第四章 2 『身を捨ててでも』
ツカサはおびえる住民たちを背にしながら漆黒のカルマと相対する。
漆黒のカルマは自らの霊殻の中に腐肉でできた空間を作り出し、誰も逃がすまいとしている。
霊殻の力を行使できるようになったツカサはともかく、普通の人間である住民たちは縛り付けられた様に身動きが取れないのだ。住民の中にはソラの姿も確かにあった。
「……この腐った世界がお前の作り出した檻っていうわけだな。」
腐敗した世界の発生源である漆黒のカルマを倒せば、住民たちは解き放たれるはずだ。
ツカサは全神経を研ぎ澄まし、漆黒のカルマに届きうるたった一つの武器……《圧縮した霊殻の刃》にすべての力を注いで突撃していく。
他にとれる手段があるわけでも、明確な弱点が分かっているわけでもない。
だったら敵の体すべてを削りきってしまえばいいと、それだけを考えていた。
幸いにも漆黒のカルマの体は相当小さくなっている。
おそらく飛弾の攻撃で削られたり、抜け殻を残して逃走したせいなのだろう。見上げるほどに巨大だった敵の体は高さ二メートル強の巨人程度までは縮んでくれていた。
ツカサはユイに叩きこまれた格闘技の基礎と持ち前の集中力によって紙一重で攻撃をいなしながら漆黒のカルマの体を削り取っていく。
「もう二度と防壁を壊すような真似はさせない! 小細工をする暇なんて与えない!」
ツカサは住民たちが見守る中で戦い続ける。
しかし漆黒のカルマの無数の触手が生み出す圧倒的な手数を前にして、被弾しないなんてできるはずはない。霊殻を一点に集中させたせいで全くの無防備になった全身は次々と漆黒のカルマの触手に貫かれ、漆黒の瘴気がツカサの体を蝕んでいく。
その時住民たちからどよめきが起こる。
「あ……あの腕……!」
ツカサの左腕を覆い隠していたユイの服が破れ、怪物化した腕があらわになっていた。
「カ……カルマ憑きだ! ツカサ君までカルマ憑きになりやがった!」
住民たちの悲鳴を前にしてソラはうろたえる。
そして気づくのだった。
ツカサに起きた悲劇と彼の想いを知る者はユイとソラ以外にいないことを。
「兄さんは味方です。味方なんです……!」
それでも住民の恐怖の声は収まることなく、ソラの叫びを掻き消していく。
いつしかソラの声は震え、大粒の涙と共に言葉にならなくなっていった。
「……いいんだ。」
ソラは兄の小さな言葉が耳に届き、顔を上げた。
触手に貫かれたツカサは笑っている。
「……俺はソラが守れれば……それで十分なんだ。……だから、他のことは全部構わない!」
ツカサは雄たけびを上げ、右手の中にある小さな嵐を触手に押し当て、引きちぎる。
そして別の触手が体に突き刺さったまま一歩を踏み出した。
そこから先のツカサの戦いは悲壮と形容する他なかった。
能力者としても未熟なツカサが燃やし尽くせる力は、もはや自分の命しか残っていない。
あらゆる苦痛を遮断しながら、
全身を瘴気に蝕まれながら、
ツカサは鬼気迫る形相で漆黒のカルマの体を削り続けた。
どれだけの時間がたったのだろうか。
一瞬だったのか、途方もなかったのか分らないぐらいのツカサの絶叫が途絶えた時、腐敗した世界は消え失せていた。
住民たちは茫然とした表情で惨劇の舞台を見守る。
戦いの結末を目にしながらも、誰も言葉を発することが出来なかった。
戦いの舞台の中央には二人の青年の姿があった。
片方はツカサだ。
全身から流血し、漆黒のカルマの霊殻に蝕まれ、漆黒の瘴気を身に纏っている。その目には生気はなく、目の前に横たわる死体をじっと見つめている。
「……ミツル。……お前だった……のか?」
漆黒のカルマの崩壊していく体から現れたのは、補修作業などで幾度も仕事を共にしていた同僚……ミツルの遺体だった。
ミツルも故郷である《富士》から逃げ延びてきた難民の一人だ。
四年前に《富士》にいたのならば、確かに彼が漆黒のカルマの正体であってもおかしくはない。
「……意味わかんないよ。唐突すぎるだろ。……なんでミツルなんだよ。」
ツカサは自分がどんな感情を持てばいいのか分らず、力なく座り込んだまま、ただ茫然と虚空を見つめていた。
住民たちを支配していた沈黙は、突如下品な笑い声で破られた。
大げさに拍手をしている男は鰐塚だ。
「なんだなんだ、最高じゃないか! この街を恐怖に叩き落としたカルマ憑きの正体が分かり、おまけにぶっ殺せたわけだ。おい、これほど安心できる事実があるか?」
その言葉を受けて群衆は徐々にざわめき始める。鰐塚はその様子を眺め、再び大声を張り上げた。
「防壁の修理は技師組合の連中がやってくれる。街に入り込んだカルマの討伐は俺の兵隊にやらせよう。今は避難だ。避難するぞ!」
その声に突き動かされるように、ようやく群衆は動き始めた。
茫然とたたずむツカサを怖れる目で避けながら、逃げるように足早に立ち去っていく。
「待って……! 兄さんも一緒に!」
ソラがツカサに駆け寄ろうとしたとき、幾人もの住民たちがソラを引き留めた。
「お前もカルマに憑りつかれるぞ!」
「行っちゃダメよ! おばさんと一緒に行きましょう!」
「え……?」
心無い言葉に絶句するソラ。
「……だって、だって兄さんはみんなを守ってくれたんだよ? そのせいであんなボロボロになったんだよ?」
動揺するソラの小さな体が不意に宙に浮いた。一人の大人がソラを抱え上げたのだ。
「カルマ憑きを連れていけるわけないだろう! ……勝手に同士討ちしてくれたんだから儲けもんじゃねえか?」
「嫌だ! 放して!」
暴れるソラだが、大人たちの力にかなうはずもなく強引にツカサと引き離されていく。
ソラは届くはずのない手を必死にツカサの方に伸ばす。
「兄さん! 早く兄さんもこっちに来て!」
しかしツカサは力なく首を振り、ソラに優しく微笑みかけた。
「ごめんな。もうここまでみたいだ。……もう、人の世界に戻れない。」
「兄さん! ……僕が、僕が絶対に助ける!」
ソラの叫び声が空っぽになった部屋の中にこだますのだった。
防護扉が閉じていく音を遠くに聞きながら、ケイジは深く吐息を漏らした。
「……なんとか避難までの時間は稼げたみたいだな……。」
そうつぶやくケイジの周囲にはカルマ憑きの死骸が累々と積み重なっている。
ギャング達がカルマの群れに襲われて崩壊した前線で、ケイジはたった一人で押し寄せるカルマを食い止めていたのだった。
「ああー……、頭がいてえ。一日に四本も薬を使うのはさすがに無茶だったか。」
ケイジは頭を振りながら立ち上がると、今もなおカルマに蹂躙される街を眺める。
「……飛弾さん。確かに言われた通りに調べましたよ。奴の正体もたぶん間違いないでしょう。でも……これじゃあ、あまりにも残酷だ。……ツカサにどう言えばいいっていうんですか……。」
ツカサは静寂に包まれた小屋の中で、ミツルの遺体と共に横たわっていた。
もう指ひとつ動かす力が残っていない。
ツカサの体は漆黒のカルマの瘴気に覆われたまま、徐々に体が黒変していく。
『………俺自身が……あの黒い奴になる?』
カルマに憑りつかれれば、最後はそのカルマのようになってしまう。そうケイジは言っていた。
それが本当だとすれば、ツカサは憎むべき仇敵に成り果ててしまうのだろう。
それはなんて最悪な最後なのだろうか。
せめて最後は自分の意志で命を絶ちたい。
しかしすべての力を使い尽くした体は動かすこともかなわない。
視界が暗い。何も考えられない。
「ユイ…………。ソラ…………。」
ツカサは力なく目を瞑った。
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