第二章 4 『ヒトならざるモノ』

 そこから先の光景をケイジは茫然と眺めていた。

 白いカルマがツカサの裂けた左腕の中に入り込むと、見る見るうちにツカサの左腕の皮膚が硬化していき、指が人形のような球体関節に置き換わっていく。裂けた左腕は肉の断面から放出された糸によって縫合されていき、隙間なく密着する。

 漆黒のカルマが腐食した世界を広げてツカサを飲み込もうとするが、その刹那、ツカサの周囲が削り取られたように腐食した世界が消え失せた。全身を痙攣させてうずくまるツカサの体の周りには、白い粒子が吹き荒れるまるで吹雪のような世界が出現していた。


「……ツカサ、お前までカルマ憑きに………。」


 ケイジは力なく座り込み、親友の変わってしまった姿を見つめることしかできない。

 漆黒のカルマとツカサの体それぞれから発せられる霊殻の力はお互いの世界を塗りつぶそうとせめぎ合っているようだ。



 その拮抗した状況を破ったのはツカサの方だった。

 揺らめく白いローブに体を包まれ、獣のように丸くした背をバネのようにひるがえす。曲芸のように空中で回転すると、腕と一体化した長刀が無数の斬撃となって漆黒のカルマを切り裂いていく。その人間離れした動きは漆黒のカルマを翻弄し、まるで寄せ付けない。獣のような形相で漆黒のカルマと相対するツカサに、人間としての意識が残っている様子はなかった。

 漆黒のカルマは切り裂かれた体から黒煙のような粒子を噴出させながら身じろぐが、すぐに裂け目を塞いで体制を立て直す。

 禍々しくうごめく黒煙と稲妻のごとき刀の一閃の激しいぶつかり合いは、廃工場のそこここをたちまちのうちに切り刻んでいった。


「そんな……バカな!」鰐塚が床を叩く。「……ボスの記録では、確かに間違いなかったはずだ。《富士》で作られた装置だったはずだ! あのクソジジイが間違えるはずがない!」


 鰐塚は目の前の光景が到底信じられずに首を振る。


「なんで中にカルマが入ってるんだ……。」

「鰐塚、お前がよく使う手段かもしれん。」飛弾がつぶやく。「意図的に、偽の情報を流したんだろう。」

「ボスは……俺を騙したというのか?」

「ボスを殺して軍と手を組む……。そんな俺たちのような反逆者をはめる罠だったのかもしれん。中に入っていたカルマで自滅を誘おうとでもしたんだろうか。」


 悔しさに床を殴る鰐塚。しかし飛弾は漆黒のカルマをにらみつける。


「……仮にそうだとしても、あの黒い奴の乱入はどういう意味がある? 偶然にしてはできすぎだ。………あれもボスの罠だとでもいうのか?」




 その時悲鳴が沸き起こった。


 爆弾によって破壊された床の防壁はすでにカルマをせき止める力を持たず、地獄の蓋が開けられたかのようにカルマが次々と溢れ出してくる。もはや止めようがない。多種多様なカルマの群れは生者に群がり、次々と憑りついてカルマ憑きに変貌していく。


「……くく……ははは、カルマ憑きがどんどん増えるじゃねえか!」

「鰐塚さん! 下がってください!」


 動揺する鰐塚にカルマが迫った時、一人の部下が鰐塚を突き飛ばした。その部下の体にはたちまちのうちにカルマが入り込んでいくが、鰐塚の無事を確認して笑った。

 飛弾が悔しそうに唾を吐きながら、部下が変貌したカルマ憑きに弾丸を叩きこんでいく。


「鰐塚は戦えないんだから下がれ!」

「やられっぱなしで逃げられるか!」

「お前が死ねば軍との交渉は誰がやるんだ!」


 鰐塚は飛弾の提案に苦々しい表情を浮かべたが、やむを得ず撤退を決断する。

 ケイジはギャング達の撤退を支援するために廃工場の出入り口に陣取り、迫りくるカルマ憑きの群れを迎え撃つ。ケイジの部下もその背中を守るように展開した。




 その時ケイジは見た。

 壁際で倒れて気を失っているユイの元に漆黒のカルマが急速に接近するところを。

 ……そして、漆黒のカルマに向けて刀を振りかぶりながら地を蹴るツカサの姿を。


 ツカサの刀の軌道はユイもろともに漆黒のカルマを切り裂こうとしている。ツカサは憑りついたカルマに意識を奪われているのか、ユイの存在を気にしていないようだ。ツカサとユイは共に暮らす家族。ケイジはツカサが大切な人を殺すさまを見たくなかった。

 ケイジはとっさにツカサ達の元に駆け寄ろうとするが、カルマ憑きの群れが眼前を塞ぐ。


「くそっ、邪魔だ!」


 無数の鉄塊をカルマ憑きに撃ちこみながら走り寄ろうとするが、到底間に合わない。


「ツカサ……やめろ!」


 声のかぎりに叫ぶが、無情にもツカサの腕が振り下ろされていく。

 ケイジは思わず目をそむけた。



 漆黒のカルマと白い獣の衝突が空間を歪ませる。

 耳をつんざくような激震。

 時間が停止したかのような一瞬の空白の後、黒煙と吹雪が入り混じり、爆ぜるように霧散していった。





 空間の鳴動がおさまり、ケイジは息をのむ。

 その時、弱々しくも聞き覚えのある青年の声が響いた。


「……ケイジ、ありがとうな……。お前の声、聞こえたよ。」


 ユイは無傷のままだった。ツカサの足元に倒れたままのユイはゆっくりと呼吸している。

ツカサの刀は漆黒のカルマの体を両断していたが、ユイの首筋に触れる直前で止まっていた。


「………ツカサ?」


 囁くようにユイの唇が開いた。まぶたがうっすらと開き、宝石のように青い目が頭上のツカサの顔を眺め見る。視線が定まっておらず、まるで夢心地のようだ。


「……その姿は……どうしたの?」

「こ……これは……。」


 ツカサは言葉を詰まらせた。ユイは爆発の後に起こった惨劇を知らないのだ。

 床に修復不可能な大穴が開いたこと。自分が保管容器を開けたこと。……そして、あの保管容器の中に入っていたのが防壁の装置なんかじゃなかったことを。

 ツカサは手から離れない刀を持ち上げ、ユイから隠すように遠ざける。

 説明しようとするが思うように思考が働かない。ツカサ自身にも自分に何が起こっているのか分らない。いや、想像できたとしても信じたくなかった。

 その時ケイジが愕然とした表情でつぶやいた。


「……あれだけの攻撃を喰らったのに、動いてる……だと……?」


 左右に両断されていた漆黒のカルマの体は、その断面を覆う黒い粘液を泡立たせながらゆっくりと上体を起こしていた。ヘドロのような粘液は分かれた片割れの体と引きあうように吸着し、亀裂の入った体はいつの間にか巨大な口に変化している。


「ツカサ……逃げて……!」


 叫ぶユイの言葉もむなしく、牙をむいた漆黒のカルマはツカサの体を飲み込んでしまった。







 ツカサがひどい頭痛と共に目を覚ますと、そこは暗い洞窟の中だった。

 光源が無いのに壁が仄かに光っており、洞窟の様子がなんとなくわかる。


 全く見覚えがない。

 記憶の中で一致する物と言えば、何かの本に載っていた鍾乳洞の写真に似ているような気がする。空間全体が陽炎のように揺らめいている様は、これが現実の世界ではないように感じさせた。

 そしてツカサ自身の姿は幼い日のままだった。ただ一つ違う部分があるとすれば、左腕の肘から先が失われていることだ。


 幼いツカサがおびえるように周囲を見回すと、地面に白い布のようなものが広がっている。恐る恐る近づくと、それは布を纏った人間ほどの大きさの何かだとわかった。

 ボロボロにほつれたローブのような物の隙間から白い腕が見えている。その皮膚は白磁のように白く滑らかで、関節は人形を思わせる球体で接続されている。腕以外のすべてを包み隠す純白のローブは、風もないのに怪しげに揺らめいていた。

 純白のローブをまとった人形は粘りつく黒い粘液にまみれ、徐々に体が溶けてきている。


「……何……これ?」


 ツカサがつぶやいた瞬間、突如空間に激震が走った。

 人形に纏わりつく粘液が泡立ち、膨大なヘドロとなって溢れ出した。脈打つように蠢くヘドロは徐々に一つの塊へと姿を変えていく。それは無数の腕と目を持つ異形の者だった。


「父さん達を殺した……怪物……!」


 幼いツカサは恐怖で体から力が抜け、その場に座り込む。

 怪物はゴボゴボと汚らしい音を出しながら身を震わせて笑うと、人形もろとも、ツカサに襲い掛かった。


「奪わセ……なイ……。誰にモ、ゼッた………。」


 人形の声がヘドロに巻き込まれ、掻き消される。ツカサ自身もヘドロの渦に飲み込まれ、蝕まれていく。黒く黒く塗りつぶされていく意識。

 その闇の中心で幼いツカサは声にならない叫びをあげた。








 ツカサを飲み込んだ漆黒のカルマだったが、駆け付けたケイジとその部下が作り出した光の領域に拘束され、その身を縛り付けられていた。霊殻の光に圧迫され、漆黒のカルマの体が徐々に削り取られていく。

 ユイはケイジの部下に羽交い絞めにされながら後方に下げられるが、たまらずに叫ぶ。


「ケイジ! ……どうする気なの? まだ中にはツカサが……!」

「仕方がない。この黒い奴はここでケリをつける! こいつはどういうわけか防壁を破壊できる……。ここで逃がせば街はおしまいなんだ!」


 ケイジは自らの光の領域の中に無数の鉄の欠片を作り出し、漆黒のカルマを包み込む殻を作り始める。それは巨大な檻のようだ。

 しかしその時、ケイジの背後を守っていた部下の上半身が粉々に吹き飛んだ。別のカルマ憑きに襲われたのだ。ケイジ自身もその余波を受け、横殴りに吹き飛ばされる。かろうじて体の周囲に浮遊していた鉄の殻が盾になり、一撃死を免れていた。


「隊長! こんなカルマ憑きがうじゃうじゃいる中で捕縛するのは無理です……。せめて能力者の頭数が揃ってないと……!」


 周囲をカルマ憑きに取り囲まれ、絶体絶命となる部下たち。

 彼らはカルマ憑きの群れに向かって手を掲げるが何も起こらない。


「……薬が……切れやがった……。」

「もう今日使える分は使い切っちまった……。」


 狭まってくるカルマ憑きの包囲を前に、部下たちの顔には明らかな絶望が浮かんだ。

 ケイジは血まみれになりながら体を起こす。その目が睨むのは周囲に群がるカルマ憑きではなく漆黒のカルマを閉じ込めた檻だ。


「……いない? あの黒い奴はどこにいった?」


 混乱による一瞬の隙に、檻の中に捕らえていたはずの漆黒のカルマの姿は消え失せていた。檻の中には漆黒のカルマに飲み込まれていたツカサだけが取り残されている。

 その時ケイジの部下が激しい苦痛の声を上げた。

 部下の体が床を伝う黒い液体に纏わりつかれて潰れていた。その液体はさらに周囲のカルマ憑きの群れやギャングたちに飛びつくと、その体を吸収してみるみる体積を増大させてゆく。周囲のカルマ憑きの群れをひとしきり飲み込んだ時には、初めの姿よりもはるかに膨れ上がった漆黒のカルマの姿にと変貌しているのだった。


「……不定形の……カルマ……? 隊長の檻から逃げるなんて………。」


 ユイを守る部下が絶望的な眼差しで見守る中、漆黒のカルマは静かに檻を見下ろす。その視線は檻の中に取り残されたツカサを見つめているようだ。

 漆黒のカルマがツカサを再び襲おうとした時、その前にユイが飛び出した。


「ダメッ……!」


 ユイは両手を大きく広げて漆黒のカルマの行く手に立ち塞がる。そのあまりに無謀な行為にケイジが絶叫した時、予想もできない光景が目に飛び込んできた。

 漆黒のカルマが止まったのだ。

 その黒い巨体は赤い目を明滅させながらユイを睨みつけた後、突然身をひるがえして廃工場の出入り口から外に出て行ってしまった。

 ケイジやユイたちはただ茫然と立ちつくし、闇が去るのを見送ることしかできなかった。

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