第四章 1 『退路なき戦場』

 防護扉の周囲は地獄のような有様になっていた。

 霊殻の能力者たちはカルマを防護扉に近づけさせまいと奮闘するが、漆黒のカルマの周囲に広がる霊殻の領域に踏み込むだけで力は奪われ、精神を蝕まれていく。


「ひっ……ひぃ……! ヤメッ……!」


 ギャングの一人が頭部を吹き飛ばされて、体がその場に崩れ落ちた。

 漆黒のカルマは霊殻の能力者を選んでいるかのように次々とギャングに襲い掛かっていく。


「うろたえるな! この場は飛弾さんに任されてるんだ! 絶対に扉だけは死守するんだ!」


 そう叫ぶギャングの男自身も疲弊しきり、すでに後がなかった。


「助けてください……! 夫が……夫が……!」


 ギャングの足元に女性がしがみついてくる。その女性の傍らには半身が異形と化した男性が横たわっている。


「ひ……ひぃっ……。放せっ! 放せっ!」


 ギャングは恐怖のあまりに女性を殴打し続けるが、女性の額が突如ひび割れ、巨大な牙をむき出しにしてギャングの拳を食いちぎる。

 絶叫するギャングはその時ようやく周囲の惨劇に気がついた。

 見渡す限りが様々な姿の怪物に成り果てた人間の群れだ。

 すでに漆黒のカルマ以外のカルマも人間を狙って集結しつつあるのだ。

 ギャングの男は悲鳴にも似た笑い声しか出すことが出来なくなり、最後には自らもカルマに体を奪われていった。







「前衛は全滅……のようだな。」


 周囲の風景が腐肉にまみれた暗闇に包まれ、霊殻の能力を持たない鰐塚にも状況が見えるようになった。

 漆黒のカルマは鰐塚がこれまで遭遇したカルマの中でもひときわ広い力の領域を持っているようだ。その霊殻の範囲に入った時、数十メートル向こうの入り組んだ路地から暗黒の塊のような姿が頭をもたげる様子が見えた。


「せっかく作った軍隊が水の泡だな……。ユイ先生よ、サクッと開かねえのか。サクッとよう。」


 鰐塚は観念したようにつぶやきながら巨大な扉を恨めしそうに見上げる。

 この事件で高層都市 《天城》の東塔に存在する鰐塚の勢力地域は全滅と言っていい被害だ。そして本来はカルマから身を守るための扉が行く手を阻んでくるとは、何とも皮肉なものに思えた。


「電気系統が相当死んでるんです。これでもかなり復旧できてるんですよ。みなさんも専門家じゃないのに頑張ってくれています。」


 周囲にはユイの指示を受けて作業を行う者たちが不慣れな手つきで動いている。エンジニアではないものの、彼らは力仕事や資材の運搬で名乗りを上げてくれたのだ。


「そうかい。……ところであれは結局使えないのか?」


 鰐塚は防護扉の脇に放置してある球体状の金属容器を眺めた。それは白いカルマが入れられていた保管容器である。


「防護扉は防壁の機能自体は死んでないみたいです。今は特に使い道はありませんよ。」


 ユイは容器の方を一瞥もすることなく、せわしなく動いている。

 メンテナンス用の蓋から防護扉の内部空間に上半身を突っ込んだ姿勢で各所にケーブルをつなぎなおしているが、操作室の破壊によって配線が広範囲で死んでいる可能性が高く、通電の状態を確認しながらの作業は相当な時間を要していた。


「まさかどう壊れてるか知っていて、わざと時間をかけてるわけじゃねえよな?」

「……? 何をおっしゃってるんです?」


 ユイが不愉快そうに鰐塚をにらむと、鰐塚は舌打ちをしながら煙草に火をつけた。


「………やれやれ。これが最期の一服ってところか。」


 鰐塚は白煙を吐き出しながらすでに目の前に迫っていた黒い影を前にしてふてぶてしく笑ってみせる。

 作業を行う住民たちはカルマの存在に気づき、一斉に悲鳴を上げた。すでにギャング達の包囲を突破した漆黒のカルマが目前に迫っていた。


「よう、黒いの。……また会ったな。」


 振るい上げられた巨大な腕を見上げながら鰐塚はゆっくりと目を閉じた。





 その時だった。


 叫び声が風のように唸りを上げながら迫ったかと思った瞬間、振り上げられた漆黒のカルマの腕が圧縮された嵐に巻き込まれたかのようにねじ切れる。

 さらに続けざまに無数の砲弾が撃ちこまれ、接触と同時に炸裂していった。


「俺が……相手だ!」


 鰐塚は……そしてユイは聞き覚えのある青年の声に振り向く。

 そこにはツカサと飛弾の姿があった。




 漆黒のカルマは飛弾の放った砲弾で体の大部分を削り取られてしまい、とっさにその場を飛びのいてツカサと飛弾から距離をとった。


「飛弾……! おせえぞ、この野郎! ……それに、なんでこの小僧を連れてきた!」

「悪いな。……この少年は囮だ。まあカルマ憑き同士をぶつけるのは懐も痛くねえしな。」

「そう言って、またなんか企んでるのか?」


 危機も去っていないのに豪快に笑う鰐塚達を横に、ツカサはユイを抱きしめる。


「ユイ、無事か? ソラはどこだ?」


 ツカサは漆黒のカルマから目をそらさずに問いかける。周囲には作業を行っている者以外に誰の姿も見えない。


「ソラ君も他の人も大丈夫。……ここよりは安全な場所にいるから……。」

「………そうか。」


 ツカサはユイの言葉に安堵しつつも、不安はぬぐい取れない。

 この場には他のカルマも集まりつつある。状況を見る限りは復旧作業も大詰めのようだが、一刻の猶予もないのは事実だ。


「……ユイはそのまま作業を続けてくれ。俺は……あいつを倒す。」

「倒すって……どういうこと? 何かあったの?」

「いつか話すよ。……ユイは……生きてくれ。」


 ツカサはもう一度ユイを抱きしめると、漆黒のカルマに向き直った。

 漆黒のカルマはツカサのその様子を見てゴボゴボと音を鳴らしながら全身を震わせる。まるでツカサとの再会を喜んでいるようにさえ見えた。






 漆黒のカルマと改めて相対すると、その巨大さは圧倒的だった。

 二階建ての建物と比べても頭が出そうなほどだ。確実に廃工場で遭遇した時よりも巨大化している。こんな巨体を前にして、身に着けたばかりの力が通用するかは甚だ疑問だった。

 せめてあの純白の刀が使えればいいのだが、心の中で内なるカルマに呼びかけても何の反応もない。もしかすると現実世界で呼びかけても効果がないのかもしれない。

 ツカサは淡い期待を捨てて、ユイに師事して身に着けた格闘の構えをとる。小さな霊殻しか作り出せないツカサがとれる手段はどちらにせよ近接戦闘しかありえない。

 そのツカサの思考を読み取ったように、ツカサの横に飛弾が立った。


「頭部は俺の力なら届くだろう。少年は足元をうろついて注意を逸らしてくれ。」

「……はい!」


 敵に回せば恐ろしい男も、仲間となればこの上なく頼もしい。

 激しく鼓動する心臓をなだめるように深く深く呼吸を整えるツカサ。

 目の前にそそり立つ漆黒のカルマの正体が何者かなんてことは後で考えればいい。倒してしまえば、探すためにユイ達が苦痛を味わう必要もないのだ。



 ツカサは姿勢を低くしながら地面を蹴った。

 漆黒のカルマは飛弾の霊殻に抗いながら漆黒の腕を伸ばすが、大幅にスピードが抑えられ、ツカサは容易く避けながら一気に背後をとる。そして右手の先に小型の嵐を作り出し、攪乱しながら足元を削り続けた。

 さらに漆黒のカルマの周囲には飛弾が作り出した無数のミサイルが出現し、豪雨のように漆黒のカルマに降り注ぐ。弾頭は接触した瞬間に炸裂し、漆黒のカルマの体を少しずつ削り取っていった。







 ユイは鳴り響く激しい衝撃音を背後に受けながら、油まみれになって作業を続けている。

 ユイを手伝う住民たちもヤケになったように威勢よく声掛けしながら動き回る。


「このパイプは切断していいんだな!」

「ええ。油圧ロックを解除する装置が死んでるんです。強引ですが、この際仕方ありません。」


 住民たちが複数個所のパイプに斧を振り下ろすと、亀裂からオイルが漏れ出て防護扉の下部をロックしていた装置がゆっくりと解放された。続いて非常用電源のためのディーゼルエンジンが起動され、けたたましい音と共にモーターの電源ランプが点灯する。

 ユイは状況を見計らった後、即席で組み上げた操作盤を動かしていく。

 モーターがうなり声をあげ、防護扉の足元に取り付けられた車輪がゆっくりと動き始めた。


「これで逃げられるぞ!」

「俺、みんなを呼んで来ます!」


 湧き上がる歓声の中で、作業を行っていた男たちが防護扉近くの小屋に走っていく。

 ユイは少しの安堵の後、戦うツカサ達を振り返る。



 だが、その目は信じられない光景を映した。


 漆黒のカルマと相対するツカサの足元のパネルが勢いよく跳ね上がり、下から溢れ出したヘドロのような粘液から無数の槍のような触手が伸びてツカサの脇腹に突き刺さる。

 とっさに砲弾を撃ちこもうと飛弾が構えた瞬間、飛弾の死角から別の触手が飛び出して飛弾の太ももに突き刺さり、右脚が粉々に吹き飛んだ。


 二人の男たちの絶叫が響き渡った。






 ツカサは苦痛で歪む視界の中、何が起きたのかを必死に確認する。

 すると、漆黒のカルマの足元のパネルにいつの間にか隙間が空いているのが分かった。


「………! まさか、床の防壁の隙間を通って触手を伸ばした……?」


 飛弾は地面に突っ伏しながら、持てる力を振り絞って砲弾を解き放つ。

 しかし漆黒のカルマの体は先ほどまでと打って変わって、何の抵抗もなく貫通していく。まるで殻だけを残して中身が消え失せたかのような違和感だ。




 その時離れた場所から悲鳴が沸き起こった。

 扉が開くまで住民が待機しているはずの小屋へ鰐塚がとっさに視線を向けると、小屋の屋根が吹き飛び、その中から蠢く触手の群れが姿を現した。


「なんてこった……。いつの間に本体が移動していたんだ……。これも床下を通ってやられたのか……?」

「まだ大勢残っているのに……。ソラ君だって……。」


 ユイが力なくその場に座り込む。





 その時、ユイの横をツカサが通り過ぎた。

 ツカサは自分の服を破った布で出血した脇腹を強く縛り付けながら、その視線は小屋を見つめている。


「ユイはいつでも扉を閉められる準備をしといてくれ。あと、飛弾さんの止血も頼む。」


 ユイにはツカサの決意が痛いほど想像できた。

 ツカサは命を賭してでも小屋に向かおうとしているのだ。


「……待って。せめて増援が来るまで……。」

「来ないよ。ここに来る途中にいた能力者はみんな死体になってた。それに、早く行かないとソラが危ない。」


 ツカサの目は冷静だ。確かにこの状況で、ツカサしか戦える者がいないのは事実なのだ。

 ユイは震える唇から最後の願いを振り絞る。


「必ず……帰ってきて…………。」


 ツカサはその言葉に応えることが出来ない。

 力の底が見えない敵を前にして、ツカサ自身、自分がどうなってしまうのかは容易く想像できていた。ツカサは心を揺らすまいと、ユイを振り向くことなく、真っ直ぐに小屋を見つめ、足を踏み出す。


「行ってくる。」


 それだけを口にして、ツカサは駆けだした。

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