第二章 3 『覚悟の代償』

 白い光が幾筋にも分かれて差し込む廃工場の中、ユイとツカサは金属でできた球体状の容器と対峙していた。

 壁際には黒いミリタリージャケットを纏う何人もの男たちがショットガンを手に二人の様子を見つめている。しんと静まり返った空間の中で、容器の表面をコツンと叩く音が反響した。


「開けろ。」


 恰幅の良い男が球体の表面をさする。ギャングの幹部である鰐塚自らが出てくるのは非常に珍しい。大抵の雑事は若い下っ端がこなすし、大きな揉め事の時でも兵隊をまとめる飛弾と言う男が出てくるのがせいぜいであるため、今の状況がよっぽど彼らにとっての重大事であることがうかがえた。


「あの……中の物をどうするんですか?」

「余計なことは知らんでいい。黙ってやれや!」


 ツカサが恐る恐る鰐塚に質問しようとすると、鰐塚の脇にいるギャングの男が叫んだ。

 それでもツカサは聞かずにはおれなかった。この場で質問することが彼らを刺激することはわかっていたが、これからやらされることが大きな罪につながる予感があった。自分の命どころか、この高層都市そのものの運命を左右するような大きな罪の……。


「《大規模防壁システム》……そんなものを手に入れて、どうするつもりなんですか?」


 ツカサの言葉に、鰐塚の眉が動いた。


「……ほう。面白いな、お前。……仮に《それ》が入っているとして、どうすると思う?」


 鰐塚はゆっくりと歩み寄り、ツカサとユイの顔を交互に覗き込む。

 鰐塚は試しているのだ。ツカサはそう思った。命令を無視して質問してくる輩を品定めしている。間違った答えは未来を閉ざされかねない。

 しかしツカサには想像がつかなかった。

《大規模防壁システムの要》をスラム街に持ち込んだ。スラム街はカルマの存在と隣り合わせの危険地帯。強固なシステムが導入されるのなら歓迎したいところだ。……しかし、鰐塚がわざわざそれを入手したということは、ただ住民を守るために使うなんて考えられない。必ず自分の利益になることを考えているはずだ。


『スラムを護ってやる代わりに金を巻き上げる……? ……いや、そんなことはするまでもない。資材の換金所も市場も管理下にある現状では、すでにスラムからこれ以上搾り取れるものなんてないはずだ。』


 ツカサは沈黙したまま、答えを導き出せない。




 その時、ユイが鰐塚の目を見据えて答えた。


「クーデター……ですね?」


 その答えが正しいことを、鰐塚の見開かれた目が雄弁に物語っていた。


「鰐塚さんが軍とつながっていることは周知の事実。……しかし軍は本来、《上の街》を守るための組織であり、スラムとつながっている事実はマズいはずです。……ということは、軍の中には少なくとも《上の街側》と《スラム側》が存在していて、ギャングが武力を身に着けることを助けている……ということになりますよね。」

「…………ほう。」


 鰐塚の口元からは笑みが消えている。


「軍と俺たちがつながっているとして、この装置を入手することがどうしてクーデターにつながるというんだ?」

「この装置が本当に一基だけで数十フロア分をまとめて守れる代物なら、これを製造できる唯一の街 《富士》が崩壊した今となっては、《上の街》は喉から手が出るぐらいに欲しいでしょう。でも……だからと言って、これを安易に売るような真似は、鰐塚さんならしませんよね。」


 ユイは目を座らせて鰐塚を見つめる。


「《上の街》の防壁を破壊して、この《天城》から安全と安心を奪う。わざとカルマに襲わせることすらやるかもしれない。この装置の価値はどこまでも吊り上げられる。唯一の安全と安心を餌にして、搾り取れるだけ搾り取る。それこそ《上の街》を乗っ取って王様にすらなれるかもしれない。軍の《スラム側》は政権を奪い、あなたは利益を得る。それがクーデターです。」


 鰐塚は大笑いをして、ツカサとユイの肩に太い指を乗せた。


「もういい。それ以上はしゃべるな。余計なことまで当てられるとかなわん。頭のいい奴は好きだが、お前は怖いぐらいだな。うちに来いよ。たっぷり仕事があるぜ。」

「人殺しの手伝いをするなんて、できません。」


 ユイはまるで臆していないように返答した。

 しかし鰐塚の笑みは消えず、ユイとツカサに耳打ちした。


「軍が紛失した機密資料。あれがどこに流れたのか……そういう話は俺の耳によく届くんだ。拾ったものを隠し持っておくなんて、悪い奴がいるもんだよなあ。……軍の奴らに知られれば、ただではすまんだろうなあ。」




 その言葉にツカサは戦慄した。目の前の男は軍とつながっている。いつだって軍を動かすことができると言っているのだ。


「……お前らの大事な弟が不幸な事件に巻き込まれるなんて、そんな悲しいことはあっちゃいけないよなあ。俺の目が届いていれば、そんな不幸も避けられるかもしれないんだが……。」


 鰐塚は二人に背を向け、金属の球体容器の元に歩み寄る。


「若いもんと話すのは楽しいことだ。長話になってしまったな。……まあひとまず、さっさと目の前の仕事を済ませてしまおうか。」


 鰐塚がたくさんの人の命を奪おうとしている予感は元々あった。それが明らかになっただけだ。そして拒否する選択肢も最初からあるわけがないのだ。

 ツカサとユイは同時にうなづき、容器の元に歩み寄った。







 ツカサとユイは感情を凍りつかせたまま、黙々と容器の確認を進める。

 球体状の密閉容器は相当な衝撃や圧力にも耐えうるだろう。それに無理やり破壊してしまっては内部まで破損してしまうリスクが大きい。容器の周囲にまとわりつく機械群は防壁の構造に似ており、おそらくこの容器をカルマの攻撃から守るための仕組みに思える。蓋を開ける際には関係がなさそうだ。

 蓋自体の構造は至極単純なもので、パスワードを入力すれば開く仕組みらしい。


「パスワードはわかりますか?」


 ユイが鰐塚に尋ねるが、「ない」と一言告げられただけだった。ないだろうとはツカサも思っていたが、一応確認するのもスジと言うものだ。


「開けろ。」


 高圧的に鰐塚が告げる。エンジニアの理屈なんて知らんとでも言いたげだ。


「大丈夫なのか?」


 ツカサは鰐塚に聞こえないような声でユイに問いかける。


「軍のシステムなんてどんなに高度なのかわからないぞ。さすがにスパコンでもなけりゃ無理なんじゃ……。」


 ツカサが不安げにユイを見つめるものの、ユイは至って平然としながらコネクタ類を容器と手元のコンピュータにつなげ、素早くキーボードを操作していく。間もなくコンピュータのディスプレイに文字列が勢いよく流れ始め、やがて容器のランプの色が変わった。

 容器の蓋のパスワードが解かれたのだ。

 ツカサが目を丸くして驚いていると、鰐塚が大げさに喜んだ。


「さすがユイ先生。見事なもんだ。」





 ちょうどその時だった。

 突然ツカサの周囲は黒に塗りつぶされた。

 背中の皮膚が一斉に粟立ち、酸を浴びせかけられたように全身に焼ける様な痛みが走る。


 自分の感覚がおかしくなったかと思った時、背後で誰かが嘔吐したようなうめき声を上げた。

 とっさに振り返ると、壁際に立っていた見張りのギャングの胸に大きな穴が開いている様子が目に飛び込んできた。死体の胸からはどす黒い闇が噴出し、その場のすべてを覆い尽くす。


『……まさか、カルマの領域が広がった……?』


 床や壁が一気に腐食した肉塊に変貌してゆく。あちこちから噴出する黒い触手がギャングたちを捕え、果実を絞りつくすようにひねり潰す。ただの肉塊に成り果てた人の残骸と赤黒い血しぶきの中央に、いつの間にか無数の目と腕を持つ巨大な影が鎮座していた。

 ツカサは自分の体すべてが心臓になったのではないかと錯覚するほどに打ち震えた。息を吐いているのか吸っているのか自分自身でも分らないぐらいに呼吸が乱れている。

 目の前にそそり立つ闇の姿を、ツカサは忘れるはずがなかった。

 《富士》で遭遇したカルマ。ツカサから何もかもを奪った元凶が再び現れたのだ。


「あああ……ありえん! 能力者の目をすり抜けて入れるはずがない!」


 狼狽える鰐塚に向かって巨大な影はその長い体躯を鞭のようにしならせ距離を詰める。一体どこから侵入してきたのか分らない。こんな巨大なカルマが突然現れるのは不自然だ。

 無数の腕が鰐塚をとらえようとした瞬間、光の球体がその勢いを阻む。空中に現れた巨大な弾丸が次々と射出され、弾丸は爆散しながらカルマの体に風穴を開けた。


「ひ、飛弾……!」


 鰐塚をかばったのは《霊殻の能力者》を率いる初老の男、飛弾である。彼は自らが持つ力の領域の内部に多数の成形炸薬弾を出現させていた。飛弾はケイジを含める隊長たちに指示を出し、この突如出現した漆黒のカルマをすかさず包囲する。能力者たちはそれぞれが作り出した光の球体を重ねあわせてカルマの動きを封じ込めた。

 拘束されて動けなくなったと思われたが、その場にとどまっていた漆黒のカルマは身震いすると、拘束なんて無意味だとばかりに軽々と飛びのけて見せる。ギャングたちは漆黒のカルマの動きを追い、次々と攻撃を繰り出していく。

 壮絶な攻防が繰り広げられている中で、ただ一人、ツカサの視線は床に釘付けになっていた。

 先ほどまで漆黒のカルマが留まっていた場所。その床面防壁のパネルがいつの間にか取り外され、内部のパイプも一部が無くなっている様子が露出していたのだ。


「まさか………あのカルマ、自分で破壊したのか?」


 間もなくして、機能不全に陥った床面防壁を中心にして不気味な色が溢れるように滲み出してきた。スラム街の下にはカルマが潜む汚染層が迫っている。間違いなくこの穴を通って別のカルマが侵入しようとしているのだ。

 鰐塚も床の破損に気づいたようで、腰を抜かしたように腐食した床にへたり込む。


「ふ、ふ……塞げ! 何を使ってもいい。とにかくその穴を塞げ!」


 鰐塚の叫びに我を取り戻したツカサとユイはとっさに周囲を見渡す。しかし廃屋の時のように都合よく溶接の機材を持ち合わせているわけではない。


「保管容器を分解しよう!」


 ツカサは先ほどまで作業を行っていた球体の金属容器に目を付けた。容器の外側に防壁と同じパーツが使われている以上、あの容器でも代用できるはずだ。何を使ってもいいのなら、今回は止められるいわれはないはずだ。





 ツカサとユイが容器に駆け寄ろうと走り出したその瞬間だった。


 背後からオレンジ色の閃光と衝撃波が襲いかかり、二人の体はなすすべなく吹き飛ばされた。

 もうもうと舞い上がる埃があたりに充満している。



 ツカサが体のあちらこちらに痛みを感じながら目を開けると、なんと床に開けられた穴から膨大な白煙が立ち上っている光景が目に飛び込んできたのだった。

 爆破されたのだ。カルマによって開けられた穴はさらに無残に広がり、もはや応急処置程度では修理が不可能な状態になっていた。


 ツカサが沸き立つ白煙を茫然と見つめていた時、漆黒のカルマを封じ込めるギャングたちがさらなる巨大な爆発音と共に吹き飛ばされる。その爆発の中心では漆黒のカルマが鎌首を持ち上げ、無数の目を明滅させていた。

 爆風で吹き飛んだギャングたちの残骸の中で人影が動いた。血で汚れたケイジが弱々しく上半身を起こす。遠くには飛弾に守られるように無傷の鰐塚が震えている。そして壁の凹みの下に突っ伏して動かないのはユイだ。爆風で壁に叩きつけられたのかもしれない。

 漆黒のカルマは動く気配を察知するようにケイジの方を向いた。

 腐肉の上にギャングの死体が転がる死屍累々の地獄絵図。まるで四年前の再現のようだった。


 ツカサは動こうとするが足に力が入らない。

 息もできない。

 圧倒的な死が目の前にあった。





「兄さん。」


 唐突に、ソラの声が聞こえた気がした。


「大丈夫だよ。……大丈夫。」


 寝言で聞いたソラのつぶやきが蘇る。これは怯えた心が聞かせた空耳かもしれない。




『……死にたくない。』


 ツカサの足に感覚が戻ってくる。


『死んだら……ソラが一人になってしまう。ユイもケイジも死んでしまう。こんなところで……死ねるか……。』





 ツカサは一人、立ち上がっていた。


「目の前で誰か死ぬのは……もう嫌だ!」


 ツカサは漆黒のカルマに向かい、声のかぎりに叫ぶ。


「こっちに来い!」

「ツカサ……やめろ! お前は戦えない……!」


 背後でケイジの悲痛な叫び声がこだまする。それでもツカサは保管容器に向かって走った。


「まだみんなが助かる可能性があるんだ!」


 この保管容器に入っている大規模防壁システム。それさえ使えば、この混乱の場を抑えることができるかもしれない。むしろその可能性に賭けるしかない。鰐塚の目的なんて関係ない。ここで助からなくては未来がないのだ。

 ツカサの声に反応したかのようにカルマが迫る。追いつかれるのも時間の問題だ。それでもツカサは走る。四年前に家族を見捨てて逃げた罪を雪ぐのは、宿敵が現れた今しかない。

 容器の蓋にツカサの手がかけられ、重い音と共に容器が開かれる。


「反撃はこれから……だ……。」


 ……そう叫んだツカサの全身に、どうしたわけか激痛が通り抜けた。

 漆黒のカルマにやられたとは思えなかった。まだ追いつかれていないのだから。


「……ツカ……サ。」


 ケイジが目を見開くようにつぶやく。その視線はツカサの顔ではなく、その横に向いている。ツカサはケイジの視線を追うように、ゆっくりと自分の左手に目を向けた。



 ツカサの左手は蓋をこじ開けた形のまま、真っ二つに裂けていた。


 左腕に浮かんでいた白いアザをなぞるようにツカサの腕の肉が裂け、内側から白く細長い物体が突き出してくる。骨と錯覚したものの、それは腕の長さのゆうに二倍は超えている。鋭い刃を持つそれは日本刀のようだった。


 全身を引き裂くような激痛に、ツカサの口からは絶叫が絞り出される。

 何が起こったのかツカサには分らなかった。なぜ唐突に腕が裂けているのか。そしてその中からなぜ刀が出てくるのか。



 そして更なる信じられない光景を見た。


 大規模防壁システムが入っているはずの保管容器からは粉雪のような粒子が噴出し、染みひとつない純白のローブに身を包んだ何者かが姿を現していた。明らかに写真で見たような機械とは姿が異なる。無数の糸が織り込まれて幾何学的な模様を描いたローブが陽炎のようにたなびき、目深にかぶったフードの奥の顔は全く見ることが出来ない。そのローブを身に纏った何者かは、周囲に吹雪のような空間を作り出して漆黒のカルマの腐食した領域を押しとどめる。






「……カルマ……なのか?」


 ツカサは声を絞り出すように問いかけるが、その者は何も答えない。不意にローブの隙間から手を伸ばし、ツカサの腕ごと刀を掴んだ。陶器のような皮膚と人形のような球体関節。明らかに人間とは異なるその手はツカサの腕の肉に食い込み、みるみると融合していく。





「……あっ……あっ………。やめろ……。やめてくれ……。」


 ツカサの腕の激痛が消え、吐き気がするほどの快感が脳を揺らす。


「……俺の中に………入らないで……くれ………。」


 ツカサの口からは悲鳴とうめきが混ざり合った枯れた声が吐き出された。

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