第二章 2 『忍び寄る危機』
真夜中にも関わらず、廃墟と化した工場跡地には煌々と輝く照明が灯されていた。貴重な燃料を消費しながら、発電機が低音を響かせ動いている。
すでにほとんどの設備が解体されて空っぽになった空間の中央。そこには管や機械が複雑に絡みついた金属の球体容器が置かれており、恰幅のいいヒゲ面の男がニヤニヤと笑みを浮かべながらその球体の表面をなでまわしている。
その金属の球体容器はカルマに襲われた廃屋に持ち込まれていた物だった。
「これがボスが欲しがってた奴か。俺の元に転がってくるなんて、俺も運がいいよなあ。なあ?」
野太い声で周囲に同意を求める男はギャングの中で頭角を現してきた幹部、鰐塚である。彼は軍とつながりを持つことで武器を調達し、軍隊と呼べるほどの一団を自分の手ごまとして作り上げるほどになっていた。
「ボスと軍のやり取りが鰐塚さんに筒抜けだったなんて、ボスも知らないでしょうよ。」
周囲の男たちがへりくだったように笑いあう。
「老いぼれは早く隠居させてやらねえとなあ。あんなモウロクジジイに街を任せてられねぇさ。俺たちが《こいつ》を有効活用してやろうじゃないか。」
そう言って鰐塚は金属の容器の表面に手を置いた。
「しかし、《こいつ》が運び込まれた途端に襲われたんだろう? カルマの侵入なんてただ事じゃねえ。……ひょっとして今も狙われてるんじゃねえか?」
「ひとまず今は大丈夫だ。俺の部下が厳重に見張ってるよ。下への見張りも抜かりなしだ。」
奥の暗がりから初老の男が顔を出す。鍛え上げられた肉体は服の上からでもその隆起を隠すことができていない。
「飛弾か。能力者の配備は十分か?」
「ああ、少しの隙もない。このまま当日まで見張りを立たせよう。………ところで、俺の部下が言うには、どうやら廃屋の件は人為的なもの。専門家でなけりゃ不可能な仕業らしいぜ。」
「やはりそうか。……組合は怪しいか?」
「さあな。ただ鰐塚にとっては都合がいいんじゃねえか? その玉、開けたいんだろ?」
飛弾の言葉を受けて、鰐塚はいやらしい笑みを浮かべた。
「そうだな。この街を恐怖に陥れようなんて悪い輩が組合にいる……かもしれない。そんな疑惑があるだけでも非常に残念なことだよなあ。………ただし、有能な技術者を差し出すっていうなら、許してやらんでもない。……確か、鍵開けで有名なガキ共が組合にいただろう?」
「ユイ、だったかな?」
「そうだ、思い出した。ユイとツカサとかいうガキ共だ。一年前のカルマ憑き騒動では随分と迷惑したもんだ。まさか《上の街》につながる扉を自力で開けたなんて、今でも信じられないぜ。……ちょうどいい機会だ。こき使ってやるとしようじゃないか。」
幹部同士のやりとりの様子を伺いながら、ケイジは顔を曇らせた。二人が指名されたのは想像通りではあるものの、それがツカサ達に苦痛をもたらすことは間違いないからだ。
飛弾がケイジの姿を見かけてゆっくりと歩み寄ってくる。
「もうすぐ戦争が始まる。その時にはケイジ、お前の働きには期待してるぞ。……お前の誓いを示すいい機会だ。組織のために尽くせよ。」
揺らめくろうそくの光に照らされながらツカサが黙々と本のページをめくっていると、書庫にユイがやってきた。
「随分熱心だけど、探し物?」
ユイはツカサの手元にコップを置く。その中に注がれていたのは代用コーヒーだった。本物のコーヒー豆ははるか昔に採れなくなったらしく、これは市場で出回っている乾燥大豆を焙煎して作った自家製品だ。香ばしさと優しい甘みがあり、代用と言われているがツカサの世代だとコーヒーと言えばこの味だった。
ツカサは固くなった首をほぐしながらコップを受け取る。
「この間、カルマが侵入した事件のことを話しただろ? ……そのとき見かけた機械、なんか見覚えがあって気になるんだよな……。なにかの本で見た記憶があるんだよ。」
「そう……。私も探そうか? 特徴を教えてくれればわかるかも。」
「あー……。確かにユイなら一発でわかりそう。」
ツカサが簡単な絵を添えて説明すると、ユイの目が一瞬だけ見開いた。
「《裏の本棚》に入ってる《富士》の研究文書に写真が載ってるよ。」
「あれか! ……確か、軍の施設で手に入れた資料……。」
ツカサは書庫の奥の本棚の前に立つと、棚のひとつを手前にずらす。すると奥に隠れている狭い空間が口を開いた。そこにはさらにいくつかの本棚が並んでいる。本棚にぎっしりと詰め込まれたバインダーには防壁や高層都市に関する見出しが手書きで記されている。
この隠し棚はソラにさえ教えていない、ツカサとユイだけの秘密の隠し場所だった。この棚に隠している資料は仕事のつながりで入手した物も多いが、中には軍事拠点に侵入した時に入手した資料も含まれている。スラム街は治安が決してよくない上に、明らかに重要なことが書かれている資料は軍に奪われかねない。まともな手段では研究の道を歩めない二人にとって、何よりの宝である資料を隠すのは当然のことだった。
特殊なメディアに記録されている資料などはスラム街で入手できる機械で読み取ることが出来ないので放置してあるが、もう一度軍の施設に侵入するなんてあまりに危険であるため、残念ながら完全に宝の持ち腐れだ。
「あれ? ユイ、最近ここの資料を読んだ?」
「ううん。そこに入ってる内容は全部覚えてるし、しばらく開けてもないよ。……どうしたの?」
「……いや、防壁のマニュアルが一冊ない気がして……。うーん、どっかに出したっけな……?」
ツカサは心に引っ掛かりを覚えながらも、本棚から一冊の分厚いバインダーを取り出すと、速やかに本棚を隠した。
「後ろの方の……《大規模防壁システム》の項目……。」
ユイが紙をめくっていくと、確かにツカサがゴミ集積場の廃屋の中で目にした球体状の金属容器の写真が掲載されていた。写真の下には《システムの中枢素子の保管容器》と記載されている。その横には《システムの中枢素子》の写真もあった。多少見た目は異なるが、防壁の内部に使われている機器とよく似ている。
写真の周辺に書かれている記載をつまみ読みした感じだと、この《システムの中枢素子》とやらを使うことで、この一基のみで高層都市の数十フロア分の防壁を維持できるという……なんだかよく解らないが凄そうなものだった。従来の防壁に使われている装置と同じ規格で作られているので、装置の入れ替えだけで効果があるらしい。この資料が書かれた当時、高層都市 《富士》で実用化され、周辺の都市にも配備中だったらしい。この《天城》のどこかにもすでに配備されている可能性は高い。
「……よくわからないな。」ツカサはつぶやいた。「読んだ感じだと高層都市の守りに必要なものみたいだけど、なんでギャングが持ってるんだろう。」
しかし、ユイは何か腑に落ちたようにツカサの隣に座った。
「そうか……それを開けさせたいのね。」
「……? どうしたんだ?」
ユイはとても真剣な顔でツカサを見つめる。
「軍から技師組合に勧告書が突きつけられたの。高層都市維持規約に対する重大な違反。故意による防壁の破壊の可能性と調査について。」
「は?」
「ゴミ集積場の防壁の人為的な破壊の可能性……これはツカサから聞いた話のことだよね。メンテナンスに詳しい人間の仕業かもしれないっていうことで……。」
「それだけ? 証拠もなしに、技師組合にいきなり勧告書が出されたってことなのか?」
ユイはその問いに答えることなく深いため息をついた。
「……ユイは、さ。組合の職人たちがそういうことをすると思うか?」
「思いたくないよ。」
ユイは机に目を落として視線を泳がせている。
「……でも、実際にギャングを憎んでる人は大勢いる。ツカサも少し思い出しただけで何人も思い浮かぶでしょう?」
そう言われてしまうと、ツカサも想像せざるを得なかった。カルマ憑きになったとはいえ息子を殺されたリョウタの親父さん、それに恨みとは違うがミツルも怪しくはある。
「……軍は組合に技師の取り調べを要求しているの。技師が連行されれば、このスラムを維持する人がいなくなる。」
「そんな不条理があるか!」
ツカサは声を荒げて立ち上がった。
ユイは「しーっ」と口の前に指を立てる。
「ソラ君が起きちゃうよ。……さっき寝付いたばかりなんだから。」
ツカサはユイの仕草に気勢を削がれ、椅子に座りなおす。
しばらくの沈黙のあと、ツカサは手元に開いている《システムの中枢素子の保管容器》の写真に目を落とした。
「そういえばさ。この容器を開けさせたい……とか言ってたけど、どういうことなんだ?」
「とある厳重なロックを解除してほしいっていう依頼がギャングから組合にあったの。」
「……その《厳重なロック》というのが、その《保管容器》ということか。」
「おそらくね。……鰐塚さんからの直接の依頼よ。鰐塚さんは軍とのパイプを持っている。今回の問題もいいように取り計らってくれるつもりらしいわ。……ただし、技師をギャングに提供することを引き換えに。」
ユイは自分とツカサを交互に指さす。
「……ツカサと私を指名して、ね。」
「……なんだよ、それ……。提供?」
「うん。………しかも仕事に指定された日がちょうど組合の集会の日っていうのは、嫌がらせ以外の何物でもないよね。………せっかく集会で使う議案書をまとめたのに、このまま工期が遅れると居住区の環境がいつまでたっても良くならないなあ………。」
頭を抱えるツカサ。ギャングの仕事を手伝うどころの話ではない。身を売れと言われているのだ。鰐塚といえば強引なやり口と暴力に訴えることで有名だ。何の仕事をさせられるかなんてわかったものではない。
「この仕事、受ける以外にないと思う。組合どころかこの街を楯に取られてるのと同じだもの。」
ユイがつぶやいた時、書庫の扉がゆっくりと開いた。
「ユイ姉の言う通りだと思うよ。」
そこにはろうそくの光に照らされるソラの姿があった。
「……聞いてた……のか?」
「兄さん、うるさいんだもん。」
ソラは壁にもたれかかって真剣な顔でツカサを見つめる。
「難しい話は分からなかったんだけど、ギャングの奴らが悪いことを考えてて、巻き込まれそうだっていう話なんでしょう? ……僕もギャングは嫌いだよ。でも、鰐塚に目をつけられた時点で逃げられるはずはない。ホノカちゃんの件、忘れたわけじゃないでしょ?」
「ホノカちゃんの…………。ああ。忘れるはずがないよ。」
ホノカとはケイジの妹のことだ。カルマに憑りつかれた末に、妹をかくまったケイジは卑劣な交換条件を出されてホノカを軍に差し出さざるを得なかった。
「……あれだけギャングを憎んでいたケイジさんが、結局は鰐塚の言いなりになるしかなかったんだよ。……あんな酷いことになるぐらいなら、大人しく従った方がいいと思う。」
「ソラ……。お前、たまに妙に大人っぽくなるよな。……友達かなんかの影響か?」
体はいつまでも小さなままなのに、いつの間にか随分成長している。
「伊達にこの街で暮らしてるわけじゃないからね。……それにさ、今回の話はむしろチャンスかもしれないよ? 兄さんも、内心は少し興味があるんじゃない? 手を汚さずにギャングに入るチャンス。……ギャングを通じて軍のことを知るチャンスなんだもん。」
ソラの言葉にツカサは頭を抱える。
ユイとソラは強制しているわけではないが、確かに断るという選択肢があり得ない。それほどに鰐塚はどんな手を使ってでも目的を達成しようとする男なのだ。
それに、ソラの言葉は実のところ図星だった。カルマを研究しているに違いない軍の研究機関。そことのつながりを持っている鰐塚という男。これは確かにツカサが夢に近づくチャンスかもしれないのだ。『欲しい物があるなら自分で動け。』とケイジは言った。動くのは今かもしれない。
ツカサは自分が情けない顔をしているのだろうと自覚しながらユイとソラの顔をみつめた。
「俺……やるよ。」
そんなツカサにユイは拳を握ってみせる。
「大丈夫。ツカサが危なくなったら私が戦うから! 人間相手ならなんとかなるよ。」
「はは、お手柔らかに頼むよ。」
ツカサは不安げな顔で、冷めきった代用コーヒーを飲み干した。
ツカサはいつものように寝付けないでいた。
眠るということは無防備になるということだ。眠っている間にカルマに襲われないだろうかと考えずにはいられない。天井に覆われたスラム街の夜に月が出ることはなく、どんな闇よりも暗い。目の前に広がる漆黒の世界が両親を殺したカルマになってすべてを飲み込んでいく妄想に、どうしてもとらわれてしまう。
高層都市を隙間なく覆う防壁は確かにカルマの侵入を阻んでくれているらしい。しかし、スラム街よりも厳重に守られていたはずの故郷の街は、突然現れたカルマによって滅ぼされた。明日が無事に迎えられるという保証はどこにもないのだ。
「大丈夫だよ。……大丈夫。」
寝ぼけたようなソラの声。寝言なのかもしれない。隣で眠っているソラがツカサの手を優しく握る。その温もりがツカサに生を感じさせてくれる。
ソラはいつも穏やかに眠っている。
『兄貴としての面目が立たないな。』
ツカサは自嘲気味に目をつむった。
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