第三章 6 『決意のとき』

 ケイジの前に広がったのは天然の岩壁に包まれた洞窟だった。

 ケイジは暗い天井からぶら下がるトゲ状の岩を見上げる。

 ツカサに以前見せてもらった本で写真だけは見覚えがあるが、高層都市から出たことのないケイジにとっては自然な地形というもの自体が馴染のない物だ。


「……鍾乳洞……だったか? 洞窟好きとは……ツカサの奴、随分とストイックだな……。」


 ここは精神の世界だ。

 おそらく現実の世界であれば光源のない空間は完全に闇に包まれているのだろうが、今は岩肌全体が仄かに光っているため歩くのに困ることはない。そしてこの世界に立つケイジはケイジと言う人間の魂そのものだ。自らの霊殻で作り上げた《牢獄》の内部は肉体の延長のような物であり、自分の魂を送り込むことが可能なのだ。

 ケイジは事前に《牢獄》の内部を走査することである程度の目星をつけており、迷わずに一つの方向を目指して足を踏み出した。




 周囲の世界は奥に行くにしたがって普通の岩肌が腐肉にまみれた様相へと様変わりしていき、黒煙のような瘴気が濃くなっていく。まとわりつく黒い霧を霊殻の力で振り払いながら進んでいくと、一層濃くなった瘴気の渦の中心に小さな人影が落ちていた。


「………お前がツカサの《魂の本体》……だよな。その姿はトラウマを背負った時代の象徴っていうわけか。……まあこのスラムに流れ着いた奴は大抵がそんな感じだけどな。」


 地面に伏せているツカサはとても幼く、成長期前のあどけなさが残っている。

 体全体が半透明でかすれた様に微かに光を放っており、体を縛り付けている黒い瘴気に蝕まれて体中に無残な傷口が開いている。

 左腕はカルマに奪われているようで、上腕部から下が失われている。


「…………ガキの頃さ、……ツカサがカルマを研究して俺が倒す。俺たちで世界を救おう……そんな事夢見てたよな。………みんな馬鹿にしてたけど、実は俺、今でも諦めてないんだぜ。」


 ケイジは憐れむようにツカサを見下ろした後、指先に霊殻の力を集中させる。

 眩く光る霊殻は徐々に凝縮して手に纏わりつき、禍々しいナイフのような形へと変貌を遂げた。


「俺達の夢は俺が繋ぐ。だから…………許せ。」


 ケイジは意を決し、ナイフをツカサの頭部に突き刺した。

 幼いツカサの体には亀裂が入っていき、激しく身もだえしながら苦痛の声をあげた。




 接触部を通してツカサの記憶がケイジの中に次々と流れ込んでくる。


 崩壊していく高層都市 《富士》。

 ユイとの出会い。

 泣き叫ぶソラ。

 無残に殺されてゆくツカサの父親。


 ……それはツカサがケイジに出会う前に起きた《富士》での出来事をさかのぼるイメージの奔流であり、かつてケイジがツカサから聞いていた話と一致する物だった。


「まさかあの黒いカルマ、《富士》から来たなんてな。……それだけでも重要な情報だ。」

「や……め…………。俺の中を……見……るな………。」


 幼いツカサの苦悶の表情に心を掻き毟られながら、ケイジはそれでもツカサの中ををまさぐり続けた。


「やめないさ。あの黒いカルマは街を壊す。絶対に正体を突き止めて始末しなければならないんだ。……霊殻は一人ひとりが異なる指紋のようなもの。お前の中に憑りついてる奴の霊殻こそが重要な鍵となるんだ。」


 その時ケイジの眉がかすかに動いた。


「見つけた。」


 漆黒のカルマが解き放った力の切れ端はツカサの魂の奥底にはびこり、ツカサの魂を乗っ取ろうとしているようだ。このまま放置すればツカサもいずれはあの漆黒のカルマと同じものに変貌してしまうだろう。

 ケイジは手に纏わせた自らの霊殻を操り、漆黒のカルマの波長を確実に記録していく。

 ケイジは自分の持つ能力が恨めしくてならない。

 なぜよりによってこんな力が身についてしまったのだろうか。カルマ憑きの魂に触れるたびに救うことが出来ればと常に思う。魂を蝕むカルマの力をきれいに除去すれば助けられるのではないかと考えてやまない。

 しかし救えたことは一度もない。ケイジの力は捕えて壊す。……ただそれだけの物だった。


「………じゃあな。」


 別れの言葉と共にツカサの頭部から腕を引き出す。

 ツカサの体が大きくざわめき、全身に亀裂が入っていく。

 もうこうなっては崩壊は止まらない。




 その時ツカサの唇が弱々しく動いた。


「俺は……どうなるんだ?」

「……ほう。意識がまだ保ててるのか。」


 ケイジは少し驚いて目を見張るが、確かに人間の意識は電源のように一瞬で切れるわけでもない。死に際のやり取りは少なからず経験があった。


「知りたいか?」


 その問いに幼いツカサは小さくうなづいた。


「カルマは魂を喰うことで力をつけ、増殖する。憑りつかれれば最後、憑りついたカルマのように変わってしまうんだ。お前があの黒いカルマになるのか、それともその人形の腕のように変わるのかはわからない。それはおそらくカルマ同士の問題だろうからな。」


 その後ケイジは口ごもるようにつぶやいた。


「………ただ、お前はそうなる前に死ぬ。俺が……壊したからだ。」

「死…………。」


 ケイジはツカサの虚ろな目を眺める。

 大抵の奴は死の宣告をすれば断念するか、それとも暴れるか。その二通りだった。

 しかしその後に続くツカサの言葉はそのどちらでもなかった。


「あの黒いカルマの……正体ってなに……?」


 ツカサはある程度答えを予測していたのか、それとも観念するのが早いだけなのか分からないが、うろたえることなく次の疑問を口にしていた。


「……そうだよな。お前は何があってもカルマのことを知りたい奴だった。」


 ケイジはしばらく逡巡するが、やがて口を開いた。


「あの黒いカルマはただのカルマじゃない。お前と同じ《カルマ憑き》。……つまり街の住人だ。」


 ツカサは目を見開き、身動き一つできないままに視線をケイジに向ける。


「街……の?」

「飛弾さんの調べによるとな、あの黒いカルマは工場に現れる前にすでに防護扉を襲ってたんだ。そしてその後、わざわざ遠く離れた工場に現れた。……その道中にいた人間を誰も襲わずにな。そんなことを食欲の赴くままに人を襲うばかりのカルマがやるわけがない。……それが奴がカルマ憑きだという理屈だ。」


 語るケイジの口調は徐々に熱がこもってくる。


「カルマに憑りつかれた人間はカルマに知能を利用される。……防壁の破壊ができる人間がカルマ憑きになったのなら、それは絶対に放置できない。……もう人間に残された場所は高層都市しかないんだから………。」


 ケイジの言葉は漆黒のカルマに対する物であると同時に、ツカサに向けた言葉にも感じられた。

 カルマに憑りつかれたエンジニア……ツカサを放置できないのはそういう理由だったのだ。

 ケイジの想いは人間にとって当然だ。

 人間の生きる場所がこの高層都市の他にないこの時代、生存を脅かす危険は排除されなければならない。それこそこのスラム街に暮らす住民にとっては別の高層都市に逃げる希望すらないのだから。




 ケイジはこの後どうするつもりなのだろうか。

 ツカサは朦朧とする意識の中で考えた。

 入手したばかりの《漆黒のカルマの霊殻》は指紋のような物らしいが、それを使って正体を突き止めるのであれば、おそらく指紋の照合のように使うのだろう。

 そうだとすれば、次に必要なのは容疑者の絞り込みだ。

 しかしギャング達はすでにカルマ憑きに焦点を絞っている。


「…………ん?」


 ツカサは一つの違和感に気づいた。

 その引っ掛かりは自分の命なんてどうでもよくなるほどの悪い予感となって膨らんでくる。


「……おかしい。…………ケイジのやり方はあまりに回りくどい。」

「何?」


 ケイジはぎょっとした顔つきでツカサを見下ろす。


「……カルマ憑きは俺みたいに外見でわかるはず。ケイジたちがカルマ憑きの存在自体を否定するのなら、黒いカルマを特定する前に片っ端からカルマ憑きを殺せばいいはず。……なのにケイジはカルマの霊殻にこだわっている。」


 ツカサはケイジの表情が強張っていくのを見逃さなかった。

 その眼差しは何かケイジに後ろめたいものがあることを物語っている。


「ケイジ。……もしこれから言うことが間違っているならそれでいいんだ。……でも、もし合っていたなら、そうだと答えてくれるか?」


 これからの話がケイジにとって都合の悪い話になるのは分かりきっているはずだが、ケイジは目を瞑り、かすかに頷いた。その仕草を友人としてのせめてもの誠意と受け取ったツカサは言葉を続ける。


「体が怪物化しないカルマ憑き……そんな者が存在する。そして、カルマが自分の分身のようなものを作ることも可能なら、誰にもアリバイは存在しない。……あの黒いカルマが出てきたときにその場にいたはずの《見かけが普通の人間》でさえ、全員容疑者だって言えるんだ。だけど絞り込むことはできる。……あれだけ短時間に的確に防壁を壊せる人物は組合のエンジニア以外にそうはいないからな。」


 そしてツカサは言葉を区切り、ケイジをにらみつけた。


「ギャング……いや、鰐塚という男はあの事件に居合わせた俺やユイを疑っている。そしてどちらも無関係だったなら、今度は技師組合のみんなを調べる。………そうなんだな?」





「お前ってやつは本当に……、本当に面倒なことに気づきやがる。」


 ツカサの確信に満ちた問いを受け、ケイジは諦観したように虚空を見つめた。


「………そうだ。お前らは最初に調べるべき人物だと言われている………。」


 ツカサの言葉をすべて肯定するケイジ。

 それはツカサの怒りに触れて当然のことであり、ケイジはどうしても口にできなかったことだった。


「あはっ……ははは……。」


 突然の笑い声で驚いたケイジが目を落とした時、その目に飛び込んできたのは立ち上がっているツカサの姿だった。

 ツカサが一つ一つの動作を行う度に魂の形に亀裂が入り、無数の光の粒が舞い散っていく。

 その表情は笑い声に似つかわしくないほどに怒りに歪んでいた。


「魂をどうやって調べるのかはなんとなくわかるよ。……それはケイジが俺に……今まさにやった事なんだよな? 頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜた、さっきのことなんだよな? 知ってるか? すごく痛いんだ。苦しいんだよ。思い出したくなかったことも、見せたくなかったことも全部見られて!」


 怒りをまき散らすツカサを前に、ケイジも開き直ったように相対する。


「………悪く思うな。ここは上の街に見捨てられた者が最後にたどり着く場所。自分たちの居場所を守るためなら仕方のないことだ。わずかな懸念も残すわけにはいかない。」

「仕方がない……? 心をボロボロに壊されることが……?」

「冷静になれ。」


 ケイジは眉間にしわを寄せる。


「お前も防壁のメンテナンスをやってるなら、街を守る重要さは分っているはずだろう? あの黒い奴はこの街の中にいるんだ。今すぐ始末しなければ、この高層都市自体が壊されてしまう!」


 しかしツカサの口元には怒りが浮かんだままだ。


「だからってさ! そんな杜撰な決めつけ方で無実の人を壊していいわけ、ないだろう?」

「……俺だってそう思う。………でも時間が無いんだ!」

「ユイはこんな化物になった俺の帰りを待っていてくれる。……組合のみんなも必死に街を守ろうとしている! 死んでいい人なんていないんだ!」





 小さなツカサの体は依然として霞み消えかけているが、その鋭い眼光には青年のツカサのような力強い意志が込められていた。


「俺に憑りついたカルマ……聞こえてるか!」


 ツカサは周囲に向かって叫んだ。


「力をやるから、こんな檻、壊してしまえ!」

「なん……だと……?」


 ツカサの叫びに呼応するように鍾乳石が槍のように伸び、ツカサの体を貫いた。

 左腕が一気に蒸発し、飛び散った光が周囲の壁面へと吸収されていく。

 ツカサは全身を震わせるように叫んだ。

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