出現! 恐怖のドッペルゲンガー!②







 エレベーターがある。


 うん。知っている。

 このエレベーターは基本的に高層階用。つまり、研究室に向かう教授たちが使うものになっているため、学生が使うことは滅多にない。正直、三階教室で講義がある場合は使いたくなるのだが、周りの目が気になって一度も使ったことはない。傲岸不遜ごうがんふそんな一部の上級生たちは使っているらしいが、正直、敵を作ってまで使いたいとは思わない。


 さて、だから何だという話である。

 照明などがすべて消されているのに、これだけは使えます。なんて今日の俺のために、親切設計がされていると思うほど愚かでは、…………ないけれど。


「動くのか?」


 エレベーターの上の電光表示には『10』という数字が浮かび上がっていた。

 動いていなくても、あの電光板に数字だけは表示されるのか。それとも、


 恐る恐る近づいて、ボタンを押そうかどうかと逡巡していると、


――ガコッ


 突然何かが動き出す音とともに、表示された『10』の数字がゆっくりと減り始めた。


「うひょぉおぉ、わおっ! ご、ごめんなさい!」


 あまりにも驚きすぎて、とんでもない悲鳴が出た。なぜかおまけで謝罪も出た。


 俺は降り始めたエレベーターを、固唾を飲んで見守る間に、考えた。

 なぜボタンを押していないのに、勝手にエレベーターが動き出したのか。

 いや、勝手ではないのだ。やっぱり教授のうち、夜中まで研究していた人がいて、たった今降りてくるところということだ。

 ならば、怖いので一緒に二階まであってもらえないかと頼んでみよう。

 そう考えている最中も、心臓はまだバクバクと脈を打っている。


 エレベーターが一階に着く直前に、俺は壁際まで後退する。

 エレベーター内の人もこの夜中に、一階で誰かが待っているなど想像しないだろう。驚いて気を失われては困る、と自然に声をかけられるような距離まで退すさってみたのだ。

 俺にしては冴えた発想だったに違いない。


 ところが、…………到着したエレベーターには誰も乗っていなかった。


 誰も乗っていなかった。

 それを受け止めるのに一分ほど固まっていたように思う。

 じゃあ、どうしてこのエレベーターは動いたのだ。

 俺を迎えに来たとでもいうつもりか。


 迎えに来た、その表現は何となく的を射たものだった気がする。

 なぜなら、エレベーターの扉が一向に閉まらないからだ。

 これだけの時間、誰も操作しなければ、エレベーターの扉は閉まるはずだ。

 けれど、それはまだ目の前で大口を開けて煌々と光を放っていた。


 乗れ、と言わんばかりだ。


 ここまで来ておいて、乗らないなんて選択はできなかった。

 俺を待っていたかのように、入るなり扉がゆっくりと閉まる。

 操作パネルの前に立ち、二階ボタンを押そうとしたところで、


――ガコッ


「あひゃいぁぁ! ごめんなさい、ごめんなさい!」


 これまたひとりでにエレベーターは動き出す。

 しばらくして、エレベーターが動きを停めると、パネルには『4』の表示が見える。

 四階に着いたようだ。ここには研究室がいくつかあるはず。まあ、もちろん俺はこの階に用事など一切ない。

 すると、エレベーターは扉を開けることなく、またひとりでに動き出す。


 開かないのね。そうなのね。


 一応、駄目で元々、二階のボタンをポチっと押してみた。一応、ね。


 それからは二階、六階、その先はよくは覚えていないが、何度か扉が開かぬままエレベーターは移動し続けた。二階に停まるたびにちょっぴり期待してしまうが、およそ一度も扉が開く気配はなかった。

 もはやエレベーターさんが暴走し始めたあたりからは、恐怖を通り越して死を覚悟しており、彼にされるがまま状態だった。


 しばらくして、これは五階に停まった。

 さあ、あと何回このエレベーターは移動を繰り返すのかと絶望していたとき、おもむろに扉が開いた。

 ああ、もう限界だ。全然目的の階ではないけれど降りよう、と一歩を踏み出そうとした途端、一人の少女がエレベーターに乗り込んできた。


 彼女は俺に目もくれず、操作パネルに向かうと、『閉』ボタンを押した。


「あっ……」


 タイミングを逃し、無情にも閉まってしまう扉。

 そして、またエレベーターは動き出す。


 この子は誰だ。一体こんな時間に何をしているのだ。

 背丈は中学生くらいに見える。真っ白のワンピースに色白の肌。それとは正反対に吸い込まれてしまいそうな綺麗な黒髪。腰まである長髪をだらりと垂らしていて、素顔は全く見えない。

 それにしても、彼女の肌の白さは尋常ではない。白人とかそういうことではなく、全くもって血の気の引いてしまったような青白い肌なのだ。

 その容姿は浮世離れならぬ、この世離れに思えてぞくりとした。

 そのままゆっくりと視線を落としていくと、彼女の足元で目を疑う事実に気がつく。


 彼女は裸足だった。それも、そこから伸びるはずの影が見当たらない。


 本当に幽霊。

 そう思って顔を上げると、彼女の姿はすっかり消えてしまっていた。


 さらに、エレベーターの扉は開かれていて、操作パネルの表示は二階を示している。


「え、え? つ、着いた?」


 異常な寒気にガチガチと歯を鳴らしながら、エレベーターを降りてみると、確かにそこは七号館二階だった。

 一階よりいっそう湿り気を帯びた異様な雰囲気を感じつつ、俺は足早に休憩所へと向かった。

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