出現! 恐怖のドッペルゲンガー!⑤
◆
手に入れたものは大きめのスポーツバッグに数日分の衣服、そして先ほど口座から引き落とした四万円の生活費。
銀行のキャッシュカードは問題なく使えた。これならば、保険証や学生証も使えるとみて間違いないだろう。
今日も同じネットカフェで夜を明かすことになりそうだ。
アルバイトのシフトが入っていた日だったが、行かなかった。それは俺の部屋で悠々と暮らしているもう一人の俺が行くべきである。スマホを失ってしまった自分には、色々と不都合がある。といくつか言い訳をして、初めてアルバイトを無断欠勤した。
そして、明くる日の水曜日、足は自然と大学へ向かっていた。
もちろん講義に出席するのが危ないのは分かっている。昨日バッティングしなかったことはかなり幸運だった。
ドッペルゲンガーという自分の分身が現れる超常現象では、本人がそれに出会ってしまうと死んでしまうらしい。
昨日ネカフェで簡単に調べてみると、そういうものらしかった。
これからについてゆっくり考えたい。分身してしまった人間を戻す方法を探さなければならないのだ。そこで選んだ場所は、入学以来たった一度しか利用したことのない図書館だった。
ところで、うちの大学図書館はご立派な外観をしている。二年前に建て替えられたためか、意匠が凝っており、新品の模型のように光り輝いている。その様はまるで白亜の宮殿のようで、入学直後は、構内に美術館が建てられているのかと驚いたものだ。蔵書数や中の広さだって、公立図書館に引けを取らない。
また、この図書館を利用しているのは大学の学生だけではない。
うちの大学には併設する付属高等学校が存在する。その高校の生徒もこの図書館を利用しているのだ。そこで一部の紳士たちは、女子高生との出会い目当てに通っているとかいないとか。
図書館を選んだ理由は主に三つ。
一つは、お金がかからないこと。もう一人の俺との生存競争、もとい存在証明戦争がどれほどの期間続くのか不透明である。今は無駄遣いできないのだ。
二つめは、学生証が今も有効であるか確認できること。入館には学生証をカードリーダーにかざす必要がある。俺がこの大学の学生であることの裏づけとして、最も簡単だと思った。
三つめは、俺がいないこと。先述のように、俺は入学以来一度しかこの図書館を訪れたことがない。もう一人の俺だって、荘厳な雰囲気に呑まれ、近寄りがたいと感じているはずだ。ここならば、出会う心配はほぼない。
館内は平日の昼間とあってか、比較的人が少ない。
これならば、自由に席を確保できそうだ。
読む気もない適当な小説を数冊選び、二階にある学習スペースに向かった。そこにはガラス越しに構内を眺めることができるカウンター席が設けられている。見晴らしの良いカウンター席がお気に入りである俺には、あそこが特等席なのだ。
学習スペースに着いてみると、その特等席は他の席に比べ人気のようだった。それもそうだろう。学習スペースは名前の通り、自習する学生や生徒が利用するところだ。大テーブルで顔を突き合わせてするよりも、一人用の席で落ち着いて勉強したいに決まっている。
なんとか右奥端の席を確保した俺は、一息つく。
さて、これから何をするのが正解なのだろうか。昨晩からずっと考えている話だ。きっと、このまま一人で考えても上手な答えは導けそうもない。とはいえ、自分が分裂して二人になってしまったときの対処方法なんて、誰に相談したらよいものか。
それから、うだうだと本のページをめくっては碌に読みもしないという無為な時間を過ごしていたところ、
――ゴトッ
隣の椅子が引かれ、誰かが座った。
横目で見ると、どうやら女子のようだ。セミロングの髪を肩にかけ、春らしい桜色のカーディガンを羽織っていた。
こういうとき無性に嬉しくなるのは自分だけだろうか。
なんというか許された気分になるのだ。数ある席の中から俺の隣でいいやと思ってくれた、それだけで大満足なのだ。もしそれが、ほかのカウンター席が空いていなかったから仕方がなく、でもいい。
人生で一度としてモテた経験のない俺からすれば、女子は総じて俺のことを気持ち悪いと思っているのだと信じている。
だから、大抵の女子は、俺の隣に座るくらいなら別の場所を探そうとするに違いない、という卑屈極まりない思考に至るのだ。
この子が隣に座ってくれたことは、俺が全女性からそう思われていたわけではなかったという証左になる。
ああ、神様ありがとう。俺はまだ生きていてもいいのですね。
そんなしょうもない脳内理論を組み立てている間、ずうっと隣からの視線を感じていた。
気になって視線を返すと、ちょうど隣の子と目が合ってしまう。
「「あっ――」」
声が重なると、その子は突然伏し目がちになった。
もしこれがドラマであれば、一視聴者としてかわいいと思える彼女の行動も、今の俺にとっては不安の種にしかならない。なぜなら、その視線はイケメン俳優ではなく、モテない男代表のような俺に向けられているのだから。
何か文句でもあるのだろうか。顔に何かついていたか、それとも臭かったか。いや、朝ネットカフェでシャワーを浴びてきたのだ。そのへんについては心配いらないだろう。俺の清潔さに対する基準が低すぎるってことがなければ……。
「…………あのー、よく来てくれますよね?」
「…………えっ?」
唐突な彼女の発言がまったく予想だにしないもので、虚をつかれた。
再び彼女が顔を上げたので、まじまじと見つめてみると、確かに見覚えのある顔だった。しかし、一体どこで会ったのか。
こんなにかわいい子が知り合いにいたら、そうそう忘れないはず…………。
「私、駅前のトゥトゥールで働いてます」
「……あ、ああ! どうりでみたことあるわけだ!」
彼女の言葉でやっと思い出すことができた。俺が週に三回のペースで通っている駅前のカフェで働いている子だった。
「まさか同じ大学だとは思わなかった!!」
と興奮気味に話すと、周りから無言の圧と非難の視線を浴びる。ちょっと声のボリュームを間違えたようだ。すみません、ここは学習室でした。
彼女もそれに気づいて、恥ずかしそうに頬を染めると、ひそひそと小声で答えてきた。彼女がぴたりと体を寄せてきた際に、ふわっと石鹸のような香りが鼻をくすぐった。
「うん。私も後姿を見て、ひょっとしたらと思って声かけちゃいました」
そう言って彼女はにこりと笑った。その顔はカフェで見せてくれるお淑やかな笑顔そのままで、正直、くらくらするほど眩しかった。
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