10.郵便局のドラ息子
「くせえ、くっせぇ。馬の臭いがするぜ」
大きな声が通りまで聞こえてくる。雑貨店兼郵便局、ウォレンの店からだ。
店の前には見覚えのある馬が繋がれている。ステファンは思わず駆け寄った。
「ヘスティ、どうしたの? ダリオはこの中だね?」
店のカウンターの中では、赤ら顔の大柄な青年がわめいていた。
「おいダリオ、自動車が通るようになってもうちの店の前の通りが『馬車通り』って呼ばれてるのはなんでか知ってるか? お前んとこの馬が余計な物を落としていくせいだよ!」
「あいすみませーん」
ダリオは特に気にするふうもなく、伝票を書きながら妙にこなれた発音で型通りの返答をしている。それが余計カンに触ったのか、赤ら顔はますます大声になった。
「だいたいお前らよそ者がでかい顔してるせいで俺らの働き口が減るんだ。工場もつまんないしよぉ……おかげでこんなチンケな田舎に帰って来なきゃいけない、ちくしょう。おい、もう馬車の時代は終わったんだ。とっととあの駄馬を連れてママの国へ帰れよ!」
嫌な予感は当たった。どうやらこの青年がウォレンのドラ息子らしい。人の好い父親と違ってえらそうだ。おまけにどうでもいい言いがかりで年下をいじめる、ステファンが一番嫌いな種類の人間だ。
何か言わなきゃ、ダリオのために言い返してやらなきゃ、と頭の中で声がする。けれどそれに反して、口は痙攣したように動かない。足も動かない。ステファンはただ息をつめて固まった。
この息苦しさは覚えがある。初等学校で何度か体験したやつだ。まずい。頭がガンガンして指の先が冷たくなってきた。まずい、非常にまずい。
「よそ者がどうしたって?」
コツ、と足音を立ててオーリが進み出た。カウンターの中でわめいていた赤ら顔は、今の今までその姿が見えなかったようにびっくりした表情を見せた。
「このオーリローリのことかな? 確かに母はジグラーシ移民の子だし、父親は東洋人だしね。君の理屈が通るんなら、わたしはどこに帰されるんだろうな」
「ついでに言うなら、僕も火山島出身だ。立派なよそ者だねえ」
ユーリアンも茶化すように手を広げる。そのままさりげなくステファンを店の外へ押しやろうとしているのがわかる。
オーリの名を聞いて、店にいたもうひとりの客が驚き、握手を求めてきた。
「あなたがオーリローリ・ガルバイヤン画伯でしたか! 帰れなんてとんでもない。ヴィエークホールの絵の評判は聞いておりますよ。リル・アレイ村の誇りだ。いやここでお会いできるとは」
オーリはにっこりと握手に応じた。
「村の誇りというのなら、ダリオの仕事もそうですよ。伝統ある観光馬車のお陰でこの小さな村にも観光客が絶えないでしょう。それにわたしは画伯なんて身分じゃないです。ヴィエークに絵を飾っていただいたのは光栄ですが、日常ほとんどは挿絵描きや臨時講師で食いつないでいるんですから」
カウンターの内側でわめいていた青年に向き直って、オーリは指を弾き、何もない空間から分厚い封筒を取り出してみせた。それだけでも魔法使いの力を知るには充分だったのだろう、青年は口をあんぐりと開けた。
「それも、この店が郵便業務をきちんと果たしてくれればこそ成り立つ。なあそうだろうデイヴィッド・ウォレン。デイヴィ、最新型側車つきモーターバイクはかっこよかったかい? わたしは馬のほうが好きだけどね」
名前を呼ばれて我に返ったのか、青年はぷるぷる震える手で受け取った封筒を秤に乗せた。
「ちゃんと料金どおりの切手を貼ってるよ、ご心配なく。それとも少なめに貼って、君の仕事を増やした方がよかったかな?」
赤ら顔の青年はもはや返事もせず、力任せにバンっと消印を押した。
◇ ◇ ◇
「聞いたかステファン。君の師匠ったら、ああいう嫌味を言わせたら天才だな!」
店を出た途端、ユーリアンは肩を叩きながら笑った。
「ぼく、情けない」
ステファンは笑えず、うつむいた。頭痛も息苦しさも治まったが、自分のふがいなさに泣きそうだ。
「ごめんダリオ。ぼく、あいつに何も言えなかった。前にぼくが困ってた時は、ダリオが助けてくれたのに」
「あは、いつものこと。キニシナーイ」
ダリオは顔の前で両手を振って笑い、オーリとユーリアンに礼を言ってから馬車に郵便物を積み込んだ。
「少年、まだこれから仕事かい?」
「
「もと領主だろう。気を付けて行くんだよ、あの人はちょっとおかしいから」
三人に見送られて、ダリオの馬車は山道に向かった。
「さっきの郵便局のドラ息子さ、たいして強くないな」
ユーリアンがボソっと言った。
「ステファン、拳闘でも教えてやろうか。ちょっと鍛えたら奴になんかすぐ勝てるよ」
「絶対やです」
憮然として答えると大人たちは笑った。拳でカタをつけだところでなんだろう、とステファンは思う。すっきりする? いいや、なんだかもっと嫌なものが這い出てきそうな気がする。
本当に今日はなんという日だろう。朝から腹の立つことばかりだ。
明日からは五月だ。五月女王でもなんでもいいから、早く新しい季節を呼び込んでくれないかな、とステファンは空を仰いだ。
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