壱 食べ物ではありません①
「ミルクティー」
実美は必ず最初にこれを頼む。
夏でも冬でも甘めのアイスミルクティー。
昔一度だけ、ホットのミルクティーを渡したことがあった。とても寒い日で、実美はマフラーをぐるぐる巻きにして震えていたから。しかし彼女は手を暖めるだけでいっこうに口をつけなかった。飲み始めたのはだいぶ冷めてからだ。今なら得心がいく。彼女は猫又。つまるところ猫舌なのだ。
ここにはそういう特殊な客がたまにいる。
「先輩、そういえばなに作ってるんですか?」
いつものカウンター越しに実美が私の手元を覗き込む。
平日の昼下がり、有給消化で暇を持て余しているこいつ以外に客はいない。
「いなり寿司」
カフェでいなり寿司もなにもあったものではないが、おそらく今日はあいつが来る。特殊な客のひとりだ。
「いなり……今日“
「ああ、そうだ」
「来るんですか?」
「知らん」
来てから文句を言われても面倒なだけなので用意する。
あいつは月に一度だけ訪れて必ずいなり寿司を頼む。日にちが決まっているわけではないが午の日であることは確かだ。
「わかんないのに毎回よく作りますね」
「来て無かったら煩いからな」
初めは「無い!」と言い張っていたのだが、何度言っても必ず開口一番にいなり寿司を頼み無いと告げると小一時間は文句を垂れて面倒くさいことこの上ないので、午の日にはあいつのためだけにいなり寿司を作り特別料金で出している。
ただ、先にも述べた通りあいつは毎度来るわけではないので午の日限定裏メニューとして常連客には提供している。
「そもそもなんで午の日なんですか?」
「さぁ?初午に稲荷神社へいなり寿司をお供えする風習は確かにあるが、毎月というのはな……」
はっきり言ってよく分からない。
いなり寿司を作り終え、実美とくだらない話をすること数刻。
「~~!!」
「~~?」
店の前から大きな話し声が聞こえてきた。そして多少乱暴に扉が開く。
「だからってなんで今日なんだよ!」
「なんでもなにもたまたま今日が暇だったからとしか言えないんだけど」
「お前らうるさい。もっと静かに入ってこられないのか」
入ってきたのは二人。ギャーギャーうるさい金髪ヤンキーとアルビノのインテリ眼鏡。二人に共通して私にだけ視えているもの、大きめの三角耳とふさふさの尻尾。しかもインテリ眼鏡の尻尾は九つ。
「雪穂さんご無沙汰しています」
インテリ眼鏡が朗らかな笑顔で挨拶をしてくる。
「テメー雪姉に軽々しく話しかけんな!」
お前こそ軽々しく呼ぶな。と何度か言ったが無駄だったな……と溜め息をつく。
「九尾さまが来るなんて珍しい」
「おや、猫のお嬢さん、お久しぶりですね」
「確かにあんたが来るのは珍しいね
「コン太じゃなくて
これはお約束なのでスルー。
光太は妖狐、久音も妖狐だが格のちがう九尾の狐っと呼ばれるやつだ。そもそも九尾は美女ではなかったか?と伝承伝説の知識をもとに以前聞いたら、女の姿はもう飽きたという回答をいただいたのでどうやら性別は自在らしい。
「ちょうど仕事が落ち着いたので雪穂さんとお話がしたいと思いまして」
久音の齢は千を越えるらしいのだが、何が楽しいのか“人生”を幾度となく送っていると言う。人相人格、その時々自ら設定した役に成りきり中高生辺りから定年位までを律儀にきっちり過ごしているとか。
ちなみに光太と実美は妖化して初めての“人生”で、それまでは気の向くままに人に紛れて遊ぶ程度だったとか。どこで心境の変化があったのか聞いたような気はするが、忘れた。
「相変わらず忙しそうだな」
光太は私が中学の時に隣に引っ越してきた二つ下の後輩。挨拶早々懐かれて鬱陶しかった記憶しかない。久音は同い年で姉妹校の生徒会長。私も生徒会員だったこともあってか合同行事の度に話しかけてくる変なやつだと思っていた。そういえば昔から光太は久音に突っ掛かっていたが、今思えば年上どころか格が違うのによくあんな暴言吐いてて光太無事だなと感心さえ覚える。
「そうですねー、社長がもう少しおバカさんなら楽なんですが如何せん優秀で」
なんだかとても楽しそうだ。こいつの力があれば会社くらいいくらでも自分で立ち上げられそうだが、自分でやるより裏方に徹している方がなにかと都合がいいとかで今は新進気鋭のIT企業の社長秘書をしている。
「そーんーなーこーとーよりー!!」
光太が話を遮るように声をあげる。子供か。
「いなり!」
「子供か」
わざわざ声に出したのは実美だ。
実美と光太は高校時代クラスメイトで事あるごとに競っては結果を聞かされた。敗者の言い訳と共に。
「誰がこどもだ!」
「あんた以外誰がいるのよ」
「相変わらず仲良いね」
「「よくない!」」
息がぴったりだ。
「ほら、いなりだ。黙って食え」
光太の目の前に3つのいなり寿司を乗せた皿を差し出す。それを奪い取るように引き寄せると目をキラキラさせながら頬張りはじめた。
「わざわざ先輩にこんなもの作らせて、ほんとあんた何様なの」
「うまいんだぞ!」
「当たり前でしょ」
「黙って食えといっただろ」
怒られた!と実美を睨むが彼女は素知らぬ顔で明後日の方向を向いてる。
「午の日にわざわざいなり作ってるって本当だったんですね」
「久音も食べるか?」
「いただいてよろしいのですか」
よろしいもなにもいただく気満々の顔をしているじゃないか。
「あー!」
またしても光太が大声をあげる。いい加減出禁にしてやろうか。
「うるさい!」
「しいたけ入ってる!」
「だからなんだ」
今回は五目いなりにしたのだからしいたけくらい入っていて当然だろ。
「オレしいたけ嫌いなのに」
「知ってる」
知ってはいたが来るか来ないかわからんやつの好みに毎回合わせるのも飽きたので勝手に五目にした。
「嫌なら食べなくていい」
「光太が食べないならあとはあたしがもらいます」
実美が嬉々として手をあげる。
「五目いなりは贅沢なんですよ光太。ましてや雪穂さんのお手を煩わせていながら好き嫌いとは感心しませんね」
久音はわざと咎めるような響きをのせる。
「なっ…!食べないとは言ってない」
それ以上の反論の言葉が出るわけもなく、いなりを口に詰め込んで押し黙る。
「そもそもなんで毎月午の日なのよ?」
「午の日はいなりを食う日だろ!」
「え?!」
「ん?」
「……」
実美の問いに光太が当たり前のように返すが、久音が驚きを見せたことで一瞬の沈黙が生まれる。
「……午の日はいなりの日だろ?」
「……光太、ちなみになぜ午の日がいなりの日だと?」
ひとまず私は二人の会話を静観する事にした。
「オレが妖狐になったばっかりの時にちょっとだけ世話になってた神社があったんだけどさ……いつもお供えものに手出したらめっちゃ怒られたんだけど、いなりだけは怒られなかったんだ。怒られると思ってたから逆に驚いて聞いたんだよ。なんで怒らないんだ?!って」
こいつの昔話なんて初めて聞く気がする。なんだかとても微笑ましい。そして、こいつが言わんとすることが何となくわかった。おそらく他の二人も……。
「今日は午の日だからな!って言ってた!!」
「だから午の日はいなりが食べれると?」
「そうだ」
すごいドヤ顔の光太に対して久音は頭を抱えている。
「光太、念のため伺いますがそれは2月ではありませんでしたか?」
「なんでわかったんだ!?」
むしろなんでお前はわからないんだ。
「光太」
「なんだよ」
「それは確かに午の日ですが、特別な午の日です」
「へ?」
「初午といって稲荷神に五穀豊穣を祈る祭日を指します。その際にいなり寿司をお供えする習慣のある地域もあります。おそらく光太がお世話になったのもそういった地域の稲荷神社だったのでしょう。我らのなかには稲荷神にお仕えするものや、信仰の変化のうちに神狐として崇められるものもいますから、その流れでおこぼれを頂戴したのでしょうが……」
「ハツウマ?ゴコクホウジョウ???」
おバカな光太は真意も知らず午の日だからという言葉だけでこの数十年、毎月午の日を調べていなり寿司を求めていたわけだ。
「いなり神?いなり寿司の神様がいるのか!?」
「コン太、お前……」
バカすぎて眩暈を覚える事案だ。
「あんた幼稚園児からやり直した方がいいわよ」
「それ以前によくここまで人間界で生きてこられましたね」
そんなことは知りません! 紅咲 @k0usaki
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