第一章 3 『もう逃げたくないと誓ったはずだった』

 ケイジはすでに防壁の破損個所の目星をつけていたようだ。


 蠢いている多くののカルマ憑きを無視して、目的地へ一直線に駆けてゆく。ときおり敵が立ち塞がることがあっても、黒服の男たちは超常の力を振るって次々とカルマを撃破していく。

 ツカサはその力を間近に感じ、恐怖も忘れて魅入られていた。

 彼らは自分を中心に淡く光るような球体を生み出し、その球体の内部に武器らしきものを出現させてふるっている。小さなナイフのようなもの、鳥の羽毛のようなもの、たくさんの宙に浮かぶ小人のようなもの……武器と言ってもそれぞれに全く異なる何かを自在に操っている。その中でもケイジが繰り出す鉄塊は強大な剣を思わせ、ひときわ力強さを感じさせていた。こんな力が自在に使えるのなら、ミツルでなくても欲しくなるに決まっている。ケイジはこんな力を持っていなかったはずだから、後天的に力を得る手段があるのは確からしい。


「本当に直せるのか? 防壁の技術は軍の機密っていう話だろう?」


 黒服の男の一人がツカサに問いかける。

 確かにその疑問は正しい。防壁はただの鉄の塊ではない。内部は複雑に入り組んだ構造であり、スラム街のエンジニアに可能なのはパーツの交換や外装の補修、パイプの穴をふさぐ程度である。重要な装置が壊れていた場合はお手上げなのだ。


「とにかく状態を見ないと何とも言えませんよ。」


 今のツカサに言えるのはそれが精いっぱいだった。


「そういえば……。」


 ツカサは前方を走るケイジの背中に語りかける。


「どうして破損個所が見つけられたんだ?」

「見ればわかる。………さあ、そう言っている間に到着だ!」




 目の前に広がった光景は、確かにケイジが言う通り一目瞭然の異常事態だった。

 ツカサ達の周囲がカビに覆われた世界に包まれたと同時に、コンテナが並んだ広い廃屋の床面から巨大な芋虫が顔をのぞかせている。この芋虫の形をした巨大なカルマのテリトリーに入り込んだせいで、否応なしにツカサの意識がその姿かたちを感じ取ったのだ。


「確かに見ればわかるな。……カルマは絶対に防壁を通り抜けられない。床面防壁を貫通しているように見えるっていうことは、ここに穴が開いている、ということか。」

「そういうことだ。……そんで、こいつはおそらくデカい図体が通り抜けられなくて詰まっていやがるっていうことだ。間抜けなもんだぜ。」


 ケイジは目の前の脅威を警戒しながら、ツカサを横目に見る。


「ツカサ。無理に連れてきて悪かったな。ここ、久しぶりなんじゃないか?」


 廃屋の内壁には消しきれていない拙い落書きがまだ残っていた。それはかつてこの廃墟に隠れ住んでいた孤児たちが描いた生活の痕跡だ。ゴミ山の下に廃墟が埋もれていることを見つけたケイジがツカサとユイに補修を依頼したことがきっかけとなり、ツカサ達もしばらくここで暮らしていた。一年ほど前に衛生面や安全面での問題に気づいた軍によって没収されたあと、いつの間にかギャング達の根城として使われるようになっていたのである。


「……いいよ。今は感傷に浸ってる場合じゃないからな。」


 ケイジの申し訳なさそうな表情に向かって頭を振り、ツカサは目の前のカルマに集中する。

 カルマはテリトリーに獲物が侵入したことを感知して無数の虫を吐き出しはじめる。ケイジをはじめとする黒服の男たちが即座にそれぞれの体から淡く光る球体を出現させると、その球の内部に入り込んだ虫は動きがたちまちに鈍くなった。


「このデカブツを排除したら、ツカサはすぐに防壁を確認してくれ! こいつを倒した穴から別のカルマが出てくるだろうが、俺たちが蓋をつくるから急いでくれよ!」

「相変わらず無茶を言う……。」


 もし修復できない穴だったらどうすればいいのか。

 ツカサが躊躇するのも気にせず、ギャングたちは腰のカバンから取り出した注射器を自分の腕に差し込み、真紅の液体を注入していく。すると彼らが体にまとう球体の光は強まり、力が充填されていくことを感じさせた。




 ケイジの部下たちが虫の動きを抑え込んでいる隙に、ケイジは自らの周囲に無数の金属片を出現させる。その金属片はみるみる寄り集まり、巨大な一振りの剣と化した。

 ケイジの叫びと共に猛烈な勢いで射出される剣。巨大な芋虫の中心に突き刺さったと同時に無数の棘と化し、芋虫の内部に詰まった虫の群れを次々と貫いていった。


「さすが隊長!」


 ギャングたちがはやし立てるが、ケイジはいぶかしげにカルマの残骸をにらみつけている。


「……手ごたえが無さすぎる。まるでがらんどうだ。」

「隊長が張り切りすぎたんすよ!」


 ケイジは腑に落ちない顔で押し黙るが、すぐさま床に向かって手を伸ばす。すると光の粒子のようなものが床面に集まっていった。これがおそらく《蓋をする》ということなのだろう。


「ツカサ、邪魔物は始末した。すぐに見てくれ。」

「あ……ああ。分かった。」





 ケイジの表情に不安を覚えながら、ツカサは素早く床のパネルをこじ開けた。分厚い鉄板をめくりあげると、内部の複雑な構造が見えてくる。似たようなパイプが狭い空間に押し込まれ、いくつものタンクや金属容器につなげられている。それは例えれば人間の腹を開いた時の臓器の様相を思い出させる。

 急いで全体を確認していくと、パイプの隙間に血のように赤い液体が漏れ出していた。間違いなくこれが原因だ。溶液が漏れ出すことで装置全体が機能不全に陥っているようだ。



 ただ、猛烈な違和感がツカサを襲った。


「自然な腐食でも破損でもない……!」


 あったはずのパイプの一部が取り外されて失われている。専用の器具を使わないと外せないはずなので、素人にできるはずがない。しかも複雑に入り組んだ装置の奥である。わざわざ上の装置を取り外してから壊し、再び元通りに装置を入れたのだろうか。


「どうしたんだ?」ケイジが問いかける。

「……訳が分からない。……だってスラム街で機材を管理してるのは技師組合だけのはず。」


 その時、作業を進めるツカサの首筋に冷たい金属が押し当てられた。ギャングの一人が銃口を押し当てているのだ。


「それはつまり、技師組合の人間が怪しいってことだろう? この区画が俺たちギャングの根城だってわかっていて、こういうことをしたんじゃないのか?」


 ツカサの脳裏にはミツルの顔が思い浮かぶ。そういえばミツルは最近、防壁点検としてこの集積場近くに来たと言っていた、それに、誰がギャングに恨みを持っていてもおかしくはない。


「やめろ。ツカサを問い詰めて何になるんだ。それに、専用の道具が必要だって言うんなら、それは防壁を製造してる軍だって怪しいだろう? 軍も一枚岩じゃないんだ。俺達を邪魔に思う奴もいるだろう。」


 ケイジは部下を諌めると、ツカサに向き直る。


「……それで、ツカサ。どうなんだ? 直せるのか?」

「………パイプを取り付けて、こぼれ出た溶液を補充すればなんとか……。ただ、代わりの部品なんて手元にないし、溶液も型が合わないと意味がないんだ。」

「お手上げってことなのか?」


 その問いに応えずに、ツカサはとっさにあたりを見回す。暗がりの中で代わりになるような何かを探そうとした時、巨大な金属の容器が部屋の隅に鎮座しているのを見つけた。人が一人ぐらい入れそうなほど大きな球体で、周囲にパイプが張り巡らされている。


「ケイジ、あれは使えるか? 部品は防壁に使われている物と同じだし、使えるかもしれない。」

「ダメだ。」ケイジの目が鋭く光った。「……あれは俺の判断でどうこうできる物じゃない。」

「そうか………。」


 部品の規格が同じものを流用できた方が手っ取り早かったのだが、難しいとなれば仕方ない。時間がかかってしまうが、この場で可能な範囲の応急処置を行うほかない。


「使えそうな配管を溶接して、周りの防壁から少しずつ溶液を集める。多少時間がかかるがなんとかできると思う。」


 溶接の機材の貸し出しを受けていたのが幸いした。本来やるべきではないのだが、正規のパーツと入れ替える間の処置としては最善だろう。


「ひとまず建物の配管を外して拝借するけど、そのぐらいはいいよな?」


 ツカサはケイジの同意を得て倉庫の壁際に向かう。自分で修繕した建物なのでそれなりに状態は把握していた。ケイジも部下にツカサの護衛を命じ、部下はツカサを追いかける。





 その時だった。周囲が瞬く間にカビで覆われ、部屋の隅の暗がりから無数の虫が飛び出してきた。死角にカルマが潜んでいたのだ。

 ギャングの男はとっさにツカサを突き飛ばすと、自分の光の領域を広げて防御しようとする。しかし虫の動きはその動きを上回っていた。


 激しい苦痛の声が廃屋の中に反響する。


 彼の両腕は一瞬で喰らい尽くされ、その腕の断面に無数の虫が入り込んでいく。男の体は立ち姿のままで異常に痙攣し、ついには体を突き破って巨大な芋虫が姿を現した。


「まさか……。あのデカブツの中身……なのか?」


 巨大な虫のカルマは威嚇するように頭を持ち上げると、床の穴を塞ぐことで手いっぱいになっているケイジたちに襲い掛かる。

 ケイジはとっさにカルマに向かって手のひらをかざすが、何も起こらなかった。


「こんな時に……薬が切れやがった………!」


 いつも冷静なケイジの顔に明らかな焦りが浮かぶ。彼らが使う特殊な力には何らかの制限が存在するようだ。ケイジは薬を取り出そうと腰のカバンに手を伸ばすが間に合わない。

 他のギャングたちもとっさにカルマに向かって手をかざすが、彼らの体を覆っている光もすぐに消失してしまった。




 無防備になってしまったケイジたちに襲いかかる虫の群れ。それが、ツカサの目にはまるでスローモーションのように感じられていた。

 親友の死がありありと想像できてしまう。圧倒的な絶望に膝が震える。自分だけでも早く逃げろと臆病さが顔をもたげる。ツカサの足は勝手に後ずさった。



「……嫌だ!」


 ツカサは叫びと共に臆病な足を殴った。


「逃げるのは、もう嫌だ……!」



 そこからのツカサの行動は全くの無意識だった。


 せめて親友を守る盾になろうと地面を強く蹴って飛び出していた。

 こんなことをしてどうにかなるわけがないのに、ツカサはケイジたちと同じように手のひらをカルマに向かって伸ばし、強く願った。



 『護りたい』と。



 その瞬間、ツカサの目の奥が火花が散ったように瞬き、左腕に鋭い激痛が走った。

 そしてツカサの目にはほんの一瞬だけ時間が止まったように見えた。


 たった一瞬。しかし確かに虫のカルマは停止した。



 ケイジにとっては、その予想外の一瞬で十分だった。すでにケイジの腕に差し込まれていた注射針を通して、彼の体内に赤い薬剤が注入される。膨大な光が湧き上がり、ケイジの周囲に出現した鉄塊がカルマに撃ち込まれていく。


 巨大な虫のカルマの結末は確定的に明らかだった。

 投薬によって復活したケイジの力によって、残骸も残らず消滅したのだった。

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