第三章 5 『疑わしき者には死を』

 静まり返った路地の真ん中で、ケイジは能力で作り出した鉄の檻に触れた。

 霊殻で作り出した物体は物質として存在しているわけではない。きっと能力を持たない者が遠くから見ればツカサは押しつぶされている形で宙に浮いているはずだ。鉄と言ってもうっすらと透過しているため、中に封じ込められたツカサの状態は手に取るようにわかる。

 ツカサはケイジの持つ精神介入の力によって意識を封じ込められ、苦悶の表情で眠りについているように見えた。


「……見事なもんだ。」


 飛弾はケイジの肩に手を置き、ツカサと漆黒のカルマの霊殻を捕えた鉄の檻をにらみつける。


「……本番はこれからだ。調べる間の護衛は俺に任せればいい。」


 しかし自分の手でツカサを捕えたはずのケイジの表情は浮かないままだ。


「あの……。」


 ケイジは重い口調で切り出した。


「ツカサの魂を調べる必要性は分かります。ツカサの中に潜む黒いカルマの霊殻を入手すれば奴の正体を探す手がかりになる。しかし……。」

「しかし?」

「………。しかし、次にユイを調べるなんて………。本当に鰐塚さんはそこまでやれと言うんですか? ……俺にできるのは相手の魂を《切開》することだけ。その結果として魂の中身を見ることが出来るだけなんです。俺が調べるっていうのは、相手を殺すってことなんです。」



 調査対象がカルマ憑きかどうかを判別する方法は大きく二通りある。


 一つは素人でもできる身体検査だ。カルマに憑りつかれた魂は変容し、その影響が肉体の怪物化となって現れるため、外見で簡単に判別できる。

 しかしそれはあくまでも調査対象が魂を《一人分》しか持っていない場合に限ってのことだ。もしカルマ憑きになった者が別の人間の魂を喰い、複数人分の魂を保有することになった場合、カルマ憑きは《正常な魂を纏う》ことで正常な外見を装うことができてしまうのだ。その可能性がある限り、実は身体検査という手法はあまりに抜け穴が多すぎて意味がない。


 そのため、正しく判断する方法として《魂を調べる》やり方がある。

 霊殻の能力者であれば霊殻を広げて見せればいい。

 霊殻とは魂が生み出す力。つまり霊殻の状態を見せることができれば魂の状態を証明できるという訳だ。

 調査対象が能力者でないのならば、ケイジのような精神世界に介入できる類の能力者が執行役になる。相手の精神世界に直接入り込んで、本人の魂の内部を開いて確認するという手法だ。しかしこれは、例えれば腹や頭蓋骨を開いて中身を見るということに等しい。魂というものは非常に繊細であり、一度でもメスを入れれば容易く壊れかねない。



 飛弾はくわえた煙草の煙を思い切り吸い込んでからつぶやいた。


「複数の魂を従えるカルマ憑きはコピーが作れる。そのことはケイジも知っているはずだ。あの黒い奴が身体検査も潜り抜けてきたような奴なら、喰った魂を使って暴れさせていた可能性だって捨てきれない。黒いカルマと同じ場にいたお嬢ちゃんですら、アリバイはないんだ。間近に居た分だけ、お嬢ちゃんへの疑いは濃いとも言える。」

「……ツカサとユイを調べて、それでも奴ではなかったとしたら、後は見つかるまでエンジニアを調べ続ける。………そういうことですか?」

「そうだな。」


 ケイジは血がにじむほどに拳を握りしめた。

 そんなケイジの様子を横目で見ながら、飛弾は次の煙草に火をつける。


「《天城》を《富士》の二の舞にはさせん。この水際の街で確実に食い止める。そのためならどう憎まれようと、俺は判断を変えん。」


 多数を生かすためなら多少の犠牲は仕方がない。飛弾が言わんとすることはそういうことだ。そしてその判断は、かつてのケイジ自身が通った道でもあった。


「……わかってます。俺が選んだのも、そういう道なんですから………。」





 ケイジが精神介入を開始したことを見届け、飛弾は周囲を警戒し始める。

 この状態のケイジは完全に無防備となるため、必ず護衛役が必要となるのだ。

 しかし飛弾には先ほどから一つの疑念が生じていた。


「……静かすぎる。この区画は人の気配がない。……こんな密集地でもう避難が終わるものか?」









 東塔の外辺部から始まったカルマの恐怖はすでに東塔のスラム街全域を覆い尽くしていた。

 護衛に連れられて防護扉へとやってきたユイとソラは目の前の光景に途方に暮れる。

 東塔からの脱出を求めて防護扉の前には数百人もの人だかりができていたが、扉が開かないことを知った住民はただただ絶望していた。不安と恐怖で憔悴しきった者、何が起きているのか分らずただ流されるままにこの場にいる者、少しでも安全な場所を求めて他人を押し退けている者………。それは四年前、高層都市 《富士》から脱出する際の光景によく似ていた。


「よお、ユイ先生! ……ようやく救世主のお出ましだ!」


 大げさな物言いをしながら鰐塚が部下を引き連れて現れる。


「ここに来る道中で話は伺いました。……防護扉の制御室が壊され、扉が開けられないことを。」

「その通りだ。制御室は素人目に見ても使い物にならん。さらに他の塔との連絡手段も壊されてる今、集会中の組合員どもが向こうから開けてくれるなんて、期待すら出来ねえ状態だ。」


 しかし同じ話を事前に聞いていたユイはすでに解決の手段を何通りも考えていた。


「……開けられると思います。扉の可動部を制御する装置を直接操作すればなんとか……。」

「ほう、さすがユイ先生だな。俺達も住民の皆さんがかわいそうだと思ってたんだよ!」

「………どういうことですか?」


 ユイは鰐塚の意図が読めず、いぶかしげに髭面の男の顔を覗き込む。

 すると鰐塚は大げさな身振りで住民たちの方を指し示す。


「こんな時に限って集会なんぞでエンジニアが誰一人来ないから、彼らは逃げることもできない。……俺たちは自分らで身を守れるんだが、とてもとても彼ら全員を助けるには人手が足りないだろう? 死を待つしかないなんて、かわいそうだと思っていたんだよ。」

「…………そう、ですか……。」


 ユイは湧き上がる苛立ちを必死に抑えた。

 鰐塚はあくまでも依頼をするのではなく、ユイが自発的に作業しただけということにしたいらしい。

 他に頼める人間がいないとはいえ、よっぽど頭を下げたくないようだ。


「……わかりました。」


 ユイは鰐塚と目を合わせずに扉に向かう。


「開けますよ。……何人か人手を借りますがいいですね?」

「そうかそうか! 住民の皆さんがさぞや喜ぶだろうな!」


 鰐塚は上機嫌で煙草をふかした。

 しかしユイの後を追おうとするソラを見かけると怪訝な目つきで鰐塚は引き留める。


「なんだそのガキは。」

「私の弟ですけど……。」

「……弟? ガキは仕事の邪魔だ。すっこんでろ。」


 鰐塚はあからさまに不機嫌な顔でソラを追い払おうとする。

 ユイはとっさにソラを自分の背に隠したものの、無理に連れて行けば彼らにひどい扱いをされるのは想像に難くない。

 しばらく逡巡したユイは申し訳なさそうにソラの前にしゃがみこんだ。


「……ソラ君、ちょっと待っていてくれる? 私は仕事をしてくるから。」

「…………うん。」


 ただそれだけのやり取りにも関わらず、鰐塚は待てない様子でユイの腕を引っ張り上げた。






 遠ざかっていくユイの後姿を見送った後、ソラは思いつめた表情で背後に広がる居住区の方を振り返った。

 この視線の先、自宅の周辺ではきっとツカサが戦っている。飛弾はとても強そうに見えた。ツカサの安否が気が気ではならない。


「……兄さん……。兄さんの事、僕が必ず……。」


 そうつぶやいた時だった。

 ソラの視界に何者かが入り込んでくる。

 ソラがふと見上げると、そこには見覚えのない青年が立っていた。


「…………誰?」


 青年の顔は逆光になっていてよく見えない。


「君、確かツカっちゃんの弟でしょ? 僕はミツル。ツカっちゃんとはよく外壁補修で一緒に仕事してるんだ。………なんかすごい人だかりだよね。君は一人?」


 ソラはいぶかしげに口を開いた。




「…………何か……用?」


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