迫りくるオカルトの足音③







 それはさておき、支払いの際に気づいたことがあった。

 ガラス張りの壁に面したカウンター席に腰かけると、俺はおもむろに財布を取り出す。


「使いすぎだろ……、俺」


 みごとな素寒貧すかんぴん一昨日おとといのゲームセンターで浪費してしまったようだ。

 今日は金曜日。俺の生活リズムにおいて、いつもなら生活費を補給しない日だ。

 土曜日に一週間分の生活費を銀行から引き落とす。そして、土日の消費の多少について、平日の生活で穴埋めするという習慣を一年間続けてきた。

 そして今回は、珍しく土曜日を迎える前に破綻はたんしてしまっていたのだ。


 キャッシュレスがこれだけ進んだ世の中で、俺は時代遅れなことだろう。クレジットカードはおろか、電子マネーですらほとんど持ち合わせていない。

 唯一の交通系ICカードも必要な時に必要なだけチャージして使うという、それ切符と何ら変わりないじゃん、といった具合なのだ。

 しかし、俺はそれでいいと思っている。なるべく現金で持っておきたいのだ。自分がどれだけ無駄な買い物をしているのか、はたまた質素倹約を貫けているのか。それをいつだって確認できるように、である。


 というわけで、今週は自らの浪費癖に惨敗。

 この後、最低限の生活費と本日購入予定の洋服代を補填するとしよう。


 二十分ほどで喫茶店を後にした俺は、真っ直ぐに銀行ATMへ向かった。


 そう。そこで、俺はまた新たな問題に直面する。


「……おかしい。いや、これは本当にまずいぞ?」


 大問題発生だった。


 なんと預金残高が数万円減っているのである。

 四万円ほどか。俺が一か月は余裕で生活できる額だった。

 ところが、この混乱の連続で、何というか一種の耐性ができあがっていた俺は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


 考える。原因を考える。

 公共料金の引き落としであるはずはない。時期も違えば、額だって違いすぎる。

 ならば、この前の空き巣の犯人か。もちろん、その線が濃厚。

 だが、キャッシュカードは財布の中、通帳と印鑑も無事。それは何度も確認したことだ。

 その二つ以外に預金を下ろす手段があるということだろうか。


 考えながら、兎にも角にも手を動かすことにした。

 まず、残りの預金をすべて引き落とす。

 さらに、スマホを使って即座に暗証番号の変更も済ます。

 これで、その場しのぎではあるが、対応完了であろう。これ以上の被害が出ることはなくなるはず。


 さて、後は無くなってしまった四万円の行方である。これもまた奇妙な話だった。窃盗犯はなぜ全額を引き落とさないのだろう。事件が発覚して警察に通報されてしまえば、額など関係ないはずである。


 四万円程度ならばこちらが気づかないと思ったのだろうか。


 十分な収入のある社会人ならいざ知らず、貧乏学生の四万円は命に匹敵するぞ。今回の犯人が例の泥棒さんだとすれば、俺が裕福な生活を送っていないことは一目瞭然のはず。預金を引き落とせるということは、残高確認だって容易だろう。


 では、なぜ。理由らしい理由は思い浮かばない。


 これはまた不思議な事件だ。俺の脳内ではすでに迷宮入り一歩手前だ。手段も目的も見えてこない犯罪とはこれほど不気味なものか。

 じんわりと脂汗が背中に広がるのを感じる。

 金額的には全く看過かんかできないのだが、これで収まるのなら、それはそれでいいと思ってしまえるほど、一連の出来事に俺は疲労困憊こんぱいだった。


 警察に通報するか否かも、印部いんべあたりに相談して決めるとしようか。

 こういうときには無性に誰かを頼りたくなってしまう。


 そうして、俺はどんよりとした足取りで大学に向かった。

 散歩は気を紛らわす。そう思っていた今朝の俺を嘲笑あざわらうように、大学までの道のりはとても長く苦しい道のりに感じた。


 さて、いくら気落ちしていても、それくらいは予期すべき事態だったに違いない。

 講義開始の五分前。重い足を引きずるように何とか教室にたどり着いたが……。


 どこにも印部の姿が見当たらなかった。


 ところで、うちの大学は難関私立大学でもなく、いわゆるFランク大学でもない。つまりは、中堅という立ち位置になるのだが、このレベルの大学に通う学生の大半は、よく遊ぶ。四年間でこれでもかというほど、遊び倒すのだ。

 経済学部というやつは、特にその傾向が強い。医学部、法学部、薬学部、教育学部など夢を追って入学したであろう学生たちと違って、この経済学部に通う理由はとりあえず大卒という肩書目当て、というやつも多いのだろう。

 俺の偏見が多分に含まれている可能性も否定はできないが、二年生になって全体の出席率がみるみるうちに下がったことは確かだ。


 結局のところ、何が言いたいのかといえば、


「あいつはまたサボりか……」


 印部もその例に漏れず、放蕩ほうとう学生の一員ということだ。無論、俺もだが。

 そして付け加えるならば、先ほど相談相手に挙げた印部あたりの〝あたり〟には、ほかに該当する人物がいない。俺の交友関係の広さは猫の額ほどであり、彼を除けば別学部のたちくらいだろうか。大学生活一年間で作った友人はたったの二人。女子に至っては、顔見知り程度までハードルを下げても片手で数えられる。

 自らのコミュニケーション能力の低さが恨めしい。


 講義は相変わらず目立たない席に一人で座り、とりあえず聞いてはいるが決して真剣ではない感じで乗り切った。褒められたものではないが別に注意する必要もない、という絶妙な塩梅あんばいだ。大学で学んだ処世術の一つである。


 これから洋服を買いそろえなければならないし、そのままアルバイトにだって向かわなければならない。

 印部に相談せずとも決まっていたことだ。警察に通報する暇はない。


 さらに、オカルトマニアの彼の影響かは知らないが、今回の一件には何となく、警察では手の届かない超常的なものが関わっている予感がしているのだ。


 さて、その予感がただの当て推量でないことが判明するのはその一週間後の話である。

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