第三章 7 『激突』

 飛弾は信じられないような光景を目にしていた。

 ケイジが牢獄から弾き飛ばされるように倒れ込み、牢獄は内側から激しく殴打されるように外殻が歪んでいく。


「おい! しっかりしろ!」


 飛弾がケイジを抱きかかえると、ケイジの目がうっすらと開いた。


「失敗したのか?」

「……いえ、あの黒いカルマの霊殻は確かに記録しました。それに、調べた時点でツカサの魂も確かに壊れました。普通なら死んでいるはず………。なのに!」


 牢獄の内部からあふれる衝撃が何度も何度も空間を歪ませる。


「俺のミスです。まさか次の標的がユイだってところまで気づかれるなんて……。」

「ケイジは悪くない。魂が壊れれば、待つのは死のみ。お前も冥途の土産程度の話をしただけだろう。」

「ツカサは敵です。……俺が必ず始末します!」


 ケイジは雄たけびを上げながら、力を振り絞って牢獄を押し固めようとする。

 しかし内部からの破壊を止めることが出来ない。


「くそ……、足掻くなよ、ツカサ!」


 亀裂から白い粒子が暴風のように吹き出し、みるみるとケイジの生み出した檻を削り取っていく。その嵐の中心にはケイジをにらみつけるツカサの姿があった。全身に白い傷が浮かび上がり、左腕からは無数の粒子が噴き出している。ツカサの体に浮かんだ白くひび割れたようなアザがみるみると広がり、顔に達していく。


「その力……。もうカルマに乗っ取られやがったか?」


 ケイジは憎々しげに睨むが、ツカサは苦痛にまみれながらも笑いを浮かべた。


「まだ……まだ乗っ取られて……ないさ。魂を与えればカルマの力が強まるんだろ? だから俺の魂をくれてやっただけだ。……俺の中にいるカルマにな!」

「自分から……明け渡したっていうのか? 自分から命を縮ませる真似をするとはな。」

「どうせ死ぬのが避けられないんなら、最期にやりたいことが分かったんだ。ユイや組合の仲間たちをお前らギャングには渡さない。……あの黒いカルマを見つけるのも、倒すのも……俺がやる。」


 ケイジは呆れるように口をあんぐりと開けていたが、急に苛立ったようにツカサに詰め寄り、彼の胸ぐらを掴む。


「軽々しく言うんじゃない。ツカサにそんな時間が残されてるものか。それに、お前自身は調査によって仲間を傷つける覚悟があるのか!」


 二人は額をぶつけるほどに接近し、視線をぶつけ合う。


「仲間は傷つけない! そんなことしないで倒す!」

「……策もないくせに適当なこと言って、邪魔をするんじゃない!」


 ケイジは感情を爆発させたように叫び、ツカサを突き飛ばす。

 そしてケイジ自身も後ろに飛びのいて遠ざかった隙に、ケイジは自分の腕に注射器を突き刺した。いつの間にか腰のカバンから取り出していたのだ。この日三度目の薬剤の使用によりケイジの目が血走り、腕の血管が膨張する。


「手がかりを入手できた今、お前にもう用はないんだ。……ツカサ。カルマ憑きは生きてちゃいけないんだよ!」


 ケイジの周囲に金属の欠片が現れ、収束するようにして幾振りもの剣となる。

 ツカサへと向けられる鋭い切っ先はケイジの意志の象徴なのだろう。すでに捕える理由のなくなったカルマ憑きは切り刻むのみと言うことだ。

 ケイジが腕を振り下ろすと同時に剣が猛然とツカサに撃ちだされる。力を切っ先の一点に集約した攻撃はツカサの小さく薄い霊殻など容易く貫通することができるはずだ。たとえツカサが内なるカルマに力を与えたと言っても、たかが腕の一本をささげた程度でカルマの力が無制限に増えるわけがない。




 しかしツカサの目に諦めはなく、迫りくる剣に向けて手のひらを向けた。

 次の瞬間、激しい閃光と衝撃波が巻き起こり、一振りの剣が粉々に打ち砕かれていた。ツカサは真正面から剣に対峙し、さらに接近する剣を次々と粉砕していく。


「なんだ、それは……!」


 ケイジの視線がツカサの手のひらの上に浮かぶ小さな球体に吸い寄せられる。そこにはボール大に圧縮された嵐が渦巻いていた。そのかわりに、ツカサの体を包み込んでいた霊殻は消え失せている。それは一つのことを意味していた。


「霊殻を一点に圧縮している……のか?」


 ツカサは全身の霊殻を極限まで手のひらの上に圧縮させ、ケイジの渾身の攻撃さえも噛み砕く刃に変えていた。

 圧縮された嵐には白い粒子が混じり、ツカサに憑りついたカルマの力の影響を感じさせた。

 ツカサは自分の力の射程範囲を理解し、一気にケイジとの距離を詰めた。

 ケイジはツカサを捕えたときのように霊殻を圧縮して動きを止めようとしたが、ツカサの霊殻は白い粒子を伴い、拘束の力を振りほどいてみせる。


「それもカルマの影響か?」


 ケイジはそれならばとさらに霊殻の濃度を高め、小さなナイフを多数作り出す。

 巨大な剣よりも威力は劣るが、相手が密着しているならば取り回しはしやすいはずだ。

 しかしツカサはナイフの生成に合わせるように体を操り、小型の嵐によって次々とナイフを粉砕していく。その格闘技に通じる動きは、多少ぎこちないもののケイジにとって見覚えのあるものだった。


「ユイに稽古をつけてもらってたってわけか?」

「ユイに言わせれば、まだまだ素人だってよ!」


 ケイジの想像通りだ。

 ユイの得意とする格闘技は武器を持った相手を想定した動きができる。ツカサの霊殻の小ささをカバーするにはうってつけに思えた。


「……お前ら二人は、ほんとに揃って厄介な奴だぜ!」


 お互いに接近しての攻防の応酬はすさまじい衝撃波を周囲にまき散らし、スラム街に並ぶバラック小屋を粉砕していった。





 空間がはじけるように二人の力が交差したあと、一気にケイジから距離をとったツカサが突然背を向けて駆け出した。


「な………。どこに行くんだ!」

「あのカルマを探す。ケイジに構ってる暇なんてないんだ!」

「ツカ……サ……! 自分もカルマ憑きだってことを忘れるな!」


 ケイジが追いかけようとしたその時だった。

 暴風が横を駆け抜けた。

 飛弾が霊殻の中に満ちる力で自らの体を押し出したのである。

 カタパルトが戦闘機を撃ち出す如く凄まじい加速はあっという間に飛弾をツカサの前に運ぶ。


「面白い芸だが、防御を捨ててどうする。」


 飛弾が手をかざすと、周囲を取り囲んでいた飛弾の霊殻の内部に無数の砲弾が生成された。弾頭の圧倒的な存在感が逃げ場のない殺意となってツカサを取り囲む。

 ツカサはとっさに全身を霊殻で覆うが、小さく弱い霊殻では砲弾の勢いを殺しきれない。かといって全周囲から同時に迫る砲弾を前にして、力を一点に絞ることもできない。

 突きつけられる死を前にして、ツカサには成すすべがなかった。






『死ねない……!』


 ツカサの想いと同期して、目の奥で光が瞬いた気がした。

 異形になり果てた左腕から鋭い激痛が押し寄せる。

 突如ツカサの動かせないはずの左腕が別の生き物のように跳ね上がり、左腕に巻き付けたユイの服を貫通するように無数の糸が出現した。

 糸は一部の砲弾に絡みついて軌道を逸らしたかと思うと、砲弾がなくなった隙間の向こうにある建物に絡みついてツカサの体をゴムのように強引に引っ張り上げる。



 茫然とする飛弾とケイジの視線は頭上に集まる。

 そこには屋根の上まで跳ね上げられたツカサの姿があった。

 ツカサ自身も自分の身に起こっていることが分らないまま、自分の左腕に目を奪われている。


「これは……俺に憑りついたカルマ……?」


 はためく服の隙間から覗く人形のような左腕は指の関節の隙間から糸を吐き出す。

 糸は絡み合い、収束し、鋭い一筋の棘のようなものへと形を変えていった。


「カタ……ナ………?」


 一点の曇りもない純白の……一振りの長刀が形成されていった。

 ツカサは青ざめる。自分の左腕……そこに宿ったカルマの狙いは明らかだ。


「やめろ……! 俺はそこまで望んでない!」


 ツカサの叫びもむなしく、左腕に宿ったカルマはこれが自己防衛の本能とでも言いたいかのように刀を振り下ろす。

 斬りかかった者は斬られても文句は言えない。

 飛弾は攻撃直後に生じた隙をつかれ、迫りくる切っ先を待つしかなかった。


「それだけは、ダメだ!」


 ツカサは自分の左腕に掴みかかり、その切っ先を逸らそうと抗う。

 空中で体制を崩された左腕はツカサの体ごと錐もみ回転しながら、落下の勢いのままに飛弾に激突するのだった。






 もうもうと立ち込める埃の中でツカサと飛弾の視線が交差する。


「少しだけ……。ほんの少しでいいんです。俺がまだ人間の意識を保てる間だけ待ってくれませんか。……俺が必ず、あの黒いカルマを倒します。」


 懇願するツカサに向かって、二人に追いついたケイジが剣を突きつける。


「まだそんなことを言い張るのか…………。」


 しかし唐突に飛弾が笑い始めた。呆気にとられた二人が飛弾に視線を集めると飛弾は言った。


「防護扉だ。」

「飛弾さん?」


 ケイジが剣を維持したまま飛弾を見つめると、飛弾は懐から取り出した煙草に火をつけながら語りだした。


「今ごろあのお嬢ちゃんが防護扉を開けようとしている頃だろう。あの黒いカルマは意図的に扉を封鎖した疑いがある。奴がもう一度姿を現すなら、防護扉が開けられようとしている今しかないだろう。奴を殺すことが出来れば、少年が嫌がる調査も必要ない。」


 そして煙草を持った手をツカサへと向ける。


「………少年。俺と一緒に行くか?」


 その口元は不敵に笑っている。


「飛弾さん、何を言ってるんです!」


 飛弾の言葉が信じられないケイジは食って掛かるが、なだめるように飛弾が続ける。


「この少年がここまで言ってるんだ。戦わせてみようじゃないか。……俺の命に届きそうだったんだ。ひょっとすれば面白いことになるかもな。………それに、考えてみればカルマ憑き同士が勝手に殺し合ってくれるなら、それほど楽なことはない。」


 そこまで言われてしまえばケイジも矛を下げるしかない。


「あとな、ケイジ。ちょっとお前にやってほしいことが増えたんだ。」


 飛弾の目は何かに気づいたように険しく光った。







 ツカサは切り裂かれるような全身の痛みに耐えながら、防護扉に向かって走る。

 先行する飛弾は少しも速度を落とすことなく、その背中は「戦いたいなら、しっかりついて来い」と言っているようだった。

 ツカサは出発前の飛弾とケイジのやり取りが気になり、息を荒げながら飛弾の横に並ぶ。


「あのっ……。ケイジに……何を言ってたんですか? 出発の直前……何か耳打ちしてた。やってほしい事があるって………。」


 しかし飛弾はその問いに答えることなく鋭い視線を返す。


「俺たちの話に首を突っ込むんじゃねえ。……少年はあのカルマと戦うことだけ考えてろ。だいたい、少年はあの白いカルマの力を自由に引き出せるのか?」


 白いカルマの力……。

 それは人形のように変異した腕から発せられる刀や糸のことなのだろう。

 例えあれが忌むべきカルマの力だったとしても、この瞬間のツカサにとっては何よりもすがりたくなる力だ。しかしツカサは首を振るしかなかった。


「…………いえ。あの刀や糸は俺自身とは全く無関係に出てくるんです。何がきっかけで力が使えるのかはさっぱり……。」

「そうか。」


 飛弾はさして期待もしていなかったようにぶっきらぼうにつぶやいた。


「だったら囮にぐらいなってくれよ。」




 その時遠くの方から悲鳴が響いてきた。

 その声は一人だけではない。何人もの声が折り重なっているようだ。


「そら、そう言っている間に出やがったようだな。あの黒い奴か、それとも他の奴なのか……。」


 飛弾とツカサが走る通りのそこここに不気味な血濡れの肉塊が散乱している。

 かつては人間だったとは思えないほどに無残にねじられて絶命した死体は、ツカサにとって忘れられない光景を思い出させる。

 ツカサは固く歯を食いしばる。恐れと不安、そして復讐心にも似た暗い想いが胸に渦巻く。


「奴です。この死体はあの黒いカルマの傷跡に間違いありません。」


 ツカサはただ、ユイ達の無事を祈らざるを得なかった。

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