第五章 2 『這いよる影』

 ツカサが目覚めた時、周囲は腐肉まみれの洞窟の中だった。

 この洞窟の中ではツカサの体は幼い少年時代の姿であり、ケイジによって壊された傷もそのままになっている。左腕は白いカルマにくれてやったため、肩から先が失われている。


「また………魂の中の世界……?」


 洞窟の壁面はぼんやりと光っているが、所々が溶けかかった臓腑のように変貌しており、脈を打つように蠢いている。ツカサが漆黒のカルマの力に蝕まれてしまったため、この魂の中の世界も徐々に浸食されているのだろう。

 もう抗っても意味はないとツカサは思っていた。地面を覆う腐肉の海がみるみる広がっていく様を見ても抵抗する気が起こらず、ツカサは投げやりな気分で地面に突っ伏す。この状況が意識の最期の残りカスが見せる幻影だとしたら、早く終わってほしいとさえ思えた。




 その時、ツカサの視界の隅で白く小さな何かが動いた。

 一つではない。あちこちに点々と、親指ほどの大きさの何かが動いている。

 ツカサが目を凝らすと、それは歪な形をした人形のようだった。どことなく手足の生えた雪だるまに見えなくもない。その人形は腐肉の海を押しのけようと懸命に腕を動かしている。


「なんだ、これ?」


 ツカサがその中の一体をつまみ上げると、その小さな人形は慌てたようにじたばたと手足を動かす。力は弱く、敵意のようなものは感じられない。するとさらに数体の人形が近づき、ツカサを導く様に洞窟の奥の方を指し示しはじめた。


「奥……? 奥に何かあるのか?」


 ツカサが洞窟の奥の暗闇に向かって目を細めた時、失われたはずの左腕に電撃のような激しい痛みが走った。

 たまらずうめいたツカサが左肩に視線を移すと、いつの間にか失われた腕の断面からは白く細い糸が垂れ下がっている。その糸はツカサに憑りついた白いカルマが発する物によく似ていた。


「……なん……だ、これ……?」


 意味が分からないまま糸の先端を目で追うと、小さな人形が指差す方角へと続いている。

 人形たちもさっきから懸命に指差しているままだ。


「……行けっていうことか?」


 小さな人形は増え続け、しまいにはツカサの服を引っ張り始める。


「分かったよ。分かった。行けばいいんだろ?」


 ツカサは全身を切り裂く痛みに耐えながら、小さな人形たちに促されるままに闇の中に入り込んでいった。



 この時ツカサは気づいていなかった。

 自分の背後から迫る音を。

 ツカサの足音に紛れるように、ずるずると湿った音がゆっくりと近づいていた。








 高層都市 《天城》は東西南北の四つの塔が連結された構造になっており、それぞれの塔はフロアごとにチューブ状の連絡通路でつながっている。

 東塔のスラム街から逃れることのできた住民たちは惨劇に見舞われた恐怖心とそこから逃れられた安堵感で疲弊し、連絡通路の薄暗い床にうずくまって動けなくなっていた。

 防護扉が完全に閉じたことを確認したユイが扉の脇にある通信機を操作し始めた時、住民たちの一部がユイの行動に気づき、慌てて駆け寄る。


「あんた。一体何をしているんだね?」

「通信機の復旧です。向こう側の機械を補修したので、こちら側とつなげようと思って……。」


 作業する手を止めて答えるユイに対して、住民の一人が慎重に言葉を選びながら続ける。


「あんたは確か、扉の向こう側に設置した操作盤は見つからないように隠したと言っていたね。……それはとても懸命だと思う。カルマに憑りつかれた者が開けでもしたら大変なことになってしまうからね。………その上での質問なんだが、仮にその通信機を通して扉を開けてほしいと言われた場合、どうするつもりなんだい? 見たところ、カメラを設置するような余裕はなかったようだが……。」

「それは………。」


 その問いは住民たちの不安を的確に表していた。

 カルマ憑きが元の人間に成りすます可能性がある限り、相手が人間なのかカルマ憑きなのかを確証を持って判別する手段がないのだ。

 言葉に詰まるユイに対して、彼らはユイが持っている工具を差し出すように促す。


「我々が何を言いたいのか分かってくれるね? ……何も我々だって好きこのんで街の仲間を見殺しにしたいわけじゃないんだ。……しかしカルマというものは狡猾に人間の命を狙っている。ほんの少しの隙も見せるべきじゃあないんだ。」


 ユイは唇を噛み、視線は虚空をさまよう。

 しかし住民が工具を取り上げようとしても、ユイは工具を握りしめる力を弱めはしない。


「あんた………!」


 住民の声が怒気を纏った瞬間だった。

 小さな指がユイの手に重なる。

 ユイがハッとして視線を落とした時、目の前にはソラが立っていた。


「ユイ姉。もうやめよう。ここまで時間が立てば、確かに扉の向こうに無事な人が残っている可能性はとても低いと思う。……僕だって当然兄さんを助けたいよ。兄さんが呼べば真っ先に扉を開けたい。……でも。でも兄さんはそんなこと望まないと思うんだ。いつでも街を守ろうと頑張ってた兄さんなら、逃げ延びた僕らの安全を望むと思う。」


 ソラはとても穏やかに語り、そしてユイの手に優しく指を絡ませていく。

 頑なだったユイの指は解きほぐされ、ついに工具を手放した。


「分かりました………。」


 ユイは声を震わせながら住人達に顔を向ける。


「通信機は設置しません。仮に助けを求める合図が届いたとしても……開けません。………それでいいでしょうか?」

「ありがとう。感謝するよ。」


 住人達は納得した様子でユイに工具を返すと、それぞれの大切な人の元へと帰っていく。

 彼らの後姿をただ黙って見つめるユイの表情は重く沈んだままだ。

 その様子を見つめていたソラはそっとユイの傍らに寄り添い、ユイにだけ聞こえるように囁いた。


「ユイ姉。大丈夫だよ。……大丈夫。」

「ソラ君………。私………。」

「ユイ姉は何も心配しなくていいよ。兄さんには僕がついてるから……。」


 そう言って、ソラはユイの手を柔らかく握りしめた。

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