第五章 1 『少年の日の夢』

 ツカサとケイジの出会いはゴミ溜めのような路地裏だった。


 高層都市 《富士》の崩壊から逃れてきた難民たちは行くあてもなくスラム街に流れ着き、まともな食事と住処がないまま、最初の一年で多くの者たちがいなくなった。

 鰐塚の協力で軍の治安維持部隊がやってきて、連日のように行き倒れた人々を回収していったのも記憶に新しい。

 きっと食い扶持を減らすために《掃除》していたのだろうと誰もが思っていた。

 ケイジがツカサたち三人と出会った時、彼らはいつ《掃除》されてもおかしくないようなほど衰弱しきっていた。


「ツカサとユイってのはお前らか? 手先が器用なんだってな。」


 タダ働き同然の待遇なのに街を補修して回っている子供がいるという噂を聞きつけ、ケイジは仲間に引き入れようとしてツカサ達を探していた。



 ケイジは当時、親を失った子供たちのグループのリーダーであり、ケイジの元にはツカサと同じような境遇の子供たちがたくさんいた。ケイジたちは定住できる場所なんて持っていなかったが、偶然にゴミの山の下敷きになっていた廃屋を見つけていた。

 ケイジがツカサ達に依頼したのが、この廃屋の復旧であった。

 配管や壁面の補修を行い、隙間を可能な限り目張りすることで異臭対策も行った。周囲に山となったゴミが結果としてうまい具合に住処を隠す役目も果たし、孤児たちの唯一の安らぎの場所へと変わった。

 この仕事が縁となり、ツカサ達もケイジのグループに身を寄せるようになったのである。






「技師組合に入るんだってな。いよいよこの街に根付く準備ってわけか。」


 とある日、壁外の補修作業中にケイジが語りかけてきたことがあった。

 パネルの交換程度ならと、慣れない手つきでケイジがツカサを手伝っていた時だ。


「……違う。」


 そう答えたツカサの顔を驚く様に見つめるケイジ。


「どういうことだ?」

「きっと笑うかもしれないけど…………。」


 ツカサは逡巡するが、自分の夢を偽ることはできない。

 夕焼け色に霞む《富士》の残骸をまっすぐに見つめた。故郷を去った日もこんな風景だったことを思い出す。


「俺は故郷を取り戻したい。……訳も分からず壊され、奪われた。……このまま終わるなんて絶対に嫌だ。……だから、組合はそのための第一歩なんだ。」

「……それは、どういうことなんだ?」

「…………。《富士》をこの手で立て直して、自分が育った家に帰る。」


 その言葉を受けてケイジはたまらずに笑い出した。


「ケイジも笑うのかよ。出来もしない馬鹿な夢だってみんな笑うんだよな。………真剣に聞いてくれたのはユイとソラだけだったよ。」


 ツカサはふてくされるが、ケイジはあわてて弁解する。


「いや……ほんとスマン! バカにしたわけじゃないんだ。……まさか俺と似た奴がいるなんて思わなかったんだよ。」


 その言葉にツカサは目を丸くする。

 するとケイジは眼下に広がる広大な大地を指さした。


「……見ろよ。何十年も前まではあの土の上で人間は暮らしていたらしい。水も土地も余るほどにあるんだぜ。それがどうだ。地上に作ったあれだけの街を全部捨てて、人間はこの狭い塔の中に逃げ込むしかなかった。………カルマとかいう化物のせいで手が届かないんだ。」

「ケイジ………。」

「俺はいつか軍に入って、カルマどもから世界を取り戻してやる。……こんな狭い檻の中で死ぬまで生きるなんてまっぴらだ。……どうだ? 俺の方がスケールがデカいだろう?」


 満面の笑みを浮かべるケイジを前に、ツカサもつい笑いがこぼれてしまう。

 陰鬱としたスラム街の中で、誰とも共感を得られなかった夢。

 ツカサとケイジの想いが重なった瞬間だった。







 防護扉の脇に建つ小屋の中にケイジが足を踏み入れた時、そこに倒れていたツカサの体はすでに人の原型をとどめていなかった。

 膨大に湧き出す白い繊維と黒い粘液が混ざり合い、不気味な大樹と化している。その幹から身を乗り出すようにツカサの頭部と右腕が突き出し、力なく垂れ下がっていた。

 ケイジはツカサだったものに対峙し、唇を噛みしめる。


「俺とお前なら何でもできると思ってた。…………カルマどもは……どこまでも俺たちの道を塞いでくるんだな。」


 ケイジは手のひらに力を込める。

 そこから広がっていくケイジの霊殻と、光の中に形成されてゆく幾振りもの剣。その切っ先を苦悶の表情を浮かべるツカサの顔に向けた。

 しかし剣を撃ち出すことがためらわれて仕方がない。


「……本当にどうすることもできないのか? 俺はお前を殺すしかないのか?」


 それは部下の前では決して口にすることを許されなかったケイジの本心だった。

 過酷なこの街で、世界を救うなんていう子供のような夢を本気で語り合えたのはツカサしかいなかった。共に歩んできた道がカルマの手で分かたれるなんて、納得できるはずがなかった。



 その時、ケイジはツカサの傍らに転がる人影に気づく。

 その遺体の顔を見て、ケイジは驚きを隠せなかった。


「…………なんでミツルなんだ? 違うだろう? だってあの黒いカルマは………。」


 ミツルの遺体はツカサの作り出した霊殻の刃でえぐられた傷跡が残っている。

 防護扉周辺に転がる死体の様子を見れば漆黒のカルマがここに出現したことは間違いない。ツカサが相手をしたとなると、ミツルが漆黒のカルマの正体だったと考えるのは自然な流れだ。

 しかしケイジが掴んでいた情報はミツルとは無関係の物だった。




 ケイジはツカサに向けた刃を消し、ミツルの遺体を念のために調べ始める。

 そして確信した。


「ミツルの魂は黒いカルマの霊殻と全く違う。……やはりミツルは奴の本体じゃない。」


 その時、殺気がケイジの背後から迫った。

 ケイジは周囲に展開していた霊殻でわずかな違和感を察知し、とっさに横に飛びのいてみせる。

 まさに紙一重となって、ケイジの皮膚をかすりながら地面を穿つ漆黒の棘。

 ケイジの背後に迫っていた者は異形と化したツカサであった。




 不気味な大樹に混じる黒い粘液はツカサの体や白い繊維を徐々に黒く染め上げていく。

 枝を蛇のようにしならせ、その身を漆黒のカルマの形へと変えていった。漆黒のカルマから分かたれた霊殻はツカサを苗床にして急速に成熟しているようだ。


「体に聞くしかねえか。……ここで何があったか、答えてもらうぞ!」


 ケイジは姿勢を低く構える。

 彼の周囲に広がる力場は空間を鳴動させ始めた。

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