が、俺に憑りついたカルマ……なのか?」


 確かに保管容器の穴から這い出てきたカルマの姿だ。そして見たところ、ツカサと同じように体が崩壊しかけており、漆黒のカルマの影響とも思える不気味な瘴気に包まれている。


「な……なあ………。」


 言いかけるものの、その後の言葉が続かない。

 このよくわからない相手に何を話しかけていいのか分らない。カルマなら敵に違いない。……そんな先入観が頭をもたげるものの、歪な雪だるまのような小さな人形たちの滑稽なしぐさを見ていると、緊張感が削がれて仕方がない。


「…………大丈……夫?」




 ツカサが恐る恐る白い布の塊に近寄ろうとしたとき、肌に無数の針を刺すような悪寒が背中を襲った。

 突然の苦痛に体が硬直する。

 ゆっくりと背後に視線を向けた時、目に飛び込んできたのはぬらぬらと粘液にまみれた黒い顔だった。


「……ミツケタ……。ミツケタミツケタ。ケタケタケタ。」


 幼い子供と低い男の声が混じったような不協和音が頭の中で響く。

 底知れぬ闇が形を成したような腕は軟体動物のように地面を這いながら、目の前に転がる純白の存在に近づいていく。

 小さな人形たちがその動きに反応したように立ち向かっていくが、底なし沼に落ちたように腕に飲み込まれ、次々と姿を消してゆく。

 間違いなくこれは漆黒のカルマだとツカサは確信した。

 防護扉付近での戦いで散々あの黒い瘴気を浴び、ヘドロのような不気味な粘液を体内に注ぎ込まれたのだ。

 その影響に違いない。

 漆黒のカルマの腕は地に伏せたままの白い存在をゆっくりと撫でまわすと、不意に白い布を引き裂いていく。

 露わになる中身。




 そこに現れたのは女の体を模した人形の胴体だった。


「イ……タ……イイイィィィィィ?」


 神経を掻き毟るような声と共に漆黒のカルマは白い双丘に指を突き立てた。

 亀裂だらけの白磁のような胸が大きく陥没し、汚らしい音を立ててヘドロにまみれた指が差し込まれていく。

 布の隙間からこぼれた白い腕が痙攣しながら苦しみもがき、その苦痛は糸を通じてツカサの胸までも激しく掻き毟る。


「え……なんだこれ? 胸が………! 人形と俺の感覚が繋がってる………?」


 肋骨が皮膚を破り、臓器が鷲掴みにされたかのような激痛がツカサを襲う。

 いや違う。

 痛みだけではない。

 気持ちがいいのだ。臓腑が溶けていくような心地よさに脳が揺さぶられる。


「あッアっ……! ……アああァぁッあァ……!」


 恍惚とした喘ぎ声が白いカルマから漏れる。

 透明感のある少女の声だ。

 人形は全身を痙攣させながら身をよじらせ、それでも抵抗しようともがいている。


「ダ……メ………、ダ……メ………。」


 左手の関節の隙間からはのたうつ様に糸が溢れ、よじれながら歪な刀を作り出す。

 しかしその程度の抵抗は漆黒のカルマの前では無意味だ。

 刀は容易く折られ、胸には一層深く腕が差し込まれる。


「……やめろぉ!」


 たまらずツカサが叫んだ瞬間、目の前を闇が覆い尽くした。


「マ……マ……マッテテテテテ」


 赤い灯をともした無数の目がツカサの眼前で瞬きをしている。

 ツカサの威勢は一瞬でかき消され、その場にへたり込んでしまった。


「マッテマッテマッテマッテマッテ。キャハハハハハハハ。スキスキスキ。キャキャキャ!」

「ま……待って? なんだよ、待つって……。」


 漆黒のカルマの笑いに押し潰され、ツカサは脚に力が入らず立ち上がることすらできない。

 すると漆黒のカルマはツカサの目の前に何本もの指を突き出した。

 指はみるみるうちに形を変え、小さな人の形を作り出していく。


「兄さん、待って……! 待って……。助けて、父さんが、死……。」


 聞き覚えのある悲痛な叫びが、突然目の前の指人形の口から発せられた。

 さらにもう一本の指がうめきながら大人の男性の形へと変貌する。


「ツカサ! 母さんとソラを守って逃げ……ぎゅぶ。」


 言い終わらないうちに男の指人形は潰されてしまう。


「ソラ、大丈夫よ。ダイジョ……。」


 さらに増えた女性の形の指人形は黒く染まって溶けてしまった。





 ツカサには目の前で繰り広げられている寸劇が何を示しているのか分かっていた。

 ひと時も忘れたことのない絶望。

 《富士》の最期の日、両親が死んだあの日のことだ。

 カルマはさらにもう一体の指人形を作り出した。それは見覚えがあるなんてものではない。

 十二歳だった頃のツカサそのものだ。


「ただ、怖かった。怖くて逃げだした。……でも、本当に怖かったのは怪物じゃなかったんだ。自分だけが一番大切で、自分を守るためなら家族も見捨てる。……そんな自分自身の本性が怖かったんだ。」


 作り出されたばかりの指人形のツカサは力なくつぶやき始めた。


「怖くて、認めたくなくて。……だから隠そうとした。あの日の罪から逃げ出した。……正義感なんてない。家族想いは演じてるだけ。強くなろうとしたことも、故郷を取り戻すと言ってみたことも、すべては罪をごまかすためなんだ………。」


 ツカサは自分の分身の言葉を前にして首を振るが、否定の言葉が口から出せない。

 いつの間にか目には涙が溢れ、唇がぶるぶると震えている。


「……なんで知ってるの……?」


 漆黒のカルマはけたたましく笑いながら白いカルマの体を天井高くに掲げ、何度も地面に突き落とす。その衝撃音でリズムをとるように歌う。


「ウソ! ゴマカシ! エンギ! キャハ! キャハッハハハハ!」


 白いカルマの露わになった胸は無残に砕け、白い破片が雪のように周囲を舞う。

 仄かに光る洞窟の壁面もそれに合わせて砕けていく。



 それは世界の終末を思わせた。






「違う!」


 現実の世界。

 漆黒のカルマと化したツカサと相対しながらケイジは叫んだ。


 ケイジは暴れるツカサの体を牢獄の力で縛り上げながら、精神の奥底で蠢く悪意を観測し続けていた。

 牢獄の力を使えば自分自身が無防備になるなんて言っていられない。

 漆黒のカルマが何を狙っているのかを知るためなら危険は覚悟の上だった。

 あくまでも漆黒のカルマの目的を探るための行為だったのだが、ツカサがあまりにも自分自身を卑下している様を見て我慢がならなくなっていた。


「ツカサ、お前はただ逃げてきた訳じゃない! 子供のままのお前で居続けたわけじゃない! 自分の弱さを自覚したからこそ、後悔したからこそ、ツカサっていう男は強くなったんだよ!」

「ノゾ……ノゾイタノゾイタ……? いケナイこだダダだ……!」


 ツカサだったモノは怒気をはらみながら大きく身震いし、ケイジが作り出した牢獄を打ち砕く。

 その衝撃は小屋の天井を激しく揺らし、崩壊させていく。

 しかしケイジはカルマ化したツカサに剣を突き立てて叫ぶ。

 この剣はケイジの思念の結晶。必ずや思いが届く。


「黒いカルマの正体はミツルじゃない。本体はまだ生きてる。だから……こんなところでくたばってんじゃねえ! …………俺が何を言っても刃向ってきたのに、こんな半端な状況で終わっていいのか? ……お前は黒いカルマの正体を探って倒すんじゃなかったのか!」


 ケイジの目に涙が浮かぶ。


「………お前は俺の妹がカルマ憑きになった時、拒絶しないでくれた。助かる方法を探そうとしてくれた。……それは、お前がカルマの恐怖から逃げた後悔を知っていたからなんだ。あの時のお前が何も出来なかったとしても、それでも俺達兄妹は救われていたんだ。…………だから、だから最後まであきらめるなよ!」


 ケイジは雄たけびを上げ、霊殻の力で作り出した剣を渾身の力で振り上げる。




 眩い光が一筋の稲妻となり、轟音と共にツカサの体へと撃ちこまれていった。

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