迫りくるオカルトの足音②
◆
「……という感じだ」
春真っ盛りの四月下旬。
大学七号館のとある教室にて。
現在は環境経済学の講義そっちのけで、昨日の出来事を友人の
「お前は
彼は同情……というより、羨望の眼差しといった様子だ。
実際に被害に遭っていないから、そんな野次馬根性で楽しめるのだ、と心で非難した。
ところで、一昨日とは。はて、昨日の話しかしていないはずだが。
「一昨日ってどういうことだ? 空き巣が入ったのは昨日だぞ?」
「いや、昨日も家に変な奴がいて困っているって話していたばかりじゃないか!」
そいつが空き巣だったって話じゃないのか。忘れたとは言わせないぞ、と彼は大げさな身振り手振りでいくつか言葉を付け加えた。
「え? 昨日って俺、お前と会ったか?」
「……はあ? 昨日の統計学で一緒だったろうが」
彼は大きなため息一つとともに、お前本当に大丈夫なのか、と頭を抱えるジェスチャーをして見せた。
「……統計学? いや、昨日はサボってゲーセンに行ったぞ、俺」
そう、昨日は
そして、夕方に舘と別れ、遊び疲れて帰宅したところ、部屋があの悲惨な状態だったというわけで。
俺の記憶違い、か。それにしては最近のことだし、あまりに記憶が鮮明なのだが……。
「どういうことだ? じゃあ、俺が昨日一緒だったのは誰だったんだよ」
印部はいつになく真剣な表情でこちらを見つめてくる。
彼にその気はないだろうが、少し責められているような気分だ。
「…………さ、さあ」
心当たりは全くない。彼は重度のオカルトマニアで冗談めいた話をいつもしてくるが、今回ばかりは冗談を言っているわけではなさそうだ。冗談を言うときはいつも、今の百倍くらいおどけた態度である。
ということは、彼は本当に昨日、俺に会ったのだろうか。
そんなはずはない。
俺にそんな記憶は一切ない。
彼との食い違いに、言い知れぬ
では、彼は昨日誰と会っていたというのだ。
一体、それは誰。
ダメだ。頭が真っ白でうまく思考できていない。
そうしてこうして俺の奇妙な日々は幕を開けるのだった。
◆
空き巣被害から三日が経過した。
さて、先日の
いや、終わらせた、が正しい。
あの日は彼を適当にあしらって、逃げるように帰ってしまった。彼は最後まで何かを言いたげだったが、それも構わずに……。
その夜に謝罪のメッセージは送っておいたが、適当なスタンプ一つ返ってきただけだった。もう少し心身ともに落ち着いたら、改めて謝るとしよう。
実害は少なかったものの、あの泥棒騒ぎは精神的には相当負担になっていたのだ。
昨日は一日やる気が出ず、大学をサボってベッドの上で過ごしてしまったくらいだ。これ以上面倒ごとを増やされるとパニックになりそうだったのである。
だから、とりあえずもう深く考えるのはやめる。
さあ、今日は大学の講義に出席し、夕方から足りなくなった洋服を買いに行き、そのままアルバイトへ向かう。
その三つだけ。それだけでいい。それ以外のことまで考えるな。
講義は昼過ぎからだったため、朝食後の散歩がてらに駅前へ向かった。
俺のアパートは大学へ徒歩十分、最寄り駅までも徒歩五分という好立地だ。
気ままに歩いていると、悩みや不安もすこし和らいでくれるところが有り難い。今日は様々なストレスを一旦忘れ去り、生活を元に戻すことに専念するとしよう。
駅前にはカフェ、コンビニ、さらには駅直結の百貨店まである。生活に必要なものがたった数分で手に入る。
ああ、素晴らしきかな、東京。
大学への通学にバスも電車も使わないというのも本当に楽だ。田舎育ちのためか、徒歩での移動は全く苦にならず、むしろ予定のない休日は数駅先まで散歩するほどである。
そうして都会の良さを再認識しつつ、春の心地よい風に頬をくすぐられた俺は、颯爽と駅前で行きつけのカフェ『トゥトゥール』へと入店する。
「いらっしゃいませ。ご注文、お伺いいたします」
お、今日は名前の読めないあの女の子だ。胸につけた名札をちらりと見る。喜納……きのうさん、だろうか。やたらと珍しい苗字である。
さすがに週に三回ほどの頻度で利用しているからか、店員の顔も大抵覚えてしまった。
彼女はおそらく俺と同い年かそれよりも少し若い学生のアルバイトだ。
常連になると変になれなれしくしてくる店員も多いが、この子はそういったことがなく、常に同じ接客態度なので大変に好感が持てた。
何より注文の後、お淑やかでやわらかな笑顔を返してくれるのだ、そこがとても大事。
「ええと。アイスカフェラテのМサイズを一つ……」
俺のいつもと変わらぬ注文。
「かしこまりました! アイスカフェラテのМサイズ、三百二十え…………、あっ!」
彼女のいつも通りの変わらぬ応答…………ではない。
「……え?」
彼女は俺を見て、明らかに動揺した気がする。
どうしたというのだ、喜納さん。俺が注文したのは、いわゆる〝いつもの〟ってやつだぞ。それとも俺の顔に何かついていたのだろうか。それは後で確かめておかねば。そう思いつつ、手にしたスマホをポケットにしまった俺は、顔をひと撫でしてみた。
うん。髭の剃り忘れとかではないな。
「……さ、三百二十円になります!」
慌てて言い直した彼女のどぎまぎした様子は何だか新鮮だった。普段の落ち着いた彼女とのギャップにちょっと心を揺さぶられ、
「……た、大変失礼いたしました」
はにかんだ笑顔でカップを手渡してくる彼女にほぼほぼ悩殺された。
あの焦りよう……もしや今日は調子でも悪かったのだろうか。
それにしても、前々から思ってはいたが、やっぱり彼女はかわいいなあ。
一切関係はないのかもしれないが、ここで今一度言っておきたい。
ああ、素晴らしきかな、東京。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます