出現! 恐怖のドッペルゲンガー!④







「お前から話があるなんて珍しいな」


「…………うん。まあな」


 翌朝、ネットカフェから直接大学へ向かった俺は、経済学部二年の必修科目である統計学Ⅱの講義に出席中だ。


 一浪のため一つ年上である同級生、印部いんべに昨日のことを話そうと声をかけた。

 さて、どう切り出すとしようか。

 この後、家に戻ってみたらただの勘違いでした、という事態も想定しておくべきだろう。一日経ってみれば、あまりにも突拍子のない話だと自分でも思う。


「昨日、家に帰ってないんだ」


「……ほほう! ついに、お前にも一夜をともにする女性が見つかったと!」


 にやにやとわざとらしい笑顔を向けてくる。それがほんの少しだけ癪に障った。

 これは、すべて真面目に、正直に話したとしても馬鹿にされる未来が見える。


「――ふむ。休憩所でスマホは見つからず、そして、家にはたちともう一人、謎の人物がいたってことか」


 一通り説明を終えた。が、エレベーターで遭遇した恐怖体験や自分自身の声が部屋から聞こえたことは、敢えて伏せた。

 オカルトマニアである彼にこんな話をすれば、水を得た魚のように生き生きとするに違いない。そんなことになったら、堪忍袋の緒が切れるのも時間の問題だ。


 真剣に困っていることを喜々とネタにされるのは、今の弱りきった自分には耐えられそうもないのだ。


「お前がそんな不思議な事件に巻き込まれているとはねえ。とはいえ、このまま逃げるようにネットカフェで暮らすわけにもいかないだろ?」


 ところが、意外なことに印部の反応は至極真っ当なものだった。茶化してくる様子もない。


「…………ああ。まずは、学生課に行ってスマホを確認してくる。それから、家に戻る。あとは、舘にも連絡してみるつもり」


「そっか。やるべきことは見えているのか。なら、また何か進展があったら教えてくれ」


 話に区切りをつけた彼は、講義終了とともにそそくさと教室を出ようとしていた。


「――なんだ。家までついて来てくれるとか、そういう優しさはないのか?」


 彼にこの話をした一番の目的はそこだったのだが、


「すまん。ちょっと野暮用ができた。明日、またな」


 申し訳なさそうに両手を合わせると、慌ててリュックを背負い出て行ってしまった。

 なんだか振り返るときの彼の表情が、やけに強張っていたことが気になった。


 仕方がない。一人でやるとしよう。

 こういうときに頼れる友達が少ないことが俺の大きな弱点だ。







――ガチャ、ガチャ


 ドアノブを回してみる。

 よし。部屋の鍵は閉まっているようだ。


 時刻は午後四時を少し過ぎた頃。

 学生課へ聞きに行った結果、昨日からスマホは一台も届けられていないということだ。自宅近くの交番にも確認してみたが、遺失物に俺のスマホらしきものはなかった。


 というわけで、次の一手。自宅の状況確認といこう。

 鍵が閉まっているということは、舘と彼の友人がカギをかけ忘れた我が家に、勝手にあがりこんでいたという可能性はなくなった。彼らが俺の家の鍵を持っているなんてことは考えられない。

 では、中が最後に家を出たときのままであれば、ただの夢だったという結末になる。


「……どういうことだよ、これは」


 ところが、部屋に戻った俺はその状況に驚愕する。

 確かに鍵は閉まっていた。だが、俺が最後に見た部屋とは明らかに変わっている。

 食べ散らかされたスナック菓子の袋やインスタントラーメンの容器。部屋干しされたバスタオル。ローテーション的に次に着る予定だったシャツはハンガーラックからなくなっていた。


 誰かが昨日、この部屋で生活している。

 いいや、誰かではない。これらは、俺が昨日ここにいた決定的な証拠たち。

 朝急いで家を出たために、片付けをある程度諦めたときの俺の部屋だ。


 やはり昨日この部屋には俺がいたのだ。俺ではない、俺が。


 そろそろ認めざるを得ない。

 この世界に伊勢いせ海人かいとは二人存在するようだ。

 出会ったらどちらかが消えてしまうなんてことになりはしないだろうか。

 ドッペルゲンガーだったか…………そんな都市伝説が脳裏をよぎる。

 ならば、当分の間はお互いに出会わないことが賢明。


 この家はくれてやる、その代わりに当分の生活に必要な道具たちは調達させてもらうとしよう。


 スポーツバッグに三、四日分の衣服を詰め込み、あとは生活必需品をどのくらい拝借しようかというところで、


――カンッ、カンッ、カンッ


 外から聞こえてくる鉄階段を上る音。


「まずい!」


 ここで俺同士の鉢合わせは勘弁願いたい。

 俺はスポーツバッグを抱えると、急いで部屋を飛び出した。


 焦りすぎて鍵に手間取っていると、階段を上り終えた誰かの気配が後ろに――。

 万事休す、だろうか。


「あ、ここの部屋の方?」


「は、はい。そうですが――」


 よかった。振り返ると、そこには見ず知らずの中年女性。別の部屋の住人だろう。

 しかし、話しかけられるとは思ってなかった。


「夜、もう少し静かにしていただけます? 昨日、うるさくて寝られなかったので……」


 不満を露わにして俺を押しのけると、細い通路を渡っていった。


「あ、はい。すみません……」


 とばっちりだ。それは舘と俺のせいであって、俺のせいでは…………。

 そうか。俺のせいか。

 ごめんなさい。

 もう一度心の中で、その女性に謝っておいた。

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