出現! 恐怖のドッペルゲンガー!③







 あれから俺は休憩所でスマホを見つけて、そのまま家に帰り、まるで何事もなかったかのように就寝したのだった……。


 ……と、そんな平和な未来だったら、どれだけよかっただろう。


 まず、第一にスマホは見つからなかった。休憩所でテーブルの下をくまなく捜索したが見当たらなかったし、そのほかのテーブルも調べてみたが結果は変わらなかった。

 恐怖に負けず、必死に探したというのに酷い仕打ちである。

 やはり神様は、俺に対して相当に意地悪のようだ。


 そして次に、家にも帰れない状況になってしまった。

 正しくは帰りたくない状況と言うべきか。

 大学の東門を出てから、歩いて十分ほどの住宅街にある一際古いアパート。

 二階の角部屋。『201』号室。


 そのまさしく俺の部屋に、明かりが点いていたのだ。


 もちろん初めは、電気を消し忘れて出てしまったのかと自分をなじった。が、鉄階段を上って部屋の前に着いた頃に何やら様子がおかしいことに気がつく。


「結局、男は顔ってことなんだろ! あいつら俺のこと無視しやがって!」


 この声はたちだ。部屋の中から、舘の声が聞こえる。

 誰かと会話をしているようだ。

 ドアに近づいて耳をそばだててみる。


「いや、そりゃお前がゲームやアニメの話ばっかりしてたら女子も無視したくなるだろ」


 中で舘と会話をしているのは誰だ。

 聞いたことがあるようなないような不思議な気分になる声だ。


 そもそも、どうしてこいつらは主人のいない部屋に勝手にあがりこんで平気でいられる。

 鍵だって閉まっていたはず、


「なんだよ、じゃあ伊勢いせは女子の味方すんのか!?」


「そうは言わないけど、場に合った話題をだな――」


 伊勢って…………。部屋の中で舘と会話をしているのは、俺ってことか。


 じゃあ、ここにいる俺は誰なのだ。

 部屋にいる俺が伊勢で、ここにいる俺は伊勢じゃないのか。


 えっ、もし伊勢が二人いても大丈夫ですか。

 この部屋は契約時に一人暮らしであることを条件にしていたはずだ。

 もう一人伊勢さんが住んでも問題ないのでしょうかね、管理人さん。


 おぉ、そうか。

 こりゃ幽体離脱ってやつか。

 おっかなびっくり自分の手を見つめてみる。

 しかし、うっすらと透けているとかそういうことはなさそうだ。


 そういえば、最後に鏡を見たのはいつだろう。

 今、鏡を覗いたら誰がいるのだ。伊勢か、はたまた全くの別人か。それともまさか、俺は鏡に映らないとか。


 そういえば、最後に誰かと会話をしたのはいつだろう。

 バイト中は確かにみんなと会話していた。だが、それ以降は誰とも会話をしていない。じゃあ、今俺の声はみんなに届きますか。


 大学でスマホさえ見つかっていれば、知り合いに手当たり次第に連絡してみるというのに。今、自分のことを自分だと証明するにはどうすればいいか分からない。


 パニックに陥った俺は、全速力で階段を駆け下りると、駅前に向かって走り出した。

 この閑静な住宅街では俺の存在が不確かだ。

 誰かと会話がしたい。

 まだ駅前になら人がいるはず。

 俺が誰なのかすぐにでも教えてもらわないと、今にも泣きだしそうだった。







「会員カードはお持ちですか?」


「い、いえ――」


「それでは、本日会員登録が必要となりますが、よろしいでしょうか? 身分証を確認させていただくのと会員登録料に百円がかかってしまいますが……」


「あ、はい。お願いします」


「では、あちらのカウンターで申し込み用紙をご記入の上、こちらにお持ちください」


 俺と同い年くらいの女性店員に案内されたカウンターへ向かう。

 このネットカフェを使うのは、初めてだった。そもそもネットカフェを使ったこと自体が人生で恐らく二、三度目くらいである。


 夜中でも時間がつぶせるところを探した結果、ここに落ち着いた。

 駅前のロータリーから道を一本挟んで西にある寂れた雑居ビル通り。その中でも相当年季の入ったコンクリート打ちっぱなしのビルに、この店はあった。確かネットカフェ業界では大手のチェーン店だったはずだ。


 ビルの二階を丸々使った店内は、最低限の照明で小ぢんまりとしていた。この少々陰気な雰囲気がまさに俺にぴったりだからこそ、今まで使ってこなかった部分がある。お前には暗い場所がお似合いだ、と愚弄されている気分になるのだ。

 完全な被害妄想ではあるが、どうしてもその妄想だけは消えない。


 さて、とにかく今日はそんなことを愚痴れる状態ではない。心も身体も休めないと、破裂してしまいそうだ。


 身分証明に保険証や学生証は使っていいのだろうか。もう一人の伊勢さんが会員カードを作るとき困りはしないだろうか。

 などと、申し込み用紙を記入する間もずっと、わけの分からない心配をするくらいに俺の頭は混乱していた。


 簡単な手続きを済ませた俺は、ナイトパックという夜通しここを利用でき、しかも格安の料金コースを選択した。

 これで今日の寝る場所は確保できたということだ。


 そして、指定されたソファ席を確認し終えた俺は、一目散にトイレに駆け込んだ。


「…………よかった。俺だ」


 鏡に映る俺は、伊勢である。約二十年間見慣れた伊勢いせ海人かいとそのものである。


 少しばかり平静を取り戻した。


 やはり自宅で起こった出来事は何かの間違いだ。

 明日、落ち着いて再度訪ねてみるとしよう。

 深夜の大学という不気味さから疑心暗鬼になり、あの真っ白な少女の幻を見て、それからもずっと幻覚と幻聴に襲われていたということだ。

 だから、今日ゆっくりと眠って疲れをとれば、明日は元通りの生活になる。

 と信じておこう。信じるくらいしかできない。


 そういえば、明日の大学はどうしようか。

 サボってしまうのは簡単だが、スマホのない今、友人と会うには大学に行くしか方法がない。この話を誰かに話すことで少しでも気分を紛らわせたかった。

 なので、大学の講義に参加してから、自宅へ戻るとしよう。

 そういえば、学生課に忘れ物の確認にも行かなければならない。やはり先に大学に向かうのがベストな選択のようだ。

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