出現! 恐怖のドッペルゲンガー!⑥







「スマホがなくなったって、…………それは大変だね」


 彼女は、喜納きのう杏夏きょうかさん。うちの大学の心理学部所属で、俺と同じ二年生。構内に併設された付属校からエスカレーター式にあがってきたそうだ。勉強が大の苦手なので、自習のためにこの図書館をよく利用しているらしい。

 付属校からうちに入学してきたということは、勉強が苦手という話は謙遜だけではないのだろう。

 なぜなら、実は、偏差値的には付属高校のほうがずっと高いからだ。

 するとどうなるかと言えば、高校卒業後の進路を、よその国公立や難関私立に定める生徒が多くなるということ。

 つまり、エスカレーター式に上がってくる生徒は、悪く言ってしまえば、落ちこぼれの部類なのである。付属高校に通う生徒は、何となく俺たち学生をさげすんでいる気さえする。

 喜納さんも付属校時代はあまり成績が良くなかったのかもしれない。


 さて、話を戻そう。

 一通りの自己紹介を終えたところで、俺は何を血迷ったか今回の事件について喜納さんに話し始めていた。

 コミュニケーション能力皆無の俺が、今日知り合ったばかりの人に、自分自身にも意味不明な事件の話をするとか正気の沙汰ではない。

 しかしながら、誰かにこの話をしたくて堪らなかった。そして、喜納さんなら笑いながらも真剣にこの話を聞いてくれると直感的に思ったのだ。


「家には伊勢くんのそっくりさんがいるのね」


「そ。信じられないだろうけど――」


「信じられないような話だけど、…………」


 喜納さんはペットボトルのお茶を一口飲むと、さらに続けた。


「私は信じるよ」


 俺たちは場所を変えていた。混みあってきた学習室で、勉強もせずにずっと会話しているのは良心の呵責に耐えられなかったのだ。

 現在は図書館一階の飲食可能なブースにいる。ここならば多少の会話はまったく問題にならない。


「え!? 信じるの!?」


 自分で言っておいてなんだが、彼女が信じてくれるなど欠片も思っていなかった。


「だって、作り話にしてはオチもないし、そもそも今日出会ったばかりの私にそんな支離滅裂なこと言う理由もないし――」


 彼女の視線は俺の足元に向かう。


「実際に、そこに大きなバッグだってあるしさ」


 宿無しの俺は、常にこの80Lサイズのスポーツバッグを携帯していた。スポーツサークルの合宿に持っていくほどの大きさがある。これを平日の大学に持ってきているというのは、確かに異常なことに違いない。


「ありがとう! で、実はこの先どうすればいいのか、さっぱりで――」


 そう言ったそばから、これは失敗だったと悔いる。まだ知り合いになれるかどうかさえ怪しい段階で、これほど乗りにくい相談をする馬鹿がどこにいる。

 事件にまったく関わっていない彼女に、この奇天烈な現状のアドバイスを請うたところで…………。


「…………ええと、伊勢くんはどうなりたい感じ?」


 ほら見ろ。喜納さんも八の字眉だ。

 俺みたいな生きている意味も価値も見出せない男のことで、とことん魅力的な彼女を困らせるものではない。


 彼女はスマホを鞄に隠しながらそっと確かめた。友人や恋人からの連絡だろうか、それとも俺との会話をそろそろ切り上げたいという暗示だろうか。


「……あ、ああ。ごめん。自分でも深く考えてないのに、人に答えを求めるなんてズルかったよ。忘れてくれ」


「そ、そっか。…………あっ、じゃあそろそろ私行かないと――」


 ほら見ろ。喜納さんもお帰りだ。

 俺みたいな生きている理由も証明も覚束ない男のことで、ますます魅力的な彼女の時間を奪うものではない。


「あ、あの、これ――」


 落ち込んでいる俺の手元に一枚の紙が置かれる。

 それは、花柄のかわいいメモ用紙。

 携帯電話の番号が書いてある。


「携帯なくしたってことだから…………。もしまた何かあったら連絡してほしいな。あっ、あと平日はよく図書館にも来てるし――」


 ああ、なんて出来た子なのだ。社交辞令まで弁えているとは。

 この番号に電話をしたが最後、俺は軽蔑されるに決まっているのだ。


「…………ありがとう。じゃあ、また」


「うん。またね」


 嬉しいのか悲しいのか、自分にも判断つかない複雑な感情で彼女の背中に手を振った。

 淡い奇跡みたいな甘い時間はあっという間に過ぎ去った。

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